42・赤い獣の正体
以前来た時と同じく灰色の木々と真っ白な霧が立ちこむ森。白い霧のせいで方向感覚も狂うこの森の中。
目の前を走る黒猫の背を見失わないように、追いかけるのがやっとです。
「この森にこんな場所があるなんて知りませんでした」
隣を走るカイルさんがぽつりと呟く。
『……ここは普段隠されておる場所だからの。知らなくて当然だよ。今は結界が壊されておるから、君たちもここへ入ることができたんだ』
「やけに詳しいですね、ルシールさん?」
前を走る黒猫のルシールさん。彼女はこの森の中を迷いなく走っていました。まるで先に何があるか知っているかのように。
「結界で隠匿するような場所……それだけこの場所は何か重要な場所というわけですか?」
『……持たないほうがよい好奇心もあるぞ、クロエ』
おおっと。釘を刺されてしまいましたね。知る必要はないってことですか。
そんな事を喋っている間に、徐々に森が開けてきた。
「ここは……」
開けた場所には大きな湖。白い霧もどこかに消えておりよく見えます。その水面には夜空を鏡のように映してキラキラと輝いていました。
いや、輝いているのはそれだけではない。水の中に浮かぶ赤い魔法陣。それが脈を打つように光れば、水面も波打つ。ビリビリと蠢く稲妻が、悲鳴のように鳴る。
でもそれは美しいけれど、一目で異常な光景であると分かりました。
その湖の岸側。魔法陣が浮かぶ湖に手を伸ばしていたのは、あの赤いフードの男。この現象を引き起こしているのは彼でしょう。
その男に黒い影が落ちてきた。
「……あーあ。せっかく良い所だったのに~」
黒い影からの攻撃を魔法の障壁を張って防いだ赤いフードの男。不意打ち気味の攻撃をしたのはもちろんツバキさんです。
ギギッと刀を障壁に押し付けていましたが壊れそうにない。それを見てすぐにツバキさんは男から離れた。
赤いフードの男が湖から離れたことによって湖の光が収まっていく。異常を示すように赤かった魔法陣が青色に変わっていった。
「あはは。ルシール、キミは本当にボクの邪魔ばかりしたがるねぇ~」
『貴様の思い通りにはさせんと言うたからの』
イラつくように笑みをこちらに向ける。その赤いフードの男に警戒をしながら、私達が武器を構えます。
「はぁ……多勢に無勢ってやつかな。まぁいいや、ここにアレがある事は分かったし、壊しに来るのはまた今度にしよう」
『誰が貴様を逃がすと思うか?』
「ねぇルシール。キミの使命を忘れないのはいいけど……キミの命がもうすぐ壊れてしまうかもしれないことも忘れないほうがいいと思うよ?」
『それは……』
ルシールさんの命が壊れる? それって死ぬってことですか?
「壊れるって……ルシールさん、これには僕も理由を教えていただきたい」
「どういうことですか、ルシールさん」
「おい、どうなんだよ、ルシール!」
ツバキさんも無言でルシールさんを見ていた。問いただされたルシールさんは左右に頭を振る。
『……今はそんな事どうでもよい。さっさと奴を捕まえて――』
「嘘はいけないなぁ、ルシール。いいよ、キミの代わりにボクが教えてあげるよ」
『止めんか!』
「キミたちが倒そうとしている赤い獣なんだけど……その正体はルシールだよ!」
えっ。赤い獣の正体がルシールさん!?
