48・封印の守護者
みんなとの打ち上げを終わらせた、翌日。私はとある場所に向けて黄昏の森を歩いていました。
私がここを歩いているのはルシールさんのせいです。先日、彼女は私にまた会いに来いと言っておきながら姿を消しました。ダイロードの街にあったあの家にも、もう一度立ち寄ってみましたがやはり蛻の殻。ルシールさんも、使い魔の黒猫の姿もありませんでした。
それでは、彼女は一体どこにいるのでしょうか。そう考えると自然と思いつく場所は一つしかありませんでした。
相変わらず薄暗い森の中。その生い茂った木々に溶け込むようにしてある境目。本来なら見えない結界の壁に付けられ目に見える裂けた入り口。私が作った、この先への入り口です。
「いるとしたらここしかありえません」
辺りに誰もいない事を確認してから私はその入り口から入り込む。以前だったら入るのを止めていたニルは静かでした。
一歩踏み入れれば暗い森から灰色の森に変わる。白い霧のようなものが立ち込め、隣にいたアールの姿も見えづらくなった。
ふと後ろに異変を感じて振り返る。入ってきた裂け目の入り口が徐々に小さくなっていた。まるで破れていた箇所を修復するように。
「……帰ってはダメというわけですか」
逃げることはしませんよ。それとも別の理由があるのですか?
「ほら行きますよ、アール」
慌てるアールを落ち着かせて、その手を取る。
「はぐれないように手を繋ぎましょう」
この霧の中。一旦はぐれてしまえば合流するのは難しいでしょう。アールと手を繋いで霧の中を歩きます。まるでピクニックに来たかのように繋いだ手を振りながら。
そんな事をしていますが忘れた訳ではありません。この森は気をつけないと迷子になるということを。相変わらず地図のデータは真っ黒で何も表示なし。また魔法でも撃ち込んでみようかと考えていた時でした。
「なんでしょうか?」
腕に装備していたブレスレット。これはルシールさんに貰ったあのブレスレットです。それが何かに反応して引き寄せられるように動いていました。その方角に従って歩いて行く。
「ここは……」
白い霧が急に晴れて、森が開けました。目の前に広がるのはあの時見た青い湖。陽の光を反射する水面。ただ、今日は水中にあるあの魔法陣は見えませんでした。普通の綺麗な湖にしか見えません。
「ニャアー」
「黒猫……」
声を頼りにそちらを見ると、黒猫が湖の岸辺を沿うようにこちらに歩いてきました。この子がいるということは……
「やっと来たか。待ちくたびれて寝てしまう所だったぞ」
その黒猫の後ろに黒いローブを羽織った老魔女。にっこりと嬉しそうに皺を作って笑う、ルシールさんがいました。
「意地悪な人が待ち合わせ場所を教えてくれませんでしたので」
「かっかっか。クロエなら私の居場所くらい分かると思ったまでのこと。分からなければその程度であり、会う価値もないからの。……そしてその読みは外れておらなかったようだ。お前さんのブレスレットにだけ細工をした事が無駄にならずすんだの」
悪気なく笑うルシールさん。場所を教えなかったのはわざとだったのですね。そしてブレスレットのアレもあなたの仕業ですか。
「こうして再会したからには話していただきますよ。私が知りたいことを全て」
「いいだろう。話してあげようじゃないか。ただ、先にも話した通りだ。私がこれから話す内容は知らなくて良いことだ。余計な事も知ることになる。それを知る覚悟、そして知り得た責任をお前さんが負えるかの?」
それとなく今ならば引き返せるとルシールさんが言っているようでした。表情も真面目であり、まるで何かの仮面を被っているようでした。
「ここまで来ておいて引き返すわけがありません。さぁ話してもらいますよ、ルシールさん?」
その雰囲気に飲まれるクロエではありません。気になったらとことん行くのが彼女ですからね。そんな私を見てルシールさんがまたにっこりと笑う。どこか安心したような笑みでした。
「ではまず最初にルシールさん、あなたの正体を正確に教えてもらえますか?」
「ただのしがない魔術師だの」
