90・神の涙
「……本当、また会うとは思いませんでしたよ」
警戒するように杖を持ち、油断なく現れたあの男――イグニスを睨みます。
「ウィラメデスの障壁を破るためにキミが指揮をとっていたようだね」
こちらの警戒など気にした様子もなく、彼は目の前で起こっている戦いを見ています。このゴンドラ乗り場からはウィラメデスと戦うプレイヤーたちの姿がよく見えました。
「ええ、そうです。かの魔獣には申し訳ありませんが、星の石碑を壊されるわけにはいきませんからね」
「クロエの言う通りだ。星の石碑は土地の魔力を保つ役割を担っておる。それを壊せばこの地の魔力が乱れ、暴走し、自然災害などの引き金になりかねん。それを分かっていて、貴様らはこのような事をしたのか!」
……“死に戻り”以外にも星の石碑は土地に対しても恩恵を与えていたんですね。そんな重要な役割だったんですか。
「知っているさ。だからこそ、星の石碑を壊してみたかったよ。……今の状態だとそれは無理そうなのが残念だけど」
がっかりとしたようにイグニスは肩を落としました。……ウィラメデスはシールドを破られたことで、攻撃が通じるようになりました。まだ倒れる気配はありませんが、このままいけば倒せるでしょう。
「あなたならそう言うだろうと思いましたよ。あの地の封印を壊そうとした時と同じですね」
「ふふ、そうだね。あの封印も壊してみたかったなぁ……そしたら混沌の力が溢れ出てきただろうし……その力を見てみたかったよ」
「――貴様の言うことだ。冗談だと思っていたが……まさか本気でそう思っていたとはな」
イグニスの後ろから声が聞こえてくる。こちらに向けて歩いてくるのはイグニスと同じ赤ローブ姿の背の高い男。
同じなのはそれだけでなく、彼もまたフードを被っていません。少し尖った耳を持つ、ハーフエルフらしきメガネを掛けた男でした。
「混沌をそのまま封印から解放できたとしても、貴様自身も飲み込まれただけであろうに」
「そんなの分かってるよ。ちょっとした興味ってやつでその時は思わず行動しちゃっただけ。今は思ってないからね? 本当だよ?」
「……ふん、機会があればやるつもりだろう」
ハーフエルフの男の声には覚えがありました。そう、あの時。ウィラメデスが出てきた時に街の全員に向けて喋っていた――
「総員に告ぐ。作戦Aは失敗。これより作戦Bを始める。――ウィラメデスを倒せ!」
あの時と同じ声が響く。他でもない、ウィラメデスを解放したと言っていた声が。
それと同じくして、戦場に赤い姿の集団が現れました。
彼らと同じ赤ローブの集団――【赤き混沌の使徒団】。
先程の命令に従うように、赤フードの集団もウィラメデスに攻撃を始めました。
「……なぜ? どうしてウィラメデスを攻撃するのですか!」
「貴様ら……何が目的だ!」
私の声とルシールさんの声が重なる。
彼らの目的が分からない。
ウィラメデスを解放したのは、街を破壊尽くし混沌をもたらすためではなかったのですか?
「ところで、貴様らはなんだ?」
そこで初めてこちらをまっすぐ見てきたハーフエルフの男。
外套のように羽織られた赤いローブ姿なのは変わりありません。その下の服装をよくみると紺色の裾の長い服でどこか神官のような服装に見えますね。それも赤のローブとは別の教団と思われます。
「その服は……【星の教会】の神官か!」
「まさか猫に指摘されるとはな」
ルシールさんを見て神官らしい男は少し目を細めましたが、猫に話しかけられたことも、神官だと当てられたことに対してもとくに気にとめていない様子でした。
「なぜ、教会の神官がそのような教団に属しておる……」
「もちろん、星の神々のためにだが……いけないかね?」
「……教会はいつの間にそこまで落ちたか」
「教会の連中を庇護するわけではないが、私は教会側から追放された人間だ。追放されはしたが、それでも星の神々を信仰している。だからこそ、その証としてこの服を着ているのだがね」
神官服を見せつけるように、赤のローブを持ち上げて男は言う。……こんな人間が組織に命令を出していたとは……本当にこの組織は理解がし難い。
