016.魂は布団の中で
「やはり、勇者さんに見捨てられたのでしょうか……」
酒場にはもう賢者さんと戦士さんしか残っていない。夜遅くに宿に帰ってきて宿の人に無理を言って軽食を用意してもらったのだ。
軽食を前にしても賢者さんは手をつけずにうつむいているばかりだ。腹が減っていないわけがない。体力には自身がある戦士さんでも疲労困憊なのだ。体力に劣る賢者さんはもっと疲れているはずだ。
この一か月間、戦士さんと賢者さんは居なくなった勇者さんを探していた。
S級ダンジョンを攻略し、帰還石を使って地上に戻ったまではよかった。そこに勇者さんたちもいたはずだ。
しかし、勇者さんは戻ってこなかった。
帰還石に不良があってS級ダンジョンに取り残された可能性を考えた賢者さんは龍さんたちの手助けを借りて、もう一度S級ダンジョンへ潜った。しかしボス部屋は依然として空のままであり、勇者さんはどこにもいなかった。
それから戦士さんと賢者さんは龍さんたちと分かれ、周辺の街に勇者さんと三人の少女が立ち寄っていないか探すことにしたのだが、勇者さんらしき人も三人の少女も立ち寄ったと思われる情報は聞けなかった。
勇者さんは別としても三人の少女は目立つはずである。誰かが見ていてもおかしくはない。だが、見つからないのだ。
「……」
戦士さんは何も言えなかった。あの勇者さんが自分たちを見捨てるはずがないと思っている。思っているが、疎まれていることはなんとなくわかっていた。S級ダンジョンを攻略したのを機会に勇者さんがふたりと分かれようと考えていても不思議ではない。
沈黙が続き、軽食は乾いていく。
賢者さんは三人の少女が勇者さんを攫ったとも考えたことがある。何しろ三人の少女は古代龍の心臓にあたる魔石から出てきたのだ。人間でなくても不思議ではない。単なる人間にS級の冒険者である勇者さんをどうこうすることは不可能なのだ。
でも、人間でないとしたら、パーティーを組んだ時点でわかるはずだ。パーティーを組めばステータスのサマリーが表示される。それには種族も書いてある。その時点で勇者さんなら気が付いて対処しただろう。しかし、しなかった。
何をどう考えても賢者さんは答えを出すことができなかった。答えをだしたところでやることは変わらないのだが。
「明日も探しましょう。見捨てられたとしても勇者さんの口から聞きたいです」
「そうだな」
戦士さんはうなずいた。終わりが来るのならそれ相応の儀式が必要だ。何もないまま終わりになんてできないのだ。
勇者さんは起き上がると、隣で寝ているマッドさんを見た。
マッドさんは女性の聖人だ。勇者さんが見たことがある立像はもう少し胸も大きく大人っぽい女性だったが、横で寝ているマッドさんは少し幼く見える。
勇者さんは飲み物に薬が盛られていたことに気が付いていた。急な眠気はそのためだったのだろう。
普段なら気が付いただろう。しかし、聖人のマッドさんがそんなことをするとは思っていなかったため、油断していた。
周囲を見回すとマッドさんが書いたであろう紙が散在している。そのほとんどに『実験結果』と書かれていた。
寝ている間に色々な実験をしたようで、勇者さんはほぼ全裸と言ってよい格好にまで剝かれている。
ゆっくりと起き上がり服を着た。
マッドさんが書いた実験結果のメモを見ると勇者さんは自分が死んだわけではないことに気が付いた。
生きたまま、ここヴァルハラに来たようだ。
どうやって来たのか、どうやれば帰れるのかまでは書いてなかったが、勇者さんはふと戦士さんと賢者さんを思い出す。
勇者さんはマッドさんの家を出ていくことにした。一刻も早く戦士さんや賢者さんのところへ戻らなければならない。きっと心配しているだろう。
三人の少女の一人、黒い髪を持つ黒子ちゃんは目の前で血を流して倒れている盗賊から服を剥いだ。血の鉄のにおいは未だしも風呂に何日も入っていないであろう据えた臭いが鼻をつく。
それでも裸よりはましだと思いなおし血まみれの服を体にまとった。
気が付けば黒子ちゃんは奴隷商の檻の中にいた。どこかへ売りに行くために檻に閉じ込められて街道をゆっくりと移動していたところ、夜半過ぎに盗賊に襲われ、奴隷商や用心棒、それに他の奴隷たちも殺された。
黒子ちゃんは大人しくしていたので売れそうだと思ったのだろう。檻から出して連れて帰ろうとしたところ、盗賊たちは全員殺された。どうやって殺されたかもわからないほど、黒子ちゃんの行動は素早かった。
「あ、何もこれ着なくてもよかったんだ」
血みどろという意味では変わりないが奴隷商や用心棒が着ていた服のほうが少しは清潔で不快な臭いもましだっただろう。だが、黒子ちゃんはすぐに思い直した。
奴隷商の持っていた財布を取り外すと、奴隷商が目指していた街を目指して街道を歩くことにする。
黒子ちゃんには何の目的もない。だが、今は『清潔な服を手に入れて着替える』という目的ができた。黒子ちゃんにはそれだけで十分だった。自分が何者なのか、何をしようとしていたのか、誰と一緒だったのか、過去を思い出せないのはなぜか。それらはどうでもよいことなのだ。
なにせ、黒子ちゃんには時間の概念も空間の概念も希薄なのだから。
営業さんは売り上げのグラフを見てニヤニヤが止まらなかった。
「うっはー、すげーなおい」
エンちゃんの頭を脇に抱えるようにして興奮を伝えてくる。エンちゃんは頬に当たる確かな感触に戸惑っていた。
「よ、よかったですね。僕も頑張った甲斐があります」
「まったくだよ。すっごい感謝してる。なあ、童貞貰ってやるよ」
「ええ、お願いします」
エンちゃんはまたサキュバスジョークだと思って適当に返事する。
「よし、じゃあ、ホテル予約するな。今夜でいいよな。エンちゃん」
「え、本気で言ってるんですか?」
「本気に決まってんじゃないか。もうエンちゃんと結婚してもいいぐらいだぜ」
「いや、やめておきます」
エンちゃんは少し迷ったが、どう考えても営業さんが自分を見失っていると思ったので断ることにした。
「なんだよ、遠慮するなよ。俺とエンちゃんの仲だろ? 中出しだってOKだよ!」
どう考えても酔っ払いよりも質が悪いのでエンちゃんは営業さんの脇から抜け出す。
「僕は新人ちゃん一筋なので」
「そうか。そうだよな。でも、気が変わったらいつでも言ってくれよ。練習台になるからさ」
とてつもなく美人でスーツ姿でも隠しきれない豊満なボディがエンちゃんを誘惑する。「練習台」という言葉にエンちゃんはものすごく興味をひきつけられたが忘れることにした。