港町ミッドネル(1)
その日の気温が落ち着き始めた頃、私は窓から射す光で目を覚ました。
硬いベッドと最低限の家具だけを揃えたこの安宿は、どうやら陽射しを防ぐカーテンがないらしい。
遠慮なく降り注ぐ陽射しに若干苛立ちながらも体を起こし、乱雑に脱ぎ捨てられた衣服を見て昨日、いや今朝のことを思い出す。
酒場のカウンターで麦酒を心地よく飲んでいたのは覚えているが、その後の記憶が朧げだ。
しかしながらそんなことも初めての経験というわけでもないので、まぁいいかと呟き立ち上がる。
散らかっていた衣服を回収し、身支度を整え、宿泊料を支払って宿屋の外へ。
広大な海から香る潮の匂いに包まれながら大きな背伸びと欠伸をした後、空腹の私は町の食料品店へ向かうことにした。
波の音、空を飛ぶ海鳥の声も相まって、石畳の上を歩くコツコツという音がとても心地よい。
船の出入りはもちろん、行商人の馬車も多数見受けられるこのミッドネルという港町はかなり栄えており、冒険者の装備品や食料、建材など何でも安価で手に入るため、ここら一帯では「楽園ミッドネル」なんて名で呼ばれることもあるという。
気分良く歩いてはいたがやはり寝起きの私は目的地に到着した今もまだ止まらない欠伸を噛み殺し、余所様用のキリッとした顔をして食料品店の扉を開けた。
木の扉特有のギィという音と扉についている鈴の音が店内に響き渡る。
「いらっしゃい」
カウンターを挟んで椅子に座りながら店主が言う。
店内には私の他にも買い物途中らしき冒険者が2人、それぞれ果実や野菜を抱えて商品棚を見ている。
「こんにちは店主さん。早速で悪いんだけど小麦粉10フラムと卵、あと飲料水が欲しいんだけど。」
「あいよ、卵はお幾つ?」
「4つで。あと飲料水は2ビュート欲しいの。」
「ちょっと待ってな」
そう言って椅子から立ち上がり店の奥へと消える店主。そのまま何もせず待つのも退屈だったので店内を見回る。
色とりどりの果実や野菜はその新鮮さが見て取れるほど生き生きとしており、なんといってもその安さが光るのは塩や香辛料である。
海水からとれる塩が安いのはもちろん、ここミッドネルは香辛料の栽培が盛んな街に最も近い港町であるためその価格もお手頃。
ここで仕入れた香辛料を行商人達が内陸へ運び、倍以上の値段で叩き売るなんて商法もあるほどだ。
「待たせたね姉ちゃん。そら、小麦粉と卵と水だ。」
そうこうしているうちに店主が手に頼んだ物を抱えて戻ってきた。
「ありがとう店主さん。」
「全部で350リュクスだ。」
「はい、350リュクス。それにしても安いけど店主さん大丈夫なの?」
「ん、ありがとうな。他はそうでもねぇが、小麦粉はこれでも値は上がった方なんだぜ?なんでも小麦の畑が次々魔物に襲われてるって話で、仕入先が今減る一方なんだよ。」
「ありゃ、魔物にねぇ。」
魔物には様々いれど、小麦畑を襲うなんて話は滅多にない。というのも基本肉食の魔物は畑に目もくれず、直に人を襲うのだ。
かなり甚大な被害を被っているのだろう、店主の表情はかなり暗い。
「この町の冒険者ギルドにもその手の魔物退治の依頼が殺到してるらしくてな、もう大変だって受付の嬢ちゃんも買出しがてら俺に泣きついてくる始末だ。」
「それはまた大変だね。」
「あんたも冒険者ならギルドで仕事を引き受けてやってくれ。金にもなるし小麦粉ももっと安くなるからよ。」
「ええ、勿論。私は冒険者だし、困っている人がいれば可能な限り手助けするよ。」
「ありがとな。気をつけて行っといで。」
「うん。」
受け取った食料品を持ってその場を去る。
魔物と小麦粉、また厄介な情報を聞いてしまったものだ。
「ま、今のままでも十分安いしめんどくさいから依頼なんてやらないけどね!!」
そう、私はそういう人間。
その日の食事と寝床が確保できればそれでいいし、自分のために冒険者の力を使いたいと考える女であり、他者には全く興味がない。
そのため仲間はおらず、常に一人で行動している。決して友達がいないのではない。断じて。
私は鼻歌を歌いながら宿へ再びチェックインし、食料を確保することにした。
部屋へ入り買ってきた食材をベッドの上に並べる。
その上に軽く手をかざし目を閉じてイメージする。
製造工程を脳内で辿り、完成品まで行き着くと目の前にその完成品が現れる。
私がイメージしたのはシンプルなパン。
「はぁ、やっぱり起き抜けはパン。パンが一番だよね!」
私は魔法で作った即席のパンに噛り付いた。