59・現実と仮想と理想
フライパンの上でジュウジュウと肉が焼けています。油の弾ける音とこんがりと焼けた香ばしい匂いがします。
「うわっ」
弾ける油に思わずびっくり。こんな事、ゲーム中ではありませんでした。久々に料理というものを現実でしてみましたが、こういう細かなことは現実でしか味わえませんね。
『マスター、その料理はあなた様の健康を考えますと悪影響です。こちらの料理を召し上がるのをオススメします』
機械的な声がそう言うとオススメだというメニューが書かれたウィンドウを出しました。
「分かっていても食べたくなってしまうものなのですよ。それに一食だけなら大丈夫だとあなたは言いましたよね?」
目の前に出されたウィンドウを手で振って消します。
確かにあなたが提案する料理は栄養計算がしっかりとされたもので、かつ今の私に必要なぴったりな料理でしょう。でも、私が食べたいのはそれではないのです。そんな紛い物を使った料理は食べたくない。
もう少しこちらの気持ちを汲んでくれるといいのですけど、この子には無理でしょうね。まぁそれを目指し、そうした結果この子の前任者は不良品となってしまいましたけど。
『マスター、焦げています』
「えっ!?」
慌てて火を止めますが一足遅かった。フライパンの上のステーキをひっくり返すと、その片面は焦げていました。
あぁ、せっかく苦労して手に入れたA級ステーキが……。やはり自分で焼こうなんて思わずに、オーブンに入れて機械に任せてしまえばよかったでしょうか。ここはあなたの意見を採用しておけば良かったですね。
ゲームでは上手く焼けていたのですが……やっぱり現実はそう上手く行きませんね。
「でも、おいしいですね」
見た目は焦げてしまいましたが、元はいいからでしょう。とてもおいしかったです。若干、焦げ味で店だったら出すことはできないでしょうけど。
これを食べるためだけに役所まで申請を貰いに行った甲斐がありましたね。ここの地域は申請を出さないと買えないから本当に面倒でした。
食べ終えた後、片付けを済ませて一息。久々に“本物の食事”というものをした気がします。さて、腹ごしらえも済んだことですし、今日もゲームをしましょうか。
「…………あっ」
いつも使っているVR機器を取りに行こうとして気が付きました。部屋には仕切りガラスがあるのですが、そこに自分の姿が映っていません。
「…………ねぇ、アバター設定は都市サーバでも使用許可を出していましたか?」
『いいえ。個人サーバのみで使用を許可と設定されています。また、都市サーバでのアバター使用は申請許可を得られない限り使用できません』
良かった。この格好で役所に行ったわけではないのですね。
鏡に映っていたのは黒髪ロングで緑色の瞳を持つ若い女の子でした。白いワンピースが眩しい。それは紛れもなく、SSOで私が使っているキャラクターの【クロエ】です。
一つ違うとすれば、AR端末機であるメガネをかけていることぐらいでしょう。ちなみにメガネを取れば、クロエの姿が見えなくなって元の私を見ることができますね。
この前、友人の家に遊びに行った時の設定のままにしていたからでしょう。しかし、生体にも投影するような設定にした覚えは……あぁAR端末機と連動させていたからか……。
設定をし直すのは後回しでいいでしょう。誰かにこの姿を見られるわけでもありませんからね。
「じゃあ、何かあったら知らせてね」
『はい、マスター。楽しい時間をお過ごし下さい』
ゲームを起動させて、私はもう一つの世界に行きました。
*****
「あぁ、起こしてしまいましたか」
こちらの世界は夜のようです。どうやら寝ていたらしいアールが私が来たことに気づいて、階段を降りてやってきました。そしておはようと言うように手を上げてあいさつを返してくれました。
「寝ていても大丈夫ですよ」
いいよという風に首を振ってアールはその場にいます。やっぱりちょっと眠そうですけど。
ニルを召喚するとこちらも眠そうにあくびをしながら登場。そしてアールの肩に行く。眠そうな二人? が並ぶとこちらまで眠くなってきてしまいますね。
「ルシールさん? またどこかへ行きましたか?」
ルシールさんの気配がないので探しました。黒猫のベルが二階にあるベッドで寝ていますが、今のベルにはルシールさんはいません。どうやらルシールさんは未召喚状態になっているようですね。
先程ニルを呼び出したように、召喚し直して呼び戻そうとスキルを使ってみました。召喚スキルを詠唱すると魔法陣が現れ、そこから人魂が出てきます。
『ん~お前さんか』
ルシールさんも眠そうな声で出てきました。それから黒猫のベルに憑依しに行くかと思いましたが、いつまで経っても人魂のままです。
「ベルに憑依をしないのですか?」
『そうしたい所であるがの……あれはもう普通の猫だ。使い魔の頃のように不眠不休で動くなどできんからの。きっと疲れているだろうし、寝かせてあげたいのじゃ』
なるほど。普段のルシールさんは黒猫のベルの体に憑依をしていますからね。他の動物に憑依するという手もありますが短時間しか無理だそうです。憑依対象に追い出されてしまうからだと言っていました。
黒猫のベルは元はルシールさんの使い魔でしたから、長時間憑依することを許しているのでしょう。
『それにずっと憑依しているというのも悪かろう』
「確かにそれもですね」
きちんと召喚できるように早くなりたいですね。
『むぅ……やはり器がないから安定せんの。また何かあったら呼ぶと良い』
「はい、分かりました」
すると人魂のルシールさんは消えてしまいました。どうやらあの人魂状態では何かに憑依しないと召喚を保てないようですね。
というわけでちょっと目が覚めてきたらしいアールとその肩で眠るニル達と行きます。……使い魔は不眠不休でも動けるって今ルシールさんが言いませんでしたっけ。それに使い魔は半霊だとも……もしかして食事も不要なのでは?
「…………」
思わずアールの肩で気持ちよさそうに眠るニルを、しばらく見てしまいました。
さて、それからすぐに向かった場所はもちろん畑です。
「おぉ……」
耕した畑には、びっしりと薬草が生えていました。緑の畑ですよ。その隣にホワイトハーブの白い畑と、レッドグラスの赤い畑も。そんな感じに畑は色とりどりでした。これはこれで綺麗ですね。
ですがどれも小さいです。まだ成長途中なのでしょう。収穫はせずに水だけ撒いておきます。
この分だと、あと少しで収穫できるでしょう。
その間何をしましょうか……。ただボーとするというのも、まぁいいでしょう。現実とちょっと違った場所でするので新鮮かもしれません。
いや、そんな事をしている暇はなかったですね。レベル上げをしなくてはなりませんでした。守護者として力が必要だと言うこともあります。やっぱり守護者は強くなくては。強い魔女というのも、悪くありませんし。
それにルシールさんの件もあります。早く彼女に合う器の体を作ってあげないと不便でしょう。
レベ上げで一番手っ取り早い方法といえば、やっぱりモンスターを倒すことですね。そういう訳で、これからレベル上げの為に戦いに行きたいと思います。




