001.データセンターに住んでもいいんですか?
「先輩さん、……もっと奥まで入れてください。ん……。と、届いてませんよ」
「わ、わかった。新人ちゃん。行くよ」
「は、はい。思いっきり、イっちゃってください」
「えい!」
「熱い!」
これだけの大きな声を上げても誰も近寄って来ない。それどころか、周囲の騒音が大きすぎて大きな声でも出さなければ相手に聞こえないのだ。
「届きました! 引っ張ります!」
「ゆっくり、ゆっくりお願いね」
新人ちゃんがゆっくり引っ張るとずるずると、奥から次から次へと出てくる。
「どれぐらい引っ張ればいいですか?」
「もうちょっとかな……」
「はーい」
新人ちゃんはLANケーブルを三十センチぐらい引っ張る。
「ストップ! ありがとう」
新人ちゃんと先輩さんはデータセンターのローカルエンジニアだ。
新人ちゃんは背の低い天使であり、先輩さんは胸の大きな悪魔だった。ここはヴァルハラDCと呼ばれるデータセンターのひとつであった。
二人は今はケーブリング作業の真っ最中である。ケーブリングとは、スイッチやサーバーをケーブルでつなぐ作業だ。これはデータセンターのローカルエンジニアの主要な仕事のひとつで、現地でしかできない。
新人ちゃんは引き出したケーブルをスイッチのポートの近くに持ってくる。差し込んで接続状態にする前に先輩さんに確認してもらうためだ。
「先輩さん、確認お願いします!」
サーバーは通常ラックと呼ばれる本棚にロッカーのような扉がついた箱のようなものに入れられる。そして、ラックは十個ほどが横に並び列となる。列の片側はサーバーを冷やすための空気が流れるコールドアイル、反対側はサーバーを暖かくなった空気が流れるホットアイルになっている。
新人ちゃんはサーバーの後ろ側にあたるホットアイルで、サーバーの前面にあたるコールドアイルから先輩さんが差し出すケーブルを受け取っていたのだ。新人ちゃんは背が低いので、当然腕も短くサーバーとサーバーの隙間に手を入れてケーブルを受け取るのが難しかったようだ。
「確認するね」
ケーブルの両端にはタグと呼ばれる識別コードが書かれている。先輩さんは先ほど自分が持っていたケーブルのタグと同じ識別コードになっているか確認した。
「“A3066-10m”だね。あってる」
もし間違ってケーブルを輪になるようにつなげてしまうと、一時的にではあるがネットワーク通信がすべて止まってしまう「スパニングツリーの再計算」が走ってしまうことがある。ローカルエンジニアが行うケーブリング作業で頻繁とは言えないまでも起こりやすい事故の一つだった。
「次は作業指示書のポート確認ね」
作業指示書とはデータセンターにサーバーを置いている顧客がローカルエンジニアにやってほしい作業を書いた手順書だ。大抵は作業指示書通りに作業すれば問題は起こらないのだが、顧客もデータセンターにあるものを直接見ているわけではないので、間違ってしまうこともある。
そういう場合、ローカルエンジニアは顧客に連絡を取って、指示が本当に正しいものなのか確認する必要があった。
「えーと、指示されたスイッチの29番ポートは埋まってますね……」
新人ちゃんは指示書を胡散臭そうに見ていた。明らかに間違っている指示が書かれていたからだ。こういう顧客の言うことは信用しない方がいいことを新人ちゃんはついこの間、学んだばかりだった。
「じゃあ、電話して確認するね」
先輩さんはデータセンターだけで使えるPHSを大きな胸のポケットから取り出すと、顧客に電話をかけた。
「指示が間違っていても、事故が起きるとあたしたちのせいなんだもんなぁ」
就く仕事を間違ったかな?と何度も思ったことがある新人ちゃんだが、先輩さんの指導が良かったのか最近では少しずつ仕事が面白くなり始めていた。
「あー、やっぱり、下のスイッチだったみたい。新しい指示書を送ってくれるみたいだから休憩しようか」
「はーい」
先輩さんがラックの扉を閉めて鍵をかけた。データセンターにはいろいろな顧客が入ってくる可能性があるため、基本的にすべてのラックに個別の鍵がついている。
作業に使ったケーブルやツールを持ってきたカバンに入れると、一応、落し物がないか確認して先輩さんと新人ちゃんはマシン室を出て行った。
「本当ですって! 絶対に見たんです。あれは絶対に噂の『妖精さん』でしたよ!」
