128・突き通すこともまた美学
「やぁ、クロエ。ここでキミと話すのはいつ以来だろうね?」
悠然と歩きながらイグニスは湖を背に立つ私たちに近づいていくる。
アールには離れるように指示を出しつつ使い魔の召喚を解除し、結界の外にいたニルを再召喚で呼び戻す。
「あの時ここで初めて会ったのでしたか。以前、ここの封印を破るために来たあなたと」
「あれからそんなに時間は経ってないはずなのに、なんだか懐かしいものだね」
「……世間話はもういいですか? あなたの狙いはあの時と同じく、封印の解除でしょう?」
「そうだね。戦いながらでも、話はできるもんね」
ニヤリとイグニスが笑うと手をこちらに伸ばした。指輪が付いた手を。
瞬間、彼の足元に赤い魔法陣と炎のエフェクトが現れる。
……いきなりぶちかましてきましたね。
無詠唱によるスキル行使。
それを可能とするのは【刻印術】によって術式を刻印された指輪による力。
無詠唱で出された【ファイヤーショット】と【フレイムビート】を箒に乗って回避する。
私がさっきまで立っていた場所が炎に包まれていきました。
「森を火事にされると困るんですけど」
そう言って飛びながら詠唱していた【風魔法】の【トルネード】を発動する。
スキルレベル30で覚えたこのスキルは竜巻を起こす魔法です。
それで湖の水を巻き上げながら二撃目の【ヒートバースト】、【フレイムスパーク】を相殺させる。
「タネが分かっちゃうとやっぱり回避もしやすいか」
大してがっかりした様子もなく、イグニスは【ウィンドステップ】を発動させて移動速度を上昇させる。そのまま湖上空にいる私の方角へ向けて走り出す。
そのまま行けば湖に落ちるんじゃ……と思った瞬間にはなんと湖の上を走っていました。
……石の水切りと同じ感じなのかもしれません。あまりに速い速度で走れば、水上も走れるみたいです、このゲーム。今度私もやってみよう。
って、そんな感心をしている暇はありませんでした!
比較的詠唱時間の短い魔法で追撃しますが、相手の【ウィンドシールド】で防がれる。これだから射撃技はダメですね!
「頭上注意ってね!」
「えっ……あいたっ!?」
ゴンっと、まるで天井に頭をぶつけたみたいな衝撃がありました。
おかしいですよ。ここは空の上で、真上には青い空が広がっているというのに。
いや、よく見れば薄い光の壁ができていました。あれは【結界術】の【障壁の結界】のようですね。
設置型の防御用シールドで普通は敵の攻撃を防いだりするスキルです。
敵の攻撃はもちろん、敵も通さないのでこうして壁のように扱うこともできる魔法。
どうやら空中に設置して敵を落としたりもできるみたいですね。今の私みたいに。
壁に頭を打ち付けて体勢を崩してしまったせいで、私は真っ逆さまに落ちていく。
そのまま下で待ち構えていたイグニスの拳を一発もらいました。
【格闘】スキル発動込みの、ちょうどクールタイムの終わったらしい【ファイヤーショット】の至近距離撃ち込みのおまけ付きで。
「……おっと!」
ぶっ飛ばされながらも詠唱した【ダークバースト】を追いかけてきた彼にぶつける。
範囲技であり、この状態で反撃されるとは思っていなかったようで攻撃は当たりました。
「あなたって魔術師じゃありませんでしたか? いつ格闘家に転職したのですか」
「魔術師が拳を使ってはいけないなんて聞いたことがないね」
対岸までぶっ飛ばされましたがなんとか生き残っていました。
HPバーが真っ赤だったので、ポーションで素早く回復しておきます。
それにしても、あの指輪ってメリケンサックの意味もあったんですね。
「でしょうね。じゃなきゃこんな弱いパンチ出せませんよ」
なんとか生き残ったのは彼は本職の格闘家ではないことと、【ファイヤーショット】が指輪による発動の為に威力が抑えられていたからでしょう。
それでもHPがごっそり持っていかれたのは私の防御力の低さの問題ですね。
カイルさんあたりなら大したこともない一撃でしたでしょう。
「そういうキミの魔法も弱いね。やっぱり夜に来るべきだったかな?」
「そんな配慮は要りませんよ」
しかし、相手も同じなようです。
私が発動した【ダークバースト】は夜でもないこの時間帯であり、何の補正も掛かっていない状態だったので威力が低く、相手を倒すには至らなかった。みるみる回復ポーションで傷を治されていく。
先程までは三十人余りを一撃で葬り去った技でも、何もしていない状態だとこうなりますよ。
「……配慮と言えば、一つ、聞いてもいいでしょうか?」
「なんだい?」
飛ばされた場所は薬草畑でした。
色とりどりの薬草が生えていましたが、一部私が飛んできたせいで荒れてしまいましたね。
「ここを襲うならいつだってできたでしょう? どうしてそれをしなかったのですか?」
彼らは別に戦争の時を狙わなくたってよかったでしょう。それどころか、簡単だったかも知れません。
封印の結界を割ってしまえば、ここを守るのは私たちだけ。
仲間を引き連れてやってきていれば、すぐにでも封印を解けたでしょう。
「キミの言う通り、いつでもできたね。それに仲間を連れてこれば簡単だっただろう。でもさ、考えてみなよ。混沌の封印を解いたその時、きっと周囲は混沌に飲まれる。その場に居た人々は犠牲になるだろう?」
「……あぁ、だからわざわざこんな戦中を狙ったのですか」
平時よりも戦中の今、この場にはたくさんの人が集まっています。
スワロ兵はもちろんのこと、ラプタリカ兵まで来ている。
だから赤フードの連中が戦争に人員を割く真似をしてまで、ラプタリカに協力して戦争を起こさせたというのですか。
ここに集まった人々を全員巻き込んで、皆殺しにするために。
「やるからには派手にやらないと……面白くないだろう?」
そう言って彼が取り出したのは赤黒い石。……あれはまさか。
「混沌石……それをどうするつもりですか」
「どうするって自分で使うに決まってるじゃないか。キミだけこの森の星石から力を貰っている状態で戦うなんて不公平だろう?」
彼は躊躇なく手にした石の封印を解いてしまう。
瞬間、イグニスを赤黒い混沌のオーラが包み込む。
「へぇ、この力はこんな感じなんだ」
「まさか自分でそれを使うとは……正気の沙汰じゃありませんね」
……正気の沙汰じゃないのですが、イグニスの正気は失っていない様子。
おかしいですね。彼らが作る薬程度でも人を狂わすあの混沌の力です。
それを混沌石という純粋な力に侵されてもなお、正気を保っているなんて。
「じゃあ、二戦目といこうか!」
今度は【ファイアーショット】が飛んできたので土魔法の【アースシールド】で防ぐ。
出した土壁は一瞬で破壊されてしまう……初期魔法の一撃で壁を破壊するってことは攻撃力が高そうですね。
壊れた土塊も材料に【ゴーレム】を召喚。彼にけしかけますが、やはり魔法ですぐ破壊される。
混沌の力によって攻撃力が底上げされていると見ていいでしょう。
しかし、混沌化してもなお、正気を保っている理由がわからない。
そう思ってよく彼を見てみると、さっきまで着けていなかったネックレスが見えました。
よく見れば指輪の数も一つ減っている。……装備変更をいつのまにかしていた様子。
「……いいネックレスをしていますね」
「神の涙という珍しい石を使っているよ。……気付いたようだから教えてあげよう。ボクが混沌に飲まれずに正気を保っているのはこの神の涙のお陰だよ。勇者や星石には混沌の力に対抗する力を持つ。だから、その力を使えば混沌の力を抑制しつつ、力を使えるんじゃないかって思ったのさ」
見せびらかすようにネックレスのトップに付いた石を揺らしながら、イグニスはまた一体ゴーレムを葬っていく。
「忠告をしてあげよう。この混沌の力はキミが今まで見てきた中途半端な力じゃない。ボク自身がその力を望んで受け入れている。……だからボクの攻撃は星石との繋がりも断ち切る……つまりボクの攻撃を受けたら本当に死ぬから気をつけるんだね!」
「そうだろうと思いましたよ!」
だからさっきから必死に回避していました。箒や魔法を使って。
ただでさえ一撃が重いのに、それが本当の即死級だなんて……。
私の魔法でも相手を星石送りにするだけなのに、イグニスのは冥土送りにするんですよ。
さっき守護者の加護を受けていて不公平だって言いましたけど、これでは不公平でもなんでもないじゃありませんか。
「さっきから逃げてばかりじゃ、つまらないよ!」
【フレイムウォール】と【障壁の結界】で退路を塞いできました。
……魔法のレベルも強化されている。この二つの壁を壊すには相当の威力の魔法が必要なので、壊すことは現実的ではないでしょうね。
「この前みたいなことをされても困るからね」
さらに炎の壁の方から何かが飛び出してきた。……炎を纏った鳥、彼の使い魔であるフェニックスです。
「これは……」
攻撃をした……のかと思いましたが何もない。ですが、キラキラと光るエフェクトが私を包みました。
まるで回復エフェクトのような……あっまさか!
「……状態異常無効化」
自分の状態を示すアイコン一覧に【状態異常無効化】が付きました。
これで私はあらゆる状態異常は無効化されてなることがありません。
「なんて呪いをかけてくれたんですか……!」
「呪いじゃなくて【不死鳥の祝福】だよ。それを掛けられた人は喜ぶんだけどおかしいなぁ?」
私にとっては呪いですよ、これは!
しかも効果は十分もあるなんて、なんで無駄に長いんですか。
「手の内が分かっているんだから、対策くらいするでしょ?」
イルーの街で彼と対決した為、互いに相手の手の内は分かっています。
私が彼の無詠唱攻撃を避けた行動と、似たようなことを返されても仕方ありませんね。
私は箒から降りて地に足を付ける。逃げるのはやめましたが、諦めたわけではありません。
「そういうあなたは早く決着を着けたいみたいですね。何を焦っているのですか?」
「ボクが焦っている? どこが?」
ここで左側でも見てくれたらいいのですが、前回のようには見てくれませんでした。残念です。
視界の左側には情報ログがあるんですよ。そこに自身に掛けられた能力の確認も行えます。
混沌石の力を何の制約もなく使えるわけないじゃないですか。
それを神の涙で完全に抑えられるとも思えない。
だって、イグニスは星に選ばれた勇者ではないのですから。
抑えられていると言ってもきっと時間に限りがあるのでしょう。
すでに三分ほど時間が経過している。
これは推測ですが、十分もこの力が継続するとは考えにくい。
三分は越えたのをみると、五分あたりが制限時間といったところでしょうか。
「まぁ、キミのその勘の良さはつくづく感心するよ。でも、分かったからってこの状況を覆せるのかな」
詠唱もなく飛んできた炎の魔法。それを【シャドウムーブ】で影の中を移動して回避。
連続の攻撃じゃない……単発撃ちが多い? アクセサリーを着けられるのには四個の制約があります。
内一つがネックレスのため、彼が装備している指輪は三つ。
【二重詠唱】を用いてスキルを二度撃ちすることもできたはずのなのに単発ばかり、ということは大型の魔法を詠唱してますね。
「……させないですよ! ニル!」
対抗する為の魔法を詠唱し、【二重詠唱】で【ダークバインド】を放ちます。ニルにも【ダークミスト】を使ってもらって妨害しますが……。
光でできた剣が現れたかと思うと、闇の鎖も霧も、さらにニルさえも切り払っていく。
光魔法の【ライトブレード】で相殺されました。
「この程度で止められないことくらい分かってるでしょ?」
彼が詠唱完了させ発動させたのは【フレイムスパーク】。
単体に対して高威力の火魔法のスキルでした。
「この魔法の詠唱時間は十五秒。……キミが覚えている魔法じゃ間に合わない」
彼の【フレイムスパーク】の威力に対抗するなら私が覚えている魔法だと【ダークネス・クラッシュ】しかないでしょう。
ですが闇魔法というのは魔法の中で一番の攻撃力を持っていますが、その分詠唱時間が長い魔法です。
この【ダークネス・クラッシュ】の詠唱時間は二十秒。とてもではないですが、絶対に間に合いません。
「ええ、そうですね」
――でも、誰がその魔法を詠唱しているっていいましたか?
「なっ……!」
放たれた炎は私に向かって来ましたが直前で大量の水が現れ、それによって相殺される。
さらに水は鋭い刃となってイグニスを襲った。
これは水魔法の【ハイドロブレイド】。
「ずいぶんと暴れてくれたようじゃないか、イグニス」
「いないと思ったら……こういう登場の仕方をしてくるか、ルシール!」
私の前に現れているのは魔導書を手にした白髪の老魔女姿のルシールさんです。
私が唱えていた魔法は召喚魔法です。先程ファミリアの召喚を一斉解除していました。
ニルだけは再召喚しましたが、ルシールさんだけはしなかったんです。
理由はこのために。
ルシールさんは今、一瞬だけなら元の姿で召喚できるので、その間なら彼女の元の能力も使えます。
さっきの【ハイドロブレイド】を唱えたのもルシールさんですね。
「まったく……ぶっつけ本番にも程があるだろうて」
「ルシールさんならなんとかしてくれるだろうって思っていましたよ」
「お前さんは私を買いかぶり過ぎだの」
「でも、本当になんとかしてくれたではありませんか」
自分の能力を信じられたというのに悪い気はしない様子で、少しルシールさんは照れていました。
そのままルシールさんは消えていきました。
この完全状態での召喚は短い間しかできませんからね。
「私の手の内は分かっていても、急に別人が来られては対処できなかったでしょう?」
イグニスはまだ倒れていない。ルシールさんの一撃は確かに強力で、確かに彼のHPをゼロにしました。
しかし、彼には使い魔のフェニックスの力があります。当然、それで彼は蘇生しました。
ですが、これで蘇生というカードは切らせた。
「これで切り札は使い切りましたね」
回復ポーションのクールタイムもまだのはず……このまま畳み掛けるように一撃を入れればいい。
すでに魔法は詠唱済み。この一撃で終わりで終わらせます。
「いいや……切り札っていうのは最後まで残しておくものだよ、クロエ」
不敵に笑うイグニスの顔に文字のような模様が浮かび上がる。
赤い魔法陣が足元に現れる――あの光、すでに詠唱が完成されている状態ではありませんか!
「《灼き尽くせ》!」
魔法の発動を促すキーワードを発せられ、紅い炎が巻き上がる。
放たれた魔法は【インフェルノ】――火魔法の中で最も火力を誇る、高レベルの魔法。
それを詠唱なしで発動された。しかも混沌の力で攻撃力が底上げされているので、たとえあれが刻印術で発動された魔法であっても威力は高いでしょう。
彼は指輪の交換はしていない。
その指輪の中に【インフェルノ】を刻印した指輪はなかったはずなのに。
全てを焼き尽くすような炎が私に迫ってくる。
その視界がふと遮られました。
飛び出してきたのは、大きな背中。
「……アール!」
私を炎から守るように立ちふさがったのはアールでした。
炎はアールに勢いよく当たりましたが、私には小さな火すら当たらなかった。
その時、私の魔法の詠唱が完了しました。――このチャンスを逃すわけにはいかない。
「――我が敵を打ち砕け!」
「チッ!」
紅く燃え上がる炎が残っていた周囲が暗闇に包まれていく。
一切の光すら許さない、破壊の力を秘めた暗黒がイグニスを襲いました。
「うぁぁぁああああああーーーー!!」
背の小さな彼が、声をあげながら数メートル先まで吹っ飛んでいきました。
魔法は当たったようでした。でも油断せずに飛んでいったほうまで近づいていく。
「……ははは、あはははは! ガハッ……!」
乾いた笑い声が聞こえてくる。
思わず杖を手に身構えましたがイグニスは倒れたまま起き上がろうとしませんでした。
それに笑い声の最後は苦しそうなうめき声に変わっていきました。
「はぁー…………まさか、このボクがやられるなんて」
倒れたまま私たちのほうを向いてくる。
「……なんでそいつ、生きてるの」
「【魔防の双玉】というものを知っていますか?」
【インフェルノ】の一撃から私を守ったアールはしっかりと生きています。
アールが死ななかったのは【双玉のアミュレット】のお陰ですね。
もしも私に何かあれば、アールならその身を犠牲にしてでも私を守ってくれるかもしれないと思っていましたが本当にやってくれました。
渡しておいて本当に良かった……。
普通ならあの混沌の力のせいでそのまま生き返ることなく死んでいたでしょうから。
そのアミュレットは役目を果たしたように壊れて消えていきました。
「切り札というものは自分の手にないほうがいい場合もあるんですよ」
「……だとしても最後の一撃の威力はおかしいよ。混沌の力を持つボクを一撃で倒すなんて……! いくら闇の魔法が強いからって、今は弱体化されている昼間だし、キミがよく使う手は封じられていたじゃないか。一体どんな手を使ったんだ?」
暗黒魔法スキルの【闇の代償】、そのスキル効果は異常状態に掛かった場合、自身の攻撃力を上げるスキルです。異常状態の数だけ倍々にされていく仕様。
そのため普段の私は十個以上も異常状態を付けて火力の底上げをしていますね。
しかし、今回は【不死鳥の祝福】という“呪い”に掛かってしまい、その手は封じられていました。
闇の魔法は魔法の中でもっとも威力の高い魔法です。素出しでも高威力でしょう。
ですが、混沌化してステータスアップしているイグニス相手には火力不足でした。
しかも今は昼間で、闇の魔法は弱体化されている状態です。
いつもの手は封じられた状態で、さらに昼間という不利な状態でも火力を出せたのには理由があります。
一つは【月の涙】。
このアクセサリーの効果で一日一回、昼間でも【月光】スキルの効果を出すことが可能です。
それによって威力を底上げしました。
さらに守護者の効果もあります。これで素出しの威力程度にはなるでしょう。
追加で【黒の紋章】により、防御力を犠牲にして攻撃力をあげました。
でもまだ足りない。なので、もう一つの手段を用いました。
「どんな手も何も、真っ当な手段を使っただけですよ」
私は【レディブラック】を取り出してその貴婦人のドレスのような黒い葉にキスをする。
レディブラックとは薬草の一つ。
ポーションなどを作る際に、他の材料と混ぜると他の薬草の効果をあげてくれます。
私は【草食】のスキルを持っており、そのレベルが30になりました。
すると……どうやらそのまま食した植物の効果を効率よく受けられるようになっていました。
普通に薬草を食べれば微々たる量しか回復しませんが、【草食】スキル持ちの私が食せば回復ポーションと同等の効果を受けられます。
そしてそのまま食べても効果がない植物にも、効果がつくようになりました。
【レディブラック】は他の薬草の効果を上げる……そのまま【草食】スキルで食せば、攻撃力を上げる効果となりました。
前にイグニスにはもう草は食べないっていいましたが破ってしまいましたね。
でも、草を食べ続けて手に入れたこの力を使わないのは勿体ないと思いますから。
「あはは……あははははは!! やっぱりキミは面白いよ」
心底楽しそうにイグニスは笑いました。……なんというか、演技でもなさそうです。
本当に清々しい笑いでした。
「そういうあなたはどうやって詠唱無しでインフェルノを出したのですか?」
「簡単だよ。身体に直接、魔法を刻印してあるんだ」
なるほど……刻印できるのは指輪だけでなく、身体にもできていたんですね。
彼の身体には入れ墨のように魔法陣が刻印してあるのでしょう。
それによってインフェルノのスキルを発動できたと。
身体に直接刻印してあるので、装備枠の上限に引っかかることもないでしょうし。
「……っ!!」
――唐突として倒れていたイグニスが苦しみだした。
それと同時にイグニスの身体から赤黒いドロドロとした粘液のようなものが溢れ出してくる。
そうだった。五分の時間制限がとっくに過ぎている。しかもよく見れば神の涙が割れていました。
このまま放置すればイグニスが混沌に飲み込まれてしまう……そしたら以前のルシールさんのように赤い獣と成り果てる。
「――手を出すな!」
彼を助けるわけでもないですが、このまま放っておくほうが厄介です。
そう持って杖を構えたらイグニスの鋭い声が響いた。
「赤い獣にでもなって暴れまわるつもりでしょう?」
「そんな真似、誰がするか。ボクを誰だと思っているの?」
倒れたまま震える手を動かす。印を描くように身体の上を滑らせる。
割れた神の涙の欠片を手にすれば、眩くばかりの光を溢れさせた。
「混沌を使うのはいいけど……飲み込まれるのは嫌だね!」
刃の形となった光を躊躇なく自分の肉体に突き刺しました。
光に刺された混沌は苦しむように蠢き、そして消えていく。
「何をしたのです……?」
「星石の力を無理やり使えるようにしただけだよ……まぁ、無理やりだからボクの肉体なんて当然持つわけないけど……」
だらりと力なく欠片を握っていた手が落ちていく。欠片は胸に突き刺さったままでした。
「残念だよ。もう少しでこの力をボクのものにできたはずなのに……そしたら多くの者を殺せたのに……。あぁでも、敗者は敗者らしく……死者は死者らしく……壊れて、死んで、いくのが……正しい……から――」
そして彼は倒れたまま、動かなくなりました。
イグニス……敵として現れ、今まで散々とやられてきました。
やっとそんな相手がいなくなったかと思えば、肩の荷が下りたような安堵を得られました。
『クロエ殿! クロエ殿!』
「はい、どうしましたか?」
『やっと通信に出てくれたでござる! クロエ殿、無事でござるか!?』
「こちらは大丈夫ですよ。そちらの状況は?」
『スワロ王国軍の援軍が到着したでござる。それを見たラプタリカ軍が引き上げていったでござる。――この戦場は我々の勝ちでござるよ』
――程なくして、戦争終了を知らせるウィンドウが現れました。
スワロ王国とラプタリカ王国、その両国で起きた戦争。
その戦場の一つであったダイロードの戦いはこうして幕を閉じたのでした。