悪女の末路は狂気と共に
閲覧注意!
カルセア公爵家。
それはハーライル王国屈指の実力派貴族であり、王族の懐刀と言われるほど王族に厚い忠誠を誓っている。この家がある限り国は安泰だと言われ、カルセアの存在を仄めかすだけで隣国が攻めかねる程だった。
そんな名家の嫡子であり、第一王子ディートハルトの婚約者だった少女…レーラは、親友の口から紡がれた言葉に絶望していた。
「嫌だわ、ミーア。冗談はよして」
「生憎、冗談は苦手なの」
「嘘よ。貴女が殿下と婚約するなんて…
ねえ、嘘だと言ってちょうだい。嫌よそんなの」
婚約者が自身との婚約を破棄し親友と結婚すると言ったからだ。
王家が許すはずもない。恐らくは王子の独断だろう。
親友であるミーアは、目尻を下げて溜め息をついた。
「さっきから言ってるでしょう?殿下から婚約を求められた以上断ることは出来ないわ。
……本当は貴女との恋愛を応援していたんだけど、ごめんなさい」
「嫌よ!何で、どうして!?」
レーラは絶望に呑まれるがあまり、ミーアの口角が微かに上がっていることに気が付かなかった。
「ごめんね。レーラ」
「そんなの駄目よ…いや、行かないで!」
「王族を待たせたらいけないわ。ごめんなさい」
ミーアは申し訳なさそうな素振りを見せて屋敷を後にした。
どうしようもないほどの苦しみを抱えたレーラは、周りの目がないことを確認し、嗚咽を漏らした。
「ああ、いい気味」
パーティー会場を目前にしてミーアはくすりと笑みを浮かべる。
これからここでレーラの婚約破棄が行われるのだと思うと、彼女は愉快で仕方がなかった。
地べたを這いずり回って生きてきたミーア。『良い駒になりそうだ』という理由で男爵家に養子にとられて約二年の間、彼女は人心掌握術を必死に学んでいた。
『人の苦しむ顔が見たいから』
そんな理由で彼女は今まで努力を重ねてきた。
生まれつき性格が悪かった彼女は、死に物狂いで貴族が何たるか人が何たるかを学んだ。男爵家に認められるため…では勿論なく、対象に希望を与えてどん底に突き落とすために。
人心掌握術を学ぶ前にも沢山の人を不幸にしてきたが、これまでとは格が違う。相手は天下の公爵令嬢だ。
「たまらないわ」
きっと彼女は何も知らないのだろう。ミーアが彼女の苦痛にまみれた表情を見るためだけに、親友になったふりをしたり王子をたぶらかしたりしたことも。
王子との結婚などどうでも良い。
彼女が苦しんでくれるなら、それだけで良い。
ああ、遂にこの時がやって来た。
ミーアは心の中でほくそ笑む。
パーティーが始まって数時間。婚約破棄はまだかと待ちわびる貴族達の期待に応えるように、王子はゆっくり口にした。
「私はカルセア公爵令嬢との婚約を破棄する。そして、ミーア・ラファレと結婚すると誓おう!」
ざわめくホール内。
それも当然のことではある。王家の方針から逸脱した決定を、聡明と名高い第一王子が下したからだ。忠臣を切る真似をすれば国の基盤が崩れかねないと分かっているだろうに。
「………殿下。これは国を揺るがしかねない決断です。お気持ちは有り難いですが、もし本当に破棄なさると言うのなら責任をもって国を建て直して下さい」
ミーアとしては、国がどうなろうがどうでも良いし自分でない誰かがどんな辛い目に遭おうが知ったことではない。
だが、それではいつか糾弾される時が来る。だからこそ彼女は国の未来を案じたふりをした。
権力に逆らえず、親友の婚約者を奪い国を揺るがすことに手を貸したものの、民のことを考えて王子を止めようとした少女。
これだけである程度の同情は得られるはずだ。
王子は憂い顔のミーアを見て優しく微笑む。
「君らしいな。分かった、それでは…」
全ては上手くいったと思っていた。計算通りだと。
だが、違った。
「死ね!盗人が!
