008.天界の秘密とヴァルハラDCへの侵入者
この世界では『侵入』という犯罪は二つに分かれる。悪意があるものと、悪意がないものである。
大半の『侵入者』は悪意を持ち合わせていない。たまたま所定の手続きを忘れてしまっただけだったり、ちょっとした好奇心で入ってみたくなったり。だからこそ、セキュリティホールがあっても認識されず放置されてしまう。
『問題がないならいいじゃないか』
セキュリティは、そういう認識ではいけないのだが、世の中のみんながセキュリティを意識しながら生きていけるほど、みんな暇ではない。セキュリティを完璧にしようとすればするほど、時間ばかりかかって使い勝手は落ちていき、利用者が少なくなっていく。結果として、『まだ事故が起きていないセキュリティ甘々なサービス』が流行することになる。そして、それは大抵新しいサービスであり、ただ単に事故を経験したことがないというだけだったりする。
ヴァルハラDCはそんな『まだ事故が起きていないセキュリティ甘々なサービス』のひとつであった。
多くの侵入者は自分の痕跡を残す。
これは恣意的にしているわけではなく、痕跡を完全に消すのが難しいからだ。
ストレージ装置が発達した現代においては、すべての行動をログに保存することは容易であり、現在のところ、侵入者を即時に発見できないのは、それをうまく解析できる計算装置がないというのが原因である。
「嵐かにゃ?」
猫又さんはひどい風の音で目が覚めた。いくらか夜目が効く猫又さんでも、薄暗い狭い場所にいることがわかる。聞こえてくるのはひどい風の音だけ。
倉庫で休憩にちょうどいい大きなダンボールを見つけ、そこに入って寝ていたはずだ。倉庫の中に強い風が入り込むことは考えにくく、何が起きたのかわからなかった。
開いていたダンボール箱の蓋はぴっちり閉じており、配達員仲間がいたずらでガムテープで封をしてしまったようだ。猫又さんには自前のカッターとして使える鋭い爪があるため、いたずらで封をされても、それを切って簡単に出てこれる。今回も爪を使って封を切ってダンボール箱から出た。
「……どこにゃ?」
しかし、そこは倉庫ではなかった。ピカピカ光る巨大なロッカーが連なっており、床からは轟々と冷たい風が吹き出ている。窓はひとつもなく、照明は猫又さんがいる辺りしかついておらず、部屋の大半は暗かった。どうやら窓もないようだ。
「まさかの異世界転移にゃ?」
最近流行りの異世界転移小説のように、ダンボール箱で寝ているうちに異世界に配達されてしまったのかと思った。もしそうなら、世界初の異世界転移方法ではないかと思い、にゃにゃと笑う。
「誰かいませんかにゃ~」
誰もいないようだ。返事をするものはいなかった。
とりあえず、ダンボール箱から出ると部屋から出ようと扉を探す。部屋の隅に扉はあった。しかし、重そうな鉄の扉であり、その横にはセキュリティカードを翳す装置がついていることから、出れそうもないことを理解する。
あと残念なことに異世界転移でもないことを理解した。
「待つしかないにゃ」
そして、見回りに来たローカルエンジニアの先輩さんに見つかるまで、優に三時間は待つことになった猫又さんだった。
先輩さんは休憩室であり得ない侵入者について新人ちゃんに話していた。普通ならこういう内部的な話は同僚にもしてはいけないのだが、それを守っている人は少ない。
「でね、最初の一言が『トイレ! トイレどこにゃ!』だったの」
「マシン室は寒いですからねぇ」
データセンターにもトイレは設置されているが、当たり前だがマシン室の中にはない。
「それにしてもダンボール箱でお昼寝していたら、配達されちゃったとか、びっくりですね。本当に配達される予定だったサーバーはどこへ行ったんでしょうか」
「どうも三個口のうち、ひとつを取り違えたみたい。あとでサーバーは運んで来るって平謝りしていた」
「へー」
新人ちゃんは気のない返事をしながらカフェオレを飲む。
「ちなみに身体チェックさせてもらったんだけど」
「え! 猫又さんを触ったんですか?」