休憩室についた新人ちゃんと先輩さんは缶コーヒーを飲んでいた。新人ちゃんは甘いカフェオレ、先輩さんはブラックコーヒーだ。新人ちゃんが興奮冷めやらぬ調子で先輩さんに詰め寄ると、頭の上にある小さな輪っかがちょこんと揺れた。新人ちゃんはヴァルハラDCのある天界出身の天使だった。Aラインのワンピースを着ていて「そんなんで作業できるんかいな?」という同僚の目をものともしないツワモノだ。
新人ちゃんが見たというのは、近頃、このヴァルハラDCに現れるというお化けの話だった。
「あたしと同じぐらいの身長で、ジャラジャラ音を立てながら歩いていたんですよ。あれって絶対『妖精さん』に間違いありませんよ」
「へぇ」
データセンターは必ず入退室を管理しているため、誰か知らない人がいるという状況は発生しない。新人ちゃんが誰かを見たということは、それは許可を経て入ってきた人に違いなかった。
「まあ、あたしだって『妖精さん』がこの世に居ないってことはわかってますよ? だけど、やっぱり、小人とか妖精さんとか自分の代わりに作業してくれる存在ってあこがれるじゃないですか」
勤勉を旨とする天使にあるまじき発言だが、先輩さんも内心ではあこがれているので否定はしなかった。先輩さんは煉獄の悪魔だが、怠惰を旨とする奈落の悪魔とは仲がいい。
「ま、今度見かけたらコレで呼んでよ」
先輩さんが大きな胸のポケットに入っている小さなPHSを指さした。
「おっぱいでどうやって呼ぶんですか?」
新人ちゃんが小首をかしげて疑問を呈す。
「違うよ。PHSだよ!」
「あー、電話ですね。わかりました」
新人ちゃんはPHSという単語を知らないスマホ世代だ。その代わり「電話」という単語は知っているのでPHSを電話と呼ぶ。まるで時代が逆に戻ったみたいだが、それが今の若者の感覚なのだろう。
「あ、そういえば思い出しました」
「何?」
「『妖精さん』を見たの、この前の“M2W”マシン室の大障害のときですよ。で、『妖精さん』を見た直後に障害が復旧したんです」
先輩さんは「そんな馬鹿な」と思ったが、確かにあの時の障害は復旧した理由は不明だった。おかげで顧客説明が難しいものになったと上長さんがぼやいていたのを覚えていた。
障害というものは原因がはっきりしないと対策も説得力のあるものが作れないのだ。説得力のない対策では顧客は不安になってしまう。特にヴァルハラDCのような新興データセンターは顧客との信頼関係を作っている最中のため、神経をすり減らすことになる。
「おっと」
考えていたところにPHSがぶるぶると震え、先輩さんの胸も同時に振動する。おもむろにPHSを胸のポケットから取り出すと番号表示を見る。
「あ、新しい指示書できたみたいだね。休憩終わろうか」
「了解です~」
新人ちゃんは飲みかけのコーヒーを流し込むと、先輩さんの空き缶も一緒にゴミ箱に捨てた。
ローカルエンジニア二人の仕事はまだ始まったばかりだった。
データセンターには仮眠室がある。またデータセンターから出るのも手続きがあるため、データセンター内で軽い食事を済ませることもできる休憩室もあった。もちろんトイレもついており、冷暖房というよりは館内の温度は常に一定になるように、ずっと空調が稼働している。
つまり、データセンターには頑張れば『住める』条件が揃っていた。もちろん、お風呂やシャワーなんてないので、普通の人は住もうとは思わないだろう。
さきほど新人ちゃんに『妖精さん』と呼ばれていた凄腕エンジニアは、今、休憩室でカップラーメンを食べていた。身長は新人ちゃんと同じでチビと呼ぶにふさわしく、また髪の毛は伸び放題でボサボサだった。ただ目だけがランランと光っており、なんだか少し興奮しているようだった。
「熱っ」
スープを飲もうとして少し零してしまったようだ。妖精さんの胸元に茶色いシミができてしまっていた。
「浄化」
妖精さんが呪文を唱えると、服についた茶色いシミは浄化され、洗いたての服に戻っていた。この魔法を使えるので、妖精さんがヴァルハラDCに住むことが可能になったのだ。ただ妖精さんも出来ればデータセンターから出て自宅へ帰りたいと思っている。しかし、退館に必要なセキュリティカードをデータセンターのどこかで落としてしまったため、仕方なしに仕事をしながらデータセンターに住んでいるのだ。
いつの日か、自宅に帰って録りためたアニメを見るために今日もセキュリティカードを探すついでにデータセンターで問題が起きていないのか見回るのだった。
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