私から奪おうとしてんじゃないわよ!」
聞き覚えのある怒声と共に、ミーアの視界が真っ赤に染まった。
意識を失う間際、
『馬鹿ね。人を不幸にする人はいつか報いを受けるわ。
そんなことも知らないで。ああ、貴女は何て愚かなんでしょう』
何故だかそんな言葉が聞こえた気がした。
体が重い。胸が苦しい。
「ん…」
ミーアはハッと目を覚ました。
何か嫌な夢でも見ていたのだろうか。
体の震えは止まらず、動悸も乱れ、脂汗が額を伝っている。
現状を確認しようと上体を起こしたところで、ミーアは恐るべきものを目にした。
「目を覚ましたのね!良かったわ」
レーラだ。歓喜に溢れた表情を浮かべる少女だ。
心配そうな顔をして濡らしたハンカチでミーアの顔を拭いているその姿には、一切の悪意は見られない。
「ここは…?」
「別荘の地下よ。ショッキングなものを見せちゃったからもう暫くは目覚めないかもって思ってたけど、本当に良かったわ!」
ショッキング?何の話をしているのだろう。
口の中が異常にパサつくが、それを気にせず、ミーアはゆっくりと問い掛けた。
「何の話をしてるの…?」
「え?盗人の処刑の話だけれど…どうしたの?大丈夫?」
「盗人…?何を、言って…………
あ、ぁ、あぁぁぁ…!」
思い出した。
血飛沫が顔にはね、
王子の首がごろごろと床で転がって。
地獄絵図と化したパーティー会場で、
レーラは血がついた細い糸を持って笑っていたのだ。
「ひっ…人殺し!悪魔!私のところに来ないで!」
悪寒が走る。
意味が分からない。イミガワカラナイ。
「ごめんなさい。貴女が怯えてしまうことも考えずに殺してしまうなんて、私ったら浅慮にも程があったわね」
違う、そんな問題ではない、と。心を読むことに長けているはずのミーアは久方ぶりに恐怖を感じた。
彼女の思考回路が全く理解できない。
「貴女が、殺人なんて…」
レーラは聡明であり、かつ公爵令嬢という地位を有している。そんな彼女が殺人という過ちを犯すなど、ミーアは欠片も考えてもいなかった。だからこそ「殺されたりはしないだろう」と高を括って婚約を受けたのだ。
それなのに。
「私ね、貴女と出逢ってから人生が煌めいて見えたの!
親友だって言ってくれた時は嬉しくて泣いちゃったわね。私がうじうじしている時は背中を押してくれたわね。楽しいことがあったら一緒に喜んで、悲しいことがあったら一緒に泣いて。
他の人にとっては当たり前だったそれは私には与えられなくて。お父様もお母様も殿下も、誰も誰も誰もくれなかった。
でも貴女は違ったわ。出し惜しみなんてしなかった。周りの目なんか気にしないで、私に手を差し伸べてくれた」
嫌だ。その先は聞きたくない。
「そんな貴女が悲しんでた。殿下と婚約したら私達の絆が揺らぐかもしれないって思ったからでしょう?
殿下のことは好きだったわ。でも貴女を悲しませるくらいなら殺してしまった方が良いと思ったの。だから私は…」
「止めて!もう良い!」
ミーアは気付けばそう叫んでいた。
地下からの階段を上って、脇目もふらずに地上を目指す。
知らない。あんなのは知らない。
「待って!逃げないで!
私のことが怖いでしょう?でも仕方がないの!貴女が私に幸せをくれたんだから、私も貴女に幸せになって貰わなきゃ困るの!」
狂ったような声をあげて追い掛けてくるレーラ。
ミーアは泣きながら彼女から距離をとる。
「許して!もうしないから!だからお願い、来ないで!」
玄関が見えた。扉を開けたら人通りの多い道はすぐそこだ。
以前来たときだって馬車も沢山走っていた。彼等に助けを求めれば良い。希望はすぐそこにある。
扉を開け、確認もせずミーアは飛び出した。
「何を言ってるの?逃げないで!…ねえ、ねえってば!」
危ない、という声が聞こえた頃には、馬車に突き飛ばされ、レーラの体は空に舞っていた。
一人の旅人が、休息を求めて酒場に入って来た。
その酒場はザーン共和国の中でも特に賑わっている。嘗て大国と言われていたハーライル王国の同盟国であるそこでは、あらゆる噂が飛び交っていた。
その中でも特に騒がれているのはハーライルが隣国に滅ぼされたというものだ。
気晴らしになりそうだと考え、旅人はさりげなく話のする方向へ耳を傾けた。
「同盟国が滅んだ理由が聞きたいって?何だ、情報に疎いねえ。まだ知らないのかい。
レーラっていう別嬪さんがいただろう?…え?忘れたって?昔こっちに来てたじゃないか。天真爛漫な子だよ。
婚約者が親友を好きになって絶望したんだろうね、切れ味が抜群な暗殺用の糸で王子の首をバッサリ切っちまったのさ。しかもその後気絶した親友と王子の生首を抱えて近衛騎士達の包囲網を潜り抜けたってんだから恐ろしいもんだろ?
え、その親友はどうなったかって?馬車に轢かれて病院に搬送されたらしいんだけどね、奇跡的に命に別状はなかったらしい。全治半年って診断されたみたいだ。
けどね、そのすぐ後に行方を眩ませちまったんだってさ。おかしいだろう?一人で動けないはずの子が忽然と姿を消すなんて。
誰かが迎えに来たのかねえ?」
ミーアが普通にレーラと接していたらハッピーエンドで終わったのに、どん底に叩き落とそうと自分に依存させたせいでこうなりました。
レーラは無垢な子です。故の狂気エンド。