持っていたカフェオレの缶を持っていることを忘れて、先輩さんにつかみかかる。カフェオレがこぼれそうになるが、不思議なことに飛び散ったカフェオレは無重力下の液体のようにふわふわと浮いていた。
「うん。女の子だったみたいで、私が身体チェックしたんだけど、すっごいもっふもっふで」
「羨ましい!! 先輩さん、ずるい!!」
先輩さんの肩を持って激しく揺らす。怪力の新人ちゃんに揺らされて先輩さんは分身しているように見えた。
「羨ましかろう」
先輩さんはどや顔で笑っている。その手は猫又さんのもふもふ感を思い出すかのようにわしゃわしゃと動いていた。
「また侵入してくれないかな~」
本人は二度とダンボール箱でお昼寝はしないと反省していたようなので、もうこんな侵入者は来ないだろう。
猫又さんは始末書を書く前に配達し損ねたサーバーをデータセンターへ運んできた。
正規の手続きでは、まず顧客がヴァルハラDCに配送情報を登録する。配送に使うトラックのナンバーや配達員の氏名、配達する大きさや重さなど、細かく情報を登録しておく。
そして、受け取りも警備員が見ている目の前で行われ、事前に登録した情報と間違いがないか確認するのだ。
ここで顧客がいれば開梱して、不要な梱包材だけ送り返すということが可能になる。前回は顧客立ち合いではなかったので、ローカルエンジニアが代わりに受け取ってマシン室に運んでおいたというわけである。
今回は間違いがないように顧客がヴァルハラDCまで出向いて開梱を行い、中身が残り一台のサーバーであることを確かめていた。ようやくリカバリーが住んだことに猫又さんはほっとすると、受け取りのサインをもらって帰っていく。
「では、お願いします」
新人ちゃんはもふもふしたかったのだが、それは叶わずサーバーをひょいと持ち上げてマシン室まで運んでいった。
「それは残念だったね」
休憩室で先輩さんは新人ちゃんを慰めていた。猫又さんをもふもふしたいという新人ちゃんの夢はかなわなかったという話を一部始終聞かされての感想だ。
「本当に……。猫又さんって煉獄の悪魔ですよね? 先輩さんの知り合いにいないんですか?」
先輩さんはあ顎に手を添えて考えてみたが、思い当たる知り合いはいない。そもそも、煉獄では猫又族の配達員は珍しいものではなかった。しかし、ヴァルハラは天界なのである。データセンターとあまり関係のない配達員である猫又が天界にいるのは珍しいと言える。
「いないかな。こっちに来ている猫又さんって珍しいよね」
「はああぁぁぁ~」
大きなため息をついたのち、新人ちゃんは柏手を打つ。
「エンちゃんの知り合いにいるかもしれないですよ! ちょっと聞いてみます!」
エンちゃんは煉獄出身の悪魔なので可能性はある。
「え? えぇ……」
新人ちゃんからエンちゃんに連絡をするのに、少し抵抗を感じる先輩さんであった。
残業で疲れたエンちゃんは自分のスマホが光っているのを見た。ゲームの通知が来たのかと思って画面を見ると、新人ちゃんからのメッセージが届いていることがわかった。
「え??」
ちょっとパニックになりながらも急いでアプリを立ち上げてメッセージを確認する。
――またお話しませんか?
「たった一行の君の言葉、僕をその気にさせた!」
エンちゃんは速攻で「晩御飯まだでしたら、一緒にどうでしょうか?」と返事をした。新人ちゃんからすぐにオーケーの絵文字が返ってきて、思わずガッツポーズをした。
またファミレスにしようかと考えたが、営業さんに教えてもらったお店に行こうかと思いなおして新人ちゃんにお伺いを立てようとする。
――いつものファミレスで!
先に新人ちゃんから場所を指定されてしまった。もはやファミレスでしか食事をしないタイプだと認識されているのかもしれない。嘘偽りのない自分を受け入れてくれるということなら、歓迎するのだが、たぶんそうじゃない。
「やばい」
自分を華美に見せるようなことに慣れていないが、第一印象が大事だとはわかっている。今まで、仕事関係も含めて第一印象を気にしたことはなかったが、ここに来て初めて自分の行動を後悔した。
しかし、後悔は先に立たない。
今更取り繕うことは不可能だ。
エンちゃんはどうにかして挽回できないかを考えながら、残りの仕事を片付けるのだった。