82・生者であり死者である者
左右を建物に挟まれた広い通り。飛んできた私たちを見てか、通りすがりの住人たちが何事かと離れた場所から見てきています。その先の頭上には、この街のどこにいても見えるゴンドラリフトがゆっくりと動いていました。
そんな通りの中心で、相対したイグニスを睨みつける。相変わらず容姿も相まってまるで子供のような笑みを浮かべている。余裕そうなその態度、クロエにとっては腹立たしいですね。
「なぜ使い魔なのに猫に憑依させているのか……それは使い魔としてきちんと具現できないからだ。そう考えるとキミが契約しているその使い魔は、キミが正しく召喚できないほどに相当な力を持つ存在だと思われる。さらに言わせれば、キミは先程の赤い霧の中でも混沌に狂うこともなく正常でいた。お守りも持たず、さらには勇者でもないのに……。その猫がルシールの使い魔だったところも考えると出てくる答えは一つだ。――猫に憑依しているキミの使い魔はルシールで、キミは封印の守護者を引き継いだということになるかな。違う?」
全て、彼の予想なのでしょう。ですがその通りだと言わざるをえません。
「……もう少しお前さんが馬鹿であればよかったよ」
……どうやらルシールさんはもう隠すつもりもないようです。ここまで見抜かれてしまっては、白を切っても意味ありませんからね。
「やぁ、ルシール。久しぶりだね」
「あぁ、本当。何年ぶりだろうね。まさかこうしてお前さんと出会うなど思ってもみなかったよ」
どうやらルシールさんは過去にイグニスと出会ったことがあるようですね。
「…………えっいつ会ったっけ? ボクは覚えがないなぁ」
対してイグニスは覚えていなかったようです。……その表情には驚きというより困惑したような表情も混じっていました。
「お前さんは小さかったからの。覚えていないのも無理はない」
「あぁそうだったんだね。……あなたのことは伝え聞いていたけれど、まさか会っていたとは思ってもみなかったよ」
どこかほっとした風にイグニスが言う。……その後続いた言葉は、どこか慎重そうに選んだ言葉を言っているようでした。なんでしょうか……この二人の会話は噛み合っているはずなのに、どこか噛み合っていないように感じます。
「アーヴァイン公が私のことをお前さんに話すとは思ってもみなかったの。……なぁそうであろう? 魔法都市ユニレイ、その都市を治める魔術公爵家の子息。イグニス・エルドレッド・クロスリングよ」
「…………随分と懐かしい名前だ。我が父に絶縁されてからというもの、ボクをその名で呼ぶ人は誰一人いなかったからね。……ところで」
一瞬昔を懐かしむようにしていたイグニスでしたが、次にルシールさんを見るとその目元は険しいものになっていました。
「どうしてルシールが生きているんだ? あなたはあの時混沌の力に呪われて、死んだはずじゃないか」
とっさにルシールさんが後ろに下がったかと思うと、ルシールさんがいた場所に風の刃が飛んでくる。これは私もよく使う【ウィンドカッター】ですね。元の魔法が詠唱なしなので、今回は先程の力使わなかったのかは分かりません。
「死ぬはずだったのに……使い魔になってこの現世に留まっているとは……。あなたという高位の魔術師が、まさか使い魔という身分に身を落とすなんて思っても見なかったよ。しかも相手はまだまだ未熟な見習いときた。ボクはこれでもあなたに敬意を払っていたつもりだけど……そこまで落ちぶれてしまうとは魔術師の風上にも置けないなぁ!」
確かに使い魔として人間が契約するのはあまりないかもしれません。モンスターや動物などが基本的な対象となる使い魔です。その契約を結んだということは、彼らと同じ身分まで落ちたとも言えましょう。
さらにいえばルシールさんは私より高位の魔術師。その高位の魔術師が使い魔の身分に落ちただけでなく、見習いの使い魔になったとあれば魔術師としての威厳がない。
「確かに死にたくないという欲は誰だって持つものだ。だけど、自然の道理を捻じ曲げてまで生きるのは違わないかい?」
「……貴様が私の命を奪ったようなものだというのに、よく言うわ」
「そうだね、ボクが殺したようなもんだ。いや、殺したはずだった。……ボクがあなたを壊したはずなのに……それでもまだ魂を現世に留めている。……彼女の魂を留めているのはクロエ、キミだね?」
イグニスから笑顔が消えている。鋭く尖った剣の切っ先のような目が私を見ていた。
「死者に手向けるべきは花だ。けして救いを与えたりしてはならないよ。だってルシールには救いを得る資格はないのだからね」
「……ルシールさんはまだ死んではいません」
「いいや、ルシールは死んだも同然。使い魔との契約を解けば、ルシールは死ぬ。その定めはもう決まってしまったんだ。そうでなきゃ、ルシールがキミと契約なんてしないはずだろう? 彼女が死なずに生き続けるためには、使い魔となるしかなかったからだ。……使い魔は魂の契約。キミの魂と契約したことで、ルシールの肉体と魂が分離されただけ……キミがしているのは彼女の死を先延ばしにしただけに過ぎないんだよ」
使い魔となった対象は肉体を失う。代わりに契約者が新たな肉体を作り出し、その肉体を使うことになる。ルシールさんの肉体はすでに混沌に呪われてしまっていました。
今は使い魔となったことで、肉体から離れることができましたが、契約を解けば魂は肉体に戻る。そうなればどうなるかなんて、分かりきっています。
「ルシールは救われたわけじゃない。……死者でも生者でもない死にぞこないをキミは連れている」
「……だからなんだというのです。死にぞこないを連れ歩いて何が悪い」
「悪いに決まってるじゃないか。輝かしい生があるからこそ死という名の絶望を与えられ……死があるからこそ生きようと必死に足掻く者の儚い希望を壊すことができる。……だから、死なないものの存在を許せなるわけないんだよ。認めてしまったら、壊すことの価値が薄れてしまうじゃないか」
物が壊れていく様を見るのが楽しいと言った所でしょう。他人が一生懸命砂浜で作った砂の城を無慈悲にも破壊するような楽しさなのかもしれません。
もしそれが壊れない砂の城だったら、まぁ確かに納得できませんよね。砂の城という脆いもののはずなのに、まったく壊れないんですから。
……たとえが悪かったのかも知れません。なんだかイグニスの子供ぽさも相まって砂場に現れたいじめっ子に見えてしまいました。
ですが、少し分かります。死ぬはずだったルシールさんを、歪な形で延命させている。果たしてこの形は正解なのでしょうか。
「……さっきの蘇生された獣人の子とルシールの死とは訳が違う。猫の彼女はまだチャンスがあったからね。蘇生が失敗しても重傷なら星の石碑が彼女を呼び寄せる。……だけどルシールは違うでしょ? 星の石碑にまで見放されたというのは、もう助かる見込みがないという意味だよ。蘇生魔法でも星神の力でさえ救えない、死の定めだったというのに……キミがその運命を遠ざけたんだ」
この世界の住人達は星の石碑の力があれば、重傷を受けたとしても大丈夫です。ですが、星の石碑でも治せない致命傷、もしくは石碑との繋がりが何らかの方法で絶ち切られた場合は除かれる。
ルシールさんの体はすでに混沌によって蝕まれています。その混沌を祓っても無理なダメージが体に残ってしまっている。何を処置しても……無理な体でしょう。ルシールさんの心臓はすでに止まっているようなものです。
――ですが、それでも。
「……ルシールさんはまだここにいます。ルシールさんがここにいるということこそが、まだ死ぬ定めではないということですよ」
「じゃあ聞くがキミはルシールを助けられる術を知っているの?」
「そんなもの知りません。ですがいつか見つければ良いことです」
「見つからなかったらどうするつもりなの?」
「たとえ見つからなくても……私が生きてルシールさんと契約をしている限り、彼女は死にませんから」
私の答えに、イグニスはやれやれと呆れたように首を振る。
「……あぁ、そうだね。確かに死なない。キミの命を利用してルシールは生きるだろうね。まるで寄生虫のように。……ルシール、あなたはどうしてクロエと契約をした? そこまでして生きたかったの?」
「……私は、そんなつもりは――」
「何が違うっていうの? あぁ、むしろあなたはそういう人間だったからこそ、とった選択だったのかな? うら若き少女の慈悲に便乗して、意地汚くも生き残ろうとするとは……まさしく性根の腐った悪女らしい、実に素晴らしいよ!」
イグニスの言葉にルシールさんが押し黙る。……確かにイグニスの言う通り、使い魔の契約で彼女の命は、クロエの命のおかげで延命しているようなものでしょう。それを寄生虫扱いとは……。
「さっきから好き勝手言いたい放題言ってくれますね。ですが、あなたの言っていることは見当違いですよ」
「ボクは事実を言ったまでだと思うけど?」
「まぁあなたの言うことに事実も含まれるでしょう。ですが、ルシールさんが私を利用しているなんてことはありません。むしろ逆ですよ。私が彼女を利用しているのですからね」
私から目を反らしていたルシールさんが、こちらを見る。猫目の青い瞳の奥、本当の彼女に言い聞かせるように話します。
「契約を持ち出したのは誰でしたか? ルシールさんではなく、私です。魔術師として豊富な知識を持つあなた自身を失うのは惜しく思い、そして私の師としてあなたが欲しかった……だから私は死にゆくはずだったあなたに契約を持ち出したのです。すでに死の覚悟をしていたあなたを引き止めたのは私なので、ルシールさんが責任を負って悩む必要もなければ、いわれのない言葉を受ける必要もありませんよ」
「クロエ……」
「まぁ、そういう訳ですからできればもう少しだけでも、師匠らしいことをして欲しい所ですけれどね」
「……お前さんはいつも一言多いぞ」
「あら、それは失礼しました」
冗談めかして笑うと、今まで下がっていた黒猫の尻尾や耳が上がりました。ルシールさんはこうでなくては。
「さて、あなたの言葉がどれだけ見当違いであったか分かりましたか?」
「あぁ、そうだね。キミたちの契約の経緯は十分分かったよ。だけど、どんな理由があろうとやっぱりルシールの存在は許せないね。死者に変わりないわけだし」
イグニスの考えは変わらないようです。まぁこの人にいくら何を言った所でダメなのは分かりきっていましたが。
「そろそろお喋りも止めにしよう」
子供ぽい笑みを浮かべて、イグニスはいいました。