「貴様の新しい遊び相手か、イグニス?」
「まぁそんなところだよ、オズワルド」
オズワルドと呼んだ男にイグニスはそう返す。この男も、純粋に混沌を信仰しているわけでもなさそうですね。
「……あなたたちの目的はなんですか? 混沌の封印を解こうとするも、それを信仰しているわけでもない。かの魔獣に手を貸し解き放ったかと思えば、今度は手のひらを返して倒そうとする……あなたたちは一体何がしたいのですか!」
「そりゃぁもちろん……ボクたちの目的のためだよ」
ニッコリと笑みを浮かべてイグニスが答えました。
「ウィラメデスが倒されるまで暇だから答えてあげよう! ボクもオズワルドも個人的目的のために動いている。そのためにこの赤いローブを着ているに過ぎないのさ。本当に混沌を信仰するならフードなんて取らない。顔のない、自我もない、ただの混沌の化身として動くのが赤き混沌の使徒団の鉄則だからね。顔が必要な指揮官でさえ、仮面を付けるよ。そんな組織の中で顔がある者なんて、ボクたちみたいな組織の力を利用している奴だ」
「……そんなんでよく組織の人間は言うことを聞きますね」
指示を出す人間が混沌を信仰していないような者でも従うのが、不思議でした。今回の組織の指揮官はオズワルドでしょう。ですが、オズワルドは見て分かる通り、追放されたとはいえ星の教会の神官です。
敵といっていい者の指示を聞くとは思えませんでした。
「こいつらは混沌の化身として、破壊と混沌を世界にもたらせればいいと考えている。トップの行動が個人的目的であっても、破壊と混沌に繋がるならどんな命令でも従うような輩ばかりだ。たとえそうでなくても、破壊行為ができればいいとさえ思っている奴もいる……非常識の塊のような連中だ。だからこそ利用価値があるのだがな」
……なるほど。組織の名の通り、混沌な組織ですね。
「ところで話は変わるけど……あの魔獣ウィラメデスはどうしてあそこまでの力を持っていると思う?」
ウィラメデスの力? ……ウィラメデスは確かストーンローラー種の突然変異体だと聞きました。ストーンローラーが変異した際にその力を持ったのでは?
……待ってください。ストーンローラーって食べた鉱石が背中に現れるんでしたよね?
そしてその鉱石の力を持つとも……ルシールさんが言っていたではありませんでしたか。
思わずウィラメデスを見る。その背には登ってきた朝日の光を受けて、美しく輝く石がありました。
「ウィラメデスの力の源は……食べた鉱石の力……」
「だが、あれほどのまでに成長を促すような鉱石など聞いたことがないぞ!」
「キミたちはまだわからないのかい? 誰でも一度は見たことがあると思うけど、特に死んだ時とかにさぁ」
――クォォォォォオオオオォォォォオオ!!
その時、ウィラメデスの声が再び轟きました。最初に聞いた雄叫びと違い、力の弱い……断末魔のような声。
ウィラメデスの体が朝日を背に周囲にあった家を巻き込みながら、ゆっくりと倒れていく。
《エピッククエスト:【魔獣ウィラメデス討伐】を達成:評価ランクA:おめでとうございます。ボーナススキルポイントを4P獲得しました》
《称号:【魔獣を倒した者たち】を獲得しました》
《今回のエピッククエストの動画をヒストリーにアップロードしますか?》
……どうやらウィラメデスを本当に倒したようですね。こうして通知が現れたのですから。
ですが、これで終わりではないようです。
倒れたウィラメデスの巨体が光に包まれ、背にあった鉱石の山も光り輝く。やがて光は収束しウィラメデスの亡骸から離れ、宙に浮きました。亡骸の背に光の鉱石はない。
街の上空には光り輝く虹の鉱石が浮いていました。
「おお! やはり【神の涙】を飲み込んでいたか!」
――【神の涙】? ……それって確か、あぁそういうことですか!
星の神々が流した涙と呼ばれる、勇者たちの力の根源でもあり、【星の石碑】や【封印の星石】など、この世界を守る星神の力じゃないですか!
そんな星神の力を飲み込んでいれば、あんな力を持っていたのも納得です。
「これより、【神の涙】の奪取を開始する! 総員、【神の涙】を守り、邪魔をする者は排除しろ!」
オズワルドが指示を飛ばす。その声はきっと魔術通信を通じて、赤フードの手下たちに届いているでしょう。
「クロエ、このような輩に【神の涙】を盗られてはならん! なんとしても止めるのだ!」
「分かっていますけど……!」
見ればオズワルドは魔術書を開き、魔法を詠唱している。……ルシールさん経由でわかった情報では、どうやら大型の転移魔法を唱えているようです。あの転移魔法を使い、【神の涙】をどこかへ移動させるつもりでしょう。
「オズワルドの邪魔はさせないからね」
オズワルドを止めようと魔法を放ちますが、魔法の障壁に阻まれる。
考えるまでもなく、イグニスの仕業です。
「……あっ、ちょっとやめてよ!」
突然、驚いた表情をし声を上げました。その声を無視して魔法の詠唱を続けようとした時、背後に人の気配を感じました。
「……えっ」
――背中を斬られたような感覚がした。一瞬でHPが消えた。視界が灰色になる。
動かなくなる前に体を無理矢理後ろへ向ける。私の後ろにいたのは――見覚えるのある人物でした。
「どうして……なぜ……ツバキさんが……」
「これも任務でござるゆえ」
後ろに倒れていく視界の中で、感情のない目をしたツバキさんと目が合いました。ハクの姿も見える。一体どこから現れたというのでしょうか。まったく気が付きませんでした。
「ねぇ、やめてって言ったよね? 勝手にボクの遊び相手を殺さないで欲しいなぁ」
「拙者はオズワルド殿を守れと、依頼主から仰せつかっている。そのための行動をしたにすぎないでござるよ」
視界の端で召喚状態が保てなくなったニルが消えていく。ルシールさんも消えたでしょう。ログアウト時と違い、死亡状態になった場合は召喚された使い魔は例外なく消えるようですから。
憑依が解け黒猫のベルに戻り、私に対して鳴いていました。
「オズワルドー、あいつに言っておいてよ! あんたの寄越した護衛が、余計なお節介をしてくれたってさぁ」
「貴様が言え。大体、貴様は遊びが過ぎる。もう少し真面目にやれんのか」
「これでも今回は真面目にやってるほうだけどなぁ……」
イグニスはそう答えた後、地面に倒れた私に近づいてきました。
「ごめんね、さっきキミとの戦いの時にフェニックスの力を使っちゃったから、キミの傷を癒やすことはできないんだ」
「あなたの施しなど……もう受けるつもりもありませんよ」
「あははっずいぶんと嫌われちゃったなぁー」
そう言っている割には嬉しそうに言う。
嫌悪の込めた視線向けるたびに、彼は逆に喜んでいるように見えます。……実はドMなんですか?
「――転送魔法陣構築。座標地点設定完了。……イグニス、もう少し遊ぶつもりなら置いていくが?」
「今回はもういいよ。また今度にするから……あっ待って、最後に一つだけあった」
オズワルドの言葉に話を切り上げて戻ろうした時、急に思い出したようにイグニスがこちらを振り返えりました。
「キミが探していた男の子のことだけど……実は知ってたよ」
「――なっ!」
「お守りを持った茶髪の男の子でしょ? 混沌化しないからって言って顔なしの部下が連れてきたんだ。ほら、ノッポのあいつがね。たぶんポコも知っていただろうね。あの二人はいつも一緒だからさ。いやぁ、彼には感謝してるよ、赤い霧がお守りを持っていると効かない欠陥品だと教えてくれたからね!」
クリンくんは連れ去られたと証言した本人が連れ去った犯人だったとは。……あの黒うさぎぃ。
「クリンくんはどこに……!」
「彼なら今頃、街のどこかにいるんじゃないかな? ……まぁ、生きていたならの話だけどさ」
「……どういう意味ですか」
「さぁ、どういう意味だろうね」
その時でした。カイルさんからチャットが入りました。
『クロエ、大変だ! クリンくんを見つけたが……混沌化している。それも今までの効果の薄いものじゃない、まるでルシールさんの時のようだ!』
「……イグニス!」
「わぁ、初めて名前を呼んでくれたね! 嬉しいな!」
とっさにイグニスを睨めば、彼は歪めた笑みで言う。
「バレてしまったようだから言うけど、純粋な混沌石なんて滅多にない代物だ、その代わりとなるものを作り出す研究をボクはしていてね。赤い霧を街中に撒いていたのはこの実験のためだ。混沌化の影響に関するデータが必要だったからね。だけど、まだまだデータは足りないから……あの男の子には実験体になってもらったよ。高濃度の赤い霧の成分を彼に飲ませてみたんだけど……理性をなくして大暴れ。手がつけられないから閉じ込めてたけど、屋敷を出た時についでに放しておいたよ。キミが探しているみたいだったからさ。ねっ優しいでしょ?」
「何が優しいですか! この外道野郎!」
「口悪いなぁ、キミらしくもない。いや、むしろそれだけ怒ってるのかな?」
イグニスの喜びようといったら……。クロエの罵倒も、睨みも、嫌悪の気持ちも、彼の嗜虐心を満たすだけのものにしかならないようです。……これから言うことも喜びそうですね。でも、言うしかないのです。クロエだったら言うのですからね。
「待ちなさい……イグニス!」
立ち去ろうとする背に向けて、怒りをぶつけるように言う。
「今日のことは忘れるものですか……。改めて思いました。――私はあなたの事が大嫌いです。いつか、あなたに目に物を見せて差し上げましょう。これは私に与えられた使命のためでも、正義感からでもない……単純に、あなたの存在を許すことができないからです!」
地面に倒れながらも、牙を向ける獣のようにイグニスを睨む。
「うん、楽しみに待っているよ!」
まるでプレゼントを心待ちにする子供のような笑顔をして、イグニスは言いました。
「イグニス、置いていくぞ」
「あっごめん、つい話しすぎた。……じゃあね、クロエ。また会おう」
オズワルドの転移魔法によってイグニス、それからツバキさんの姿が消えました。
……もちろん、街の上空に存在していた【神の涙】共々。




