81・その者の名は
「ブルーイくん、アジーちゃんの蘇生を!」
「はい!」
倒れたアジーちゃんのことをブルーイくんとアールに頼み、私は彼らを守るように道の真ん中に立ちます。
「ずいぶんと怖い顔をするね」
……そう言って笑うあの男が少し怖い。
先程アジーちゃんを焼いたあの火球の魔法。多分火魔法の【ファイヤーショット】だと思われます。……それの魔法の詠唱をしている姿を見ませんでした。エフェクトも、音も、仕草もなかった。まるで無詠唱で魔法を起こしたかのようです。
しかも、彼は武器すら持っていない。格闘系スキルなど例外はありますが、基本的には杖など武器を装備しないとスキルが発動できません。特に魔法のスキルはそうです。
それだというのに、彼は【ファイヤーショット】を撃ちました。その一撃をもってアジーちゃんを――
……――違う、これはッ!?
その魔法だけではありませんでした。ログには、なんとほぼ同時に四つも発動された魔法の痕跡が残されていました。【魔法知識】の判定によって使われた魔法が判明し、【ファイヤーショット】【フレイムビート】【ヒートバースト】【フレイムスパーク】の計四つ。
――まさか四重詠唱?
いやでも、四重詠唱なんて聞いたことがないですよ!? 魔法知識で得られるのは二重詠唱までのはず……。三重詠唱の存在がこの前初めて騒がれていたのを見たくらいですよ!?
しかもですよ。四重詠唱に無詠唱持ちって……なんですかこのチート持ちは!!??
「あなた、一体何者ですか……!」
このセリフ、どうせなら自分が言われる方になりたかった……。でもちょっと言ってみたかったセリフを彼にぶつけます。
本当、あなたは何者なんですか。これで中身が人だったら私は運営に抗議しに行く準備を始めたほうが良いかも知れない。いえ、私もわりと人のことを言えた立場ではないのでしょうが……でも、これはないでしょう?
「――ふふっ。そういえば、キミにもう一度あったらその時に名前を教えてあげるって言ってたよね」
私の心を知ってか知らずか、あの男が笑う。そしてフードに手をかけた。
「今日は顔なし組に混じってるつもりだったけど……キミがいるなら顔出ししないとね?」
指輪のはめられた細い指がフードを取り払う。赤いフードの下から、その赤とあまり変わらない赤い髪が現れました。左目は少し赤い髪が掛かり見えづらいです。
反対側は耳に髪を掛けているため、その右目はよく見える。燃える火の中心のような色をした瞳が愉快そうにこちらを覗いていた。
「改めまして……ボクは【赤き混沌の使徒団】、顔出し組のイグニスだ。どうぞよろしく」
胸に手を置き優雅に一礼をして微笑む、イグニスと名乗った男。その笑みは童顔なこともあってさらに子供ぽく見えました。
「よっしゃー! 私、復活!」
その時でした。元気のいいアジーちゃんの声が後ろから聞こえてきます。どうやらブルーイくんの蘇生魔法が終わったようです。
「アジーちゃん、すぐにあの兎を追いかけてください!」
「うん、了解だよ!」
復活したアジーちゃんが壁に向かって走り始めました。
「悪いけど、ポコを追わせたりは――」
「私の相手をしてくれるのでしょう? ……なら付き合ってもらいますよ!」
魔法を扱う素振りを見せたイグニスに向けて、私は杖からホウキに持ち替え飛び乗り突っ込みました。飛びながら【エアショック】を詠唱し放ったので、その風圧を受けて弾丸のようなスピードで飛び出しました。
「……ッ!?」
さすがにこの行動は読めなかったのでしょう。今までの澄ました顔が驚きに満ちています。してやったりです。
避けようとした彼の首元を掴み、そのまま引きずるように飛び続ける。それによって、狙いが狂ったのでしょう、放たれた火の魔法はアジーちゃんに当たることはありませんでした。
そのまま通りに出て飛び続けますが、二人分の重量のせいで飛行速度が落ちていく。
「いい加減、手を離して欲しいな!」
イグニスの手元から魔法が発動されました。風の塊を避ける為に、イグニスから手を放してしまいます。
……この魔法は【エアショック】ですね。私が先程使った魔法と同じものです。この魔法の詠唱時間は三秒。詠唱エフェクトも現れていたところを見るに、イグニスはあの力を使いませんでしたね。
「……まぁポコは大丈夫でしょ。それよりキミがボクに構ってくれるようだから、キミの相手を優先しなきゃね」
乱れた襟元を直しながら立ち上がったイグニスの前に、私はホウキから降り立ちます。彼の手元にはいつの間にか細いステッキがありました。どうやらあれが彼の武器のようですね。
「それは嬉しいですね。こちらとしても、あなたには色々と返したい借りがありましたから」
こうやって一対一になったのも、クロエ自身が望んだことです。この男のことは気に食わないクロエですから、仕返しができるタイミングを見計らっていました。
『クロエさん、大丈夫ですか?』
ブルーイくんからパーティ通信が入りました。目の前のイグニスの行動に気をつけつつ、その通信に答えます。
『ええ、こちらは何も問題ありません。ブルーイくんも私のことは気にせず彼女を追ってください。今優先すべきは鍵の奪還です。この男の相手は私がしていますから』
『……分かりました!』
『アールの事も頼みました』
アールはその場に置いてきてしまいました。なので、アールのことはブルーイくん達に任せましょう。
『やはり……あの男はイグニスであったか』
『ルシールさん、知っているんですか?』
気づいたら付いて来ていたルシールさんを見る。前々からルシールさんはイグニスの正体について、知っているような口ぶりでしたがどうやら確信を得たようです。
「……その黒猫、見覚えがあるなぁ。まさかそれ……ルシールだったりしない?」
……あぁ、一番知られたくない相手に感づかれましたね。
「まさか……この猫は私の使い魔ですよ。ルシールさんなわけないじゃないですか」
「そう? …………違うね。使い魔じゃない。それは普通の猫だ」
どうしてそんなことが分かったのでしょうか? ……いや、何かしらのスキルで判定をすれば、使い魔ではなく普通の猫だと分かるのかも知れません。
それにしても……イグニスの視線は黒猫を見ていない。
だからと言って私を見ているわけでもない。何かを見るように右側を見ていました。右側には何もないはずなのに……。
思わず私も右側を見る。メニューアイコンやマップアイコンがあるだけで、視界には何もなくて……何も?
すぐに目線を左側に移す。私から見てイグニスは右側を見ていますが、彼の視点では左側を見ているはずです。左側にはあらゆる情報を表示したログウィンドウがあります。
先程彼が扱った魔法が何の魔法か分かったのは、【魔法知識】スキルによる判定成功があり、その情報がログに表示されていたからです。
今はルシールさんの【魔術師の知恵】によるボーナスもあるため、判定成功が簡易だったのかもしれませんけれど、その情報ログウィンドウには様々な情報が記録されています。
……つまり、今左側を見ていたということは――イグニスはもしかしてプレイヤー?
「……へぇ、使い魔に憑依されてるんだその猫。確かにキミの使い魔でもあったようだね」
さらに情報判定が成功したのか、イグニスはそう言って目を細めて私たちを見てきました。