驚きのあまり固まる私達を余所に、二人の会話は続いていく。
「そう、人々を容赦なく襲いまくってるあの赤い獣の正体はルシールさぁ。ルシールは何にも言ってくれなかったって? そりゃ言えるわけないでしょ。自分が赤い獣です、人殺しの化物です、だなんて……あははっ!」
『黙れ! 私がああなったのはお前のせいではないか!』
「おお、怖い怖い。……それよりさ、キミたちもそろそろ目が覚めたんじゃない? 騙されてたってさ。あはは、あはははは!」
腹を抱えて笑う赤いフードの男。ギリギリと歯を食いしばる黒猫のルシールさん。
「少し黙ってくれませんか?」
あまりにも、その笑い声が耳障りだったので赤いフードの男に【シャドウアロー】を撃ち込みました。魔法は障壁で防がれてしまいましたが、笑い声は止まりました。
「……なにするかなぁ。キミたちは人殺しの命にしたがってたんだよ? ボクを攻撃するのはおかしくない?」
「何もおかしくありませんよ。だって私達は彼女に騙されてはいませんから」
使い魔である黒猫を通して、ルシールさんに笑いかける。たぶん街で出会った彼女は本体ではないのでしょう。
「彼女は真実をあまり語ってくれていません。ですが、嘘はついていませんから」
カイルさんもまた彼女に笑いかける。
その通りです。彼女は真実は語りませんが嘘は吐いていない。それにもう一つの理由があります。
「もし本当に赤い獣がルシールだったら、自分を倒せなんて依頼をするのはおかしいだろ。俺にはあんたの方が嘘ついて騙しているように聞こえるぞ」
ライトさんが剣を引き抜く。大剣レックスが聖なる光を帯びるように星の光を反射する。
ツバキさんも無言で手にした刀に力を込めている。彼女の隣にいるハクもまた、睨むように男を見ていた。
「……はぁ、適当に吐いた嘘じゃやっぱり騙されないか。でもね、ルシールが赤い獣ってのは本当だからね?」
「でたらめを言うな!」
「本当だってば……さっきルシールも言っていたでしょ? 『自分がああなったのは』とかなんとかさ」
その言葉には私も引っかかっていました。思わずルシールさんを見る。
『……奴が言っておることは本当のことだよ。私の今の体は混沌に汚染されてあの醜い赤い獣になっておる』
その場に重い雰囲気が落ちた。あの赤い獣、私を一回襲ったあの獣は、ルシールさんだった。
そう理解した瞬間、思わずまた【シャドウアロー】を赤いフードの男にぶつけていました。
「また攻撃するなんてひどいね」
「ひどい? 何を言っているやら。ルシールさんを赤い獣に変えたのはあなたなのでしょう?」
「まぁそうなんだけどね。隠す必要もなくその通りだよ。彼女は邪魔だったから混沌に汚染させてみたんだ。はぁ……あんな簡単に人だった物を捻じ曲げて破壊するなんて……混沌という力は素晴らしいねぇ!」
興奮したように話す赤いフードの男。
『やはり貴様はあの……ウッ!?』
「ルシールさん!」
黒猫が突然パタリと倒れてしまった。慌てて駆け寄れば、苦しそうなルシールさんのうめき声。
「おや、キミの体はもう瀕死のようだね。彼らはボクの依頼を忠実にこなしてくれているようで嬉しいなぁ!」
「あれは混沌に汚染されているはず……そんな簡単にはやられないはずです。それに勇者の力がなければ……」
「まぁ確かに勇者の力があったほうが効率がいいかもね。でも、頑張れば普通に倒せるよ。ただその場合……混沌をきちんと浄化できないから、ルシールが死ぬんだけどねっ!」
そんな……勇者の力で正しく浄化をしないとルシールさんが死ぬだなんて。
その時後ろから轟音が鳴り響いた。木々がなぎ倒される音についで激しく何かが湖に飛び込んだかのような音。
「あれは……」
後ろを振り向けはあの赤い獣の姿がありました。湖の岸辺に倒れ込む獣。動きが遅く、明らかに瀕死の状態。
その体は赤黒く爛れたような感じですが、真新しい傷から赤い血も流れ落ちているのが分かりました。それによって岸辺が真っ赤に染まっていく。あの獣が苦しそうな唸り声をあげる度に、腕に抱いた黒猫を通してルシールさんの苦しそうな声も聞こえてくる。
「やれ! あと少しで倒せるぞ!」
森から出てきた金ピカの集団がその獣を囲む。
まずい、あの人達に赤い獣を倒されてしまったら――
「ほらほら、ボクに構ってる暇なんてなさそうだよ。早く行ってあげたらどう? まぁ勇者の力がなかったらルシールが助かることなんてないけどね、あはは!」
赤いフードの男が姿を消した。悔しいですがあの男の言うとおり。今はルシールさんを優先すべきですね。
『私の事はいい。あやつを……』
「ルシールさん。その願いは誰も聞いてくれないと思いますよ。それにしても、どうして言ってくれなかったんですか。最初に言ってくれたら……」
赤い獣を討伐しろではなく、赤い獣になってしまった自分を助けて欲しい。そう言ってくれれば変に疑うこともなかったでしょう。
『……最初は君らが倒す予定だったろう? だから言わなかった。そのほうが都合が良かったからの』
「何が都合が良かったですか……この期に及んでまだ秘密主義ですか」
まだ何かあるのですか。そんなに何を隠したいのですか……。
聞いても教えてくれないでしょう。それに時間がありません。もうすでにルシールさんの命が消えようとしているんですから。
私は黒猫のルシールさんをアールに預けます。一緒に安全な所で隠れてくださいね。
「ルシールさんを助けに行きましょう」
そして仲間達を見渡す。皆、目的は同じようです。




