120・開戦の報せ
「お主……ツバキではないか。なぜここに?」
ルシールさんが騒ぎに気づいたのか店の奥から出てきました。
「それはまだわからないのですが、どうやらシートリンクがラプタリカ軍に占領されたそうで……」
「……占領だと……? それが本当だとしてなんの前触れもなかったではないか。そんなすぐに占領されるなどありえない。まず領主や軍が動くはずであろう?」
確かにシートリンクで何かしら騒ぎがあればまずはその情報が来るはずです。占領となれば絶対に争いが起きます。これが援軍の要請だったならすぐに頷けますが、もたらされた情報はもうシートリンクは占領されたという情報。あまりにも早すぎます。
「え……シートリンクが?」
「ラプタリカと戦争ってまじかよ」
がやがやと騒ぎ始めた店内。人が少ないからといってこのまま話はできませんね。
すぐに臨時休業として店を閉め、改めてツバキさんから話を聞くことにしました。……なおその間にリリちゃんは姿を消してしまったようで、探してもいませんでした。
「それで、どうしてツバキさんがそんな情報を持っていて、なぜ私に知らせてくれたんですか?」
ツバキさんはあの赤フードの連中と関わりがあります。連中の仲間ではなさそうでしたが、立ち位置としては近いところにいました。そんな彼女がどうしてシートリンクのことを知らせに来てくれたのか気になります。
ツバキさんはボロボロのままです。ポーションをあげなくても、HPは徐々に自然回復しているのでそのうち全快するはずなのでいいでしょう。それに、まだ敵か味方かわからない相手に下手に優しくするつもりはありませんから。
「順を追って説明する必要がござるな……。拙者は【黒烏】の一員として、ある方に雇われて行動していたでござる」
「黒烏……なんとなくそうだろうと思っておったよ」
「知っているんですか?」
「黒烏は金さえ払えば誘拐や暗殺でもなんでもこなす闇ギルドの一つだよ」
そういえば前にツバキさんと赤フードの連中が話していた動画でも出てきていましたね。実際に彼女がその組織のメンバーと知るのは初めてですので、そのように振る舞っておきましょう。
「ところでクロエ殿……そちらのお方は?」
「この子は親戚の子です。ちょっと色々と物知りなんですよ」
ルシールさんの説明も手慣れたものです。
まぁルシールさんのことは置いといて続きを話そうじゃないですか。
「それであなたの雇い主は誰ですか。イグニスたちじゃないのでしょう?」
「拙者の雇い主は……シートリンク領主の嫡男、ガラドラ様でござる」
……初めて聞く名前ですね。でもここでその名前が出てくるとは。
「なるほど……あなたがシートリンクの現状を知り得たのも理解できました。……大方、占領の件もその嫡男のガラドラとやらが手引したのですね?」
「理解が早いでござるな。その通りでござる。ガラドラ様はラプタリカと通じ、彼らをシートリンクに招き入れたでござる」
「しかも赤き混沌の使徒団とも繋がりがあるとみていいですね?」
「拙者は命令のみを受けて動いていた身ゆえ、命令以外に情報を聞かされることはなかったでござるが……拙者の見立てでは、そもそも使徒団自体がラプタリカと通じているようでござる。ガラドラ様に話を持ちかけたのもイグニス殿たちを通じての話だったようでござる」
……まさか赤フードのバックもラプタリカだったとは。
シートリンクの領主の息子……ガラドラという男を知りませんが大体見えてきました。ツバキさんはガラドラに雇われ、彼の代わりに手足としてイグニス達に協力していたわけですね。
「……シートリンクの領主家は王家の信頼も厚かったはず。