28・白い森の中
一歩踏み入れ、少し歩けば森の雰囲気ががらりと変わりました。西の先はどこかさらに薄暗く感じていましたが、予想通りでした。暗いのは相変わらずです。しかし、色を失ったように辺りの草木は深緑からグレーに近い色合いになっていました。さらには白い霧まで出てきてしまいます。
「暗い森かと思えば……今度は白い森ですか」
はて、この森の名前は確か黄昏の森といわれていませんでしたか? 名前を変えたほうがいいのではないでしょうか。そんな事を思いながら歩いていると、肩に乗るニルは先程からソワソワした様子で辺りをキョロキョロと見渡しています。
そしてまるで今すぐに帰ろうと言うかのように、何度も首を百八十度回して後ろを示します。
「そんなに心配しないでください。この先を調べたらすぐに帰りますから……白い霧が出ていますが私は迷うことは――」
ない、と答えようとして気が付きます。今までどちらの方角に行けば何があって、何処に行けば出口があるか分かっていました。なのに、今はすぐにそれらが出てきません。右を向いても白い視界の先に何があるか分かりません。左を向いてその白い木々をかき分ければ、出口があるかどうかも分かりません。
「嘘でしょ」
思わず地図を開きます。そこで気が付きました。開いた地図は真っ黒。ただ白い文字でノーデータとしか書かれていませんでした。【土地鑑】スキルが機能していない。
「困りましたね」
勝手知ったる森だと思っていましたが、どうやらそうではなかったようですね。
「あなたの忠告は聞いておくべきでした」
ニルがため息でも吐くかのように首を左右に振りました。
さて、どうするべきか。探索をしている場合ではありません。とりあえずまっすぐ来た道を引き返してみましたが、そんなに歩いていないはずなのに西側から出ることができませんでした。
【土地鑑】スキルが機能しないのはこの白い霧でしょうか。この霧を調べてみるとどうにも魔法絡みのようでした。ただでさえ、黄昏の森は森自体が迷路のように迷う場所です。それに加えて方向を惑わす魔法の霧。脱出するための難易度が大幅に上がっています。
「こうなるともう脱出する手段なんて一つしかありませんね」
この森でその手段をとったプレイヤー達は何人もいたことでしょう。その結果この森は死者の森なんて呼ばれるようにまでなったのですから。ようやく私もその時に陥った彼らの気持ちがよくわかりました。
「死に戻りをしましょうか」
自分で言って何を言っているんだろうと思います。現実なら死から戻ることはないでしょう。
ですがこれはゲームです。いくら死んでも生き返ります。
とりあえず何かないかインベントリを眺めてみる。毒草でも食べればいいでしょうか? ダメですね、毒草レベルでは私の持つ【毒耐性】で消されてしまいます。なんとやっかいな。これを上回るレベルの毒薬でも作りましょうか?
「これは……」
毒薬をどう作れば良いのか調べてみようとしたところで、ひとつのアイテムに目が行きます。それはずいぶん前に偶然手に入れて、存在も忘れていた物。
【謎の毒薬:ベリー村の村長が作り出した特別な毒薬。非常に強力な毒薬であるが、製法が全く分からない未知の代物】
非常に強力とあります。これを飲めば簡単に死に戻りができそうです。……ですが心配もあります。これはあのエピッククエストで手に入れた代物。
あの特別なクエストで手に入れた物なので、もし飲んだら本当に死んでしまいそうで怖いですね。だってあのクエスト中での死は本当の死でしたから。少なくともキャラにとったら――
「いいえ、違いますね。私は今だって生きていますから」
私はクロエです。なら彼女をいつだって演じなければなりません。
その毒薬を取り出すことなくインベントリを閉じます。死に戻りなんて彼女らしくありません。
「歩き続けていれば、いつかは出口に出るでしょう」
手立てもなく歩き続けるのはダメかもしれません。ですがじっとしたままなんて彼女には……私には似合いませんから。
「魔法の霧で阻害されているというなら……消してしまいましょう!」
地面に杖を打ち付けて魔法を放ちます。【ダークバースト】の衝撃に辺りの霧が少しだけ晴れていく。魔法には魔法を、と思って撃ってみましたがどうやら勘が当たったようですね。
ただ全部を消し去ることはできませんでした。辺りの視界が少し良くなっただけで相変わらずその先は白いまま。
やはりこの白い霧の出処でも抑えない限りは消えることはなさそうですね。ですが少しずつ魔法で視界を開けていけば……
「――!?」
ガサリッと草木を掻き分けて何かが飛び出てきた。白い視界に映ったのは赤黒い何かと大きな獣の爪。ザクリといった効果音が私の耳に響きました。そして赤いエフェクトが散る。
それと同じくして視界の端にあった自分のHP。それが一瞬の内に消し飛んだ。視界が徐々に色味を失い灰色になる。元々白かった場所からさらに自分の色味さえなくなった。
これは死亡した時に出る演出です。つまり私は死んだのでしょう。
一瞬の内に起こった出来事だったので、何が何やらまだ分からない。私が死亡状態になったからかニルが召喚を解除されて消えていきます。
その視界の向こう。指定の場所に転移しますと言った説明文と残り転移時間の先。灰色の人影を見た気がしました。
「な、何だったんですかあれはー!?」
死に戻るなりそんな大声を上げてしまいました。お陰で広場にいた人達がちらちらと私を見ています。そんな事はどうでもいい。そんな事よりあれはなんですか。一瞬の内に私のHPを削ったあのモンスターは。
あんな風にHPがなくなるなんていくら私が魔法使いで打たれ弱いとはいえ、異常です。きっと高レベルモンスターか……ボスモンスターの類でしょうか。
それにあの人影。あんな所に私以外の人が居たことに驚きました。しかも一人です。もしかしたら他に誰か居たのかもしれませんが、それは分かりません。
結局、死に戻ってしまいました。確認したら少しのお金と経験値をなくしています。噂によると死んだ場合極稀にアイテムを落としてしまうそうですが、そういうことにはなっていないようで良かったです。殺した相手が盗み系のスキルを有していた場合はその限りではないらしいですけど。
とりあえず一つ言えることは……あそこには近づきたくないですね。少なくとももう少し強くなるまでは。
「ニルにはこうなることが分かっていたんですね……どうかしましたか?」
再召喚したニルは相変わらず小さいです。そんな小さな体を震わせながら、落ち着かないように羽を何度も動かしていました。そしてとある方角をしきりに気にしています。あの方角はさっきまでいた【黄昏の森】ですね。
「……ニル、あなたはあの存在を知っていたのでしょう?」
ニルはぶるぶると否定するように首を振ります。
「おかしいですね。あなたはあの存在がいたから私を止めたのではないのですか?」
違うというかのようにまた首を振ります。そしてまた落ち着き無くウロウロとしだします。
……あの存在はニルにも予想外だったということでしょうか? あの場所がどういう場所かまだ分かりませんが、ニルの様子から考えるに普段は立ち入ってはいけない場所なのでしょう。そんな場所にあのモンスターと人影。
「考えようにも情報が足りませんね」
ニルは何か知っていそうですが喋れないので仕方ありません。森にまた調べに行こうにも今のままだとまた死に戻りするでしょうから。




