49・魔術師ルシール
「混沌に侵食された私の体はライトの勇者の力によって浄化された。だが、それでも私の体は混沌に蝕まれてしまったようだ」
夕日に照らし出されたルシールさんの表情は笑っていますが、とても言い難い苦しそうな表情にも見えました。
「浄化されても、侵食され破壊された体は元には戻らん。元々歳のせいで体は弱っておったほうだから、この結果は見えておった。だからの、私の体はもう長くはない。今は守護者としての力でなんとか保っておるにすぎん」
「……それは本当、なのでしょうね。あなたが言うことですから」
この人は嘘なんて吐かないでしょう。だから言っていることは本当の事。先程からニルが彼女の事を見ていた視線の意味が分かりました。
「やっと分かりました。あなたがなぜ最初に私たちに自分が赤い獣であると話さなかったことを」
「言っただろう、余計で、残酷な真実は知らないで良いことだと」
この人は最初から分かっていたんでしょう。勇者の力できちんと浄化されても、自分が死ぬ運命が変わらない事を。
「そして、面倒な物事に巻き込まれないで済むともな」
「……それは」
「私の話を聞いていれば分かるだろう?」
にっこりと、夕日の中に佇むこの森の守護者が笑いました。そうですね、分かりますとも。
この森に隠された秘密。それを知られてはならない者にこの森の秘密を知られている。
そんな状況だというのに、この森にある封印の守護者が不在になりそうです。彼女の説明を受けた今となっては、そう理解できる。だからこそ、彼女は私に秘密を教えたのでしょう。
「ルシールさん、あなたは私に守護者を継いで欲しいみたいですね」
「欲しい、ではなく継ぐのだ。だからこそ私はお前さんにこの森に隠されていた秘密を話したのだからの」
「……本当にあなたは食えない人ですね」
このような話を聞かされては選べる選択肢は一つしかないではありませんか。しかもこの森からは出られない。退路さえも防がれています。
「私が嫌だと答えたらどうしますか?」
「……私の手を汚さんでくれるかの」
秘密を知った私をそのまま外には出したくないようです。……現実的な話、たとえここでクロエが本当に死んだとしても、私が死ぬわけではないので情報自体は生きるんですよね。まぁ、今はこの話は置いておきましょう。
「話を聞く限り、余裕があるようではないというのに脅しですか?」
「私が死ぬまでに代わりを見つければ良いというもの。それにお前さんの代わりになりそうな者にはもう目を付けておる。例えばカイルとかの」
「カイルさんではお人好しすぎませんか?」
「……そこが一番の問題ではあるのだがの。だからこそ、お前さんが頷けば良い話なのだが」
ここは頷けばスムーズに話が進みそうですが、そうしたくないです。というのも、このままではクロエは頷きません。それに私も頷けませんよ。
「そんなに守護者になるのは嫌か? 私の見立てではお前さんは頷くと思ったのだかの」
「……別に守護者になるのが嫌だとは言っていませんよ」
クロエは自由を求めて家を飛び出しました。ちょっと思う所はありそうですが、貴族になるのが嫌だった訳で守護者はいいでしょう。
それになんだかんだでこの事態は見過ごせないと思います。この辺りはルシールさんにも見抜かれていますね。
確かにクロエはカイルさんのように純粋にまっすぐではないけれど、ねじ曲がりながらも自分が正しいと思った事をする……と思いますから。
「私は巻き込まれると言いましたからね。自分が納得するまで巻き込まれると」
「では、なぜ守護者になりたくない?」
このまま受けてしまえば私が守護者でしょう。そうなった場合、守護者としての力は私に移ります。守護者の力を失ったルシールさんはきっと死んでしまうでしょう。
どうしましょう。何か手立てはないのでしょうか?
ふと、ルシールさんの足元にいる黒猫に目が行きました。心配そうに彼女を見ている使い魔の黒猫です。……そうか、その手がありましたね。
「決めました。守護者になりましょう」
「やっと頷いてくれたか」
「ただし、一つ条件があります」
「条件……?」
「私の使い魔になりませんか、ルシールさん?」
システム的には可能なはずです。人間との契約は不可とは書かれていませんからね。使い魔との契約もあと一枠残っています。
「ほう、私を使い魔にじゃと?」
「あなたにとっても悪い話ではないと思いますよ。……まだ、死にたくないのでしょう? その為に勇者を探して欲しいなどと私たちに言ったではありませんか」
自分が死ぬことを最初から知っていた彼女ですが、それならなぜ勇者の力を求めたのでしょうか。もしかしたら、その浄化の力に助かるかもしれない希望を見ていたのかもしれません。
「……もう十分に生きたと思うが、私も人間だからの。まだ死にたくないと思うておった。確かに使い魔になれば死なない。その事を知っておったがそこまでして生きたいとも思っていなかったの。だから言わなかったが……お前さんはそれでよいのか?」
「良いも何も、あなたは私よりも優れた魔術師です。そんなあなたを混沌などという力のせいで失いたくないだけですよ」
「お前さんの魂胆が分かったぞ、魔術師としての私の知識が欲しいのだろう? 素直に私の弟子になりたいと言えば良いものを……」
気づかれましたか。確かにただ助けたいと思う気持ちではありませんね。
魔術師として尊敬するルシールさんです。その彼女の知識を、クロエが欲しがるのも無理はありませんね。今まで独学で魔法を覚えていたであろう彼女ですから。
「かっかっか。まぁ、そんなお前さんの使い魔になるのも良さそうだの。それに私が使い魔になれば守護者を継いでくれるのであろう?」
「ええ、もちろんです」
「うむうむ、ならばさっそくやろうかの。まずは守護者としての権限をお前さんに譲ろう」
ルシールさんが片手を私の方に向けて差し出しました。手の甲に薄らと星型の刻印のようなものが浮かび上がります。それと同じく、彼女の足元に魔法陣が出現し光り輝きました。その光に反応するように黄金の湖も光を帯び始める。
「我、封印の守護者なり。今此の時より次なる守護者に役目を移さん」
《封印の守護者ルシールより守護者としての役割を継承しますか?》
ルシールさんの声に反応して私の足元に魔法陣が出現しました。そして視界にはシステムウィンドウ。
「次なる守護者としての役目、引き受けましょう」
その言葉が認証となり、ウィンドウに見えていたカーソルがYESを押しました。
《ルシールより封印の守護者を継承。あなたは新たな【封印の守護者】となりました》
私とルシールさんの足元にあった魔法陣が消えました。湖も元に戻っています。そしてルシールさんの手の甲にあった印が消え、代わりに私の手の甲に同じ印が浮かび上がりました。どうやら守護者を表す印なのでしょう。情報欄なども見てみるとしっかりと継承したようです。
「新たな守護者クロエよ、しっかりとその役目を果たすのだぞ」
そう言って微笑んだルシールさんでしたが、その場に膝を崩して倒れてしまいました。慌てて駆け寄って抱き起こすと、苦しそうに表情を歪めている。近くに寄って来た黒猫が心配そうににゃあと鳴きました。
「時間がないようですね。さっそく契約をしましょう」
今度はこちらが魔法を詠唱します。目の前のルシールさんを対象に、使い魔の【契約】スキルを使用しました。
「まさか私が使い魔として契約を結ぶことになるとはの」
ふっと表情が和らいだかと思うと、愉快そうに笑ったルシールさん。その姿が光に包まれて消えていきました。すぐに契約した使い魔一覧を見ると、そこには【魔術師ルシール】という名前が追加されていました。どうやら無事に契約ができたようです。
「大丈夫です、すぐに呼び出しますから」
姿の消えたルシールさんに心配そうにオロオロしていたアールに笑いかけます。私は杖を構えて、ルシールさんを召喚します。
「さぁ、出てきてください。ルシールさん!」
魔法陣が出現し、光が徐々に人の形になっていく。光が収まると、そこにはルシールさんの姿がありました。
「かっかっか。魔術師ルシール、召喚に応じきましたよ。ふむ、どうやら無事に契約は成立したようだのぉ。なるほど、使い魔とはこういう感じなのか……」
ちょっとウキウキした感じで自分の姿を眺め始めるルシールさん。その姿を見てほっとしました。
「ええ、本当に良かっ――えっ!?」
安心したのもつかの間。ルシールさんの姿がまた光り輝いた。そして人型を成していたそれが光の玉になってしまう。
『あぁやっぱりか……』
「これは……一体どういうことですか?」
『ふむ、おそらくお前さんの力が足らんのだろう。契約した使い魔は半霊に近い存在だ。普段は魂のみの使い魔に、肉体を作り出して与えるのが契約者であるお前さんである。私が言うのもなんだが、私はお前さんよりも高位の魔術師だった。だから魂の位も、お前さんよりは上だろう。そんな私に合う肉体を作り出すのは半人前のお前さんでは無理な話だの』
ルシールさんの声が耳元で反響する。どうやら私だけにこの声が聴こえるようですね。
それにしても、私よりも高位の魔術師だったルシールさんをきちんと召喚するにはレベルが足りないってことですか……。レベルが足りない私では今のルシールさんを人魂にしかできないようです。
『ふむ、この姿なのも不便だの。……しばらくお前さんの体を借りるかの』
ルシールさんの人魂が黒猫に近づいたかと思うとその体に入っていきました。
『うむ、動物程度であれば体を借りられるようだの』
声は相変わらず私にしか聞こえません。黒猫に乗り移ったルシールさんが動きを確かめるように体を動かしていました。
「いつか、きちんと召喚できるようになります」
『うむ、そうなるように私も手伝うつもりだ。これからよろしくの、クロエ』
「はい、よろしくお願いします」
黒猫のルシールさんと握手をする。こんな形であなたが使い魔になるとは私も思いませんでしたよ。