「教えてくれるのではなかったのですか?」
「まぁまぁ、これはあながち間違いではない。私は普通の魔術師さ。勇者のような特別な力は持っておらん。ただ、特別な肩書はあるがの」
「肩書?」
「封印の守護者。私は守護者としてこの森にある封印を守っておる者だの。この森の出身であるお前さんの使い魔は知っているだろうの」
チラリとニルを見る。確かに白い森に近づこうとした私を遠ざけたり、ルシールさんの事に関してはあまり警戒した態度を見せていないなと思っていました。元森の住人であったニルなら、彼女の事を知っていてもおかしくはありませんね。
そんな私の相棒はアールの肩に止まって、目の前のルシールさんをじっと見ていました。何かしら特別な存在を敬う視線のように感じます。ただ、もう一つ別の視線も合わさっているのか、時々何かを見通そうと目を細めていました。
「それで、あなたが守っているその封印とやらはあの湖にある魔法陣の事ですか?」
「あぁ、そうさ。あの湖自体が封印の魔法陣だからの」
「では、その魔法陣は何を封印しているのですか?」
「ここまで分かっているんだ。聞かなくてもそれくらい分かるだろう?」
また教えてくれないルシールさん。まぁ確かにこれだけ情報が揃っていれば分かりますね。それすらも分からないようであれば、その先は教えてくれないということでしょう。
さてと……あそこに封印されている物ですか。ルシールさんはあの赤いフードの男が封印を破ることを止めていました。自分が混沌に侵食されていたにも拘らず。その事からこの結界に封印されているのは、何を犠牲にしても止めなければならなかった程に危険な物。
そんな危険な物。この世界には一つしかない。
「混沌……ですね?」
「うむ、その通り。この世に存在する混沌の全ての根源にして元凶、かつて星の神々の力を持って封印した大いなる混沌だよ」
なるほど。封印されていた物がそれほどの物なら納得です。
「そんな大それた物の封印の魔法陣がこんな所にあるとは驚きです」
「お前さんも知っておるだろう? 世界に散らばった混沌の力は各地で封印されたとな。このような場所にもあるものよ。世界の各地には同じような封印の魔法陣が存在しておるが……その数は私でも把握出来ておらんのぉ」
封印はされていると公式の歴史にもありました。こんな初期の街の隣にあるとは思いませんでしたけど。
「すべての封印が解かれれば再び世界は混乱に陥るだろう。たった一つ解かれただけでも侮れん。例えば、ここの森にある封印の結界が解かれた場合、この地域一帯は混沌に飲まれ、それこそ生き物が生きられぬ地になる」
「だからあなたは自分の身を犠牲にしてまで、あの男を止めたのですね」
「そういうことだ」
ルシールさんが必死で封印の結界を守ったことにも頷けます。もし万が一封印が破られていた事を考えると私も混沌に呪われていたかもしれませんね。
「ならあの男は一体何者なのでしょうか。口ぶりからしてここに封じられている物を分かっているようでしたが……」
「大いなる混沌の封印を解こうとしておる連中がいると聞く。奴はそこの一味だろう。……本当に厄介な連中だ。一体どこでこの場所を嗅ぎつけたのかも分からんが、ここの存在を知られてしまったにも拘らず逃してしまった……」
この封印の地は秘匿されるべき場所でしょう。そういう輩の耳に入らないように。ただ、今回はその輩に見つかっただけでなく、逃してしまいました。
「奴はまた来るだろう。万全の準備をしてな。それがいつになるかは分からんがその時まで私は……」
「……ルシールさん?」
ルシールさんが静かに湖に近づいていく。落ちてきた夕日の光を浴びて、湖は黄金に輝いていました。いえ、湖だけではありません。辺りにあった灰色の木々も夕日と反射する湖の光を浴びて黄金の木になっていました。その光景はまさに【黄昏の森】と呼ぶに相応しいでしょう。
「綺麗だろう。この森がこうして輝いていられるのはここにある魔法陣のお陰だの」
ルシールさんが湖から視線をずらして私を見ます。穏やかな笑顔ですが、不安に感じるのはなぜでしょうか……。




