06
ちょい長めです(当社比)。
よろしくお願いします。
不吉な予感を覚えつつも平和に過ぎた数日の後。仕事中に強引に捕まえられ連れてこられたのは義兄の執務室だった。
現役宰相の執務室。
主人の執務机を中心に、大体の業務内容別に島に分かれた補助文官の机がある。実際以上に広々とした印象を受ける空間で、広く取られた窓側の壁面以外の壁は作り付けの書棚になっており資料が整然と並べられているが、各々の机の上には書きかけの書類以外は置かれていないことがその空間認識に拍車をかけている。
机の上を散らかす程の資料を置いたりする輩は義兄に端的に「使えない」と判断され、また遮る物の何もないことで誰が今何をやっているかを可視化し易くしている。
一切の誤魔化しを許されない、恐ろしい空間である。
なお、私物のうち例外として机上に存在を許されるのは家族の肖像画のみであるが、義兄の机の上は「自分が見ていたい・でも他人には見せたくない・でもでも自慢したい」の葛藤のせいで姉と甥・姪の姿絵が不定期に出現したり隠されたりしている。藪蛇になる確率が高いので、例え新しいものが出現しても大概はスルーだ。もちろん俺もそうする。
そうして直で本題に入った。
「義兄上、なんなんですか?」
大変イライラしている義兄の話は出来れば聞きたくない。できれば。
そう、できないから聞くしかない。
たとえいつもの姉に関する、俺からしたらどうしようもなく、どうにもしょうもない事だとわかっていてもだ。
「なんなんだはこちらのセリフだ。
なんなんだよ。
お前のせいでアレクシアに遠乗りを断られたじゃないか!」
寝耳に水とはこの事だ。
姉に関する事という予想は当たったが、なんで俺のせい?いつぞやみたいに距離を置かれているわけではないが、最近特に連絡したり約束したりした覚えもない。
「義兄上、俺のせいとはどういうことですか?」
「お前の婚約者候補とやらとのお茶会を連日しているだろう!?せっかく今日の午後から時間がとれそうだと連絡したのに、そちらが先約だと断られたんだ!」
俺の婚約者候補!?とのお茶会?
知らないぞ俺は!
誰だ?……まさか?
「クレア・ザムザ嬢ですか?」
是の返事に気が遠くなる。
その間も窓から降り注ぐやわらかな陽の光を物ともせず、義兄の周りだけ暗雲が立ち込めている。補佐の文官達は恐れながらも慣れているため、無言で書類を置いていく以外は離れた場所で仕事をしている。
「姉上…そんなの断ってくれれば…」
「事情は知らない。が、アレクシアは嫌なら追い払うだろう。お前の『自称』恋人なら何十人と切って捨ててきた。だが、彼女のことはアレクシアが気に入っている。」
あぁ、それで姉に認められたから『婚約者候補』なのか……いやいやいや、公爵家当主かつ本人である俺の意思を!
……というか今義兄上がこの話をするということは。
「俺がクレア嬢を誘って姉上を空けろ、と?」
「1時間後に馬車を呼んである。」
一緒に来い、と。
文官達の無言の視線が煌めきを帯びた。この状況の終わりに、そして明日からの状況の改善に期待がこもっている。
「はい。では馬車廻しで。」
俺は急いでその日の緊急分の仕事だけを終えた。
義兄だけでは追い払えないなんて、よほど姉に気に入られたのだろう。とするとクレア嬢をきちんと接待しないと姉がお茶会を決行する。
不吉な予感…いや、もはやこのままでは終わらないだろうという予想だったのか……は見事に当たってしまった。
馬車の中で義兄にさらに詳しい情報を聞くと、めまいがしてきた。
『姉に会いにいく』と出て行ったその日には手紙を出し、翌日から毎日、本当に毎日お茶会をしているらしい。
侍女からの報告では姉も本当に楽しげにしているため、義兄との時間が侵害されなければ特に問題視していなかったとのこと。
クレア嬢の『婚約者候補』扱いも姉の言葉そのものだとまで言われると、背中にゾクゾクしたものが上がってくる。
姉まで取り込むとは何者だ!?
そうこうしているうちにキャベンディッシュ公爵邸に着き、出迎えた執事の「本日のお茶会会場は中庭です」の言葉に着いて行く。
この庭も義兄が整えた。
姉の外出を好まない義兄のトラップの1つだ。薔薇の香りがほのかに漂い、見る場所によって表情を変える見事な庭の中を進んで行くと、いた。
ホントにいた。
2人でにこやかに笑いながら話している。時に上がる声も華やかに、その情景は一服の絵画のようだ。溶けた顔をしている義兄は、俺の方を見た一瞬だけ普段の表情になった。
『仕損じることのなきように。』
そう言う視線を受け止めて、極めてにこやかに(断じて笑顔がひきつってなどいない)2人に声をかけた。
「姉上お久しぶりです。お変わりないですか?」
「あらアーヴィン。いらっしゃい。ええ、変わりないわ。むしろ最近毎日楽しくて調子もいいくらいよ。」
ねぇ?とクレア嬢に視線を投げかける。
彼女もそれを受けて満面の笑みを返している。
「クレア嬢もこんにちは。姉とお茶会をしているようだけど、もしよろしければこの後、一緒に街歩きはいかがですか?」
その言葉を受けて姉は楽しそうに笑う。
「ほら、言ったでしょう?アーヴィンは貴女を誘いに来るって。」
「本当ですね!お姉様!」
魔女は予言をしていたらしい。
どこまでが企みなのか、など考えるのはとうにやめた。
猫のように姉に擦り寄っている義兄はすでに、そんな事を考える意義すら見出せないのだろう。
いそいそと姉を邸の方に促し去って行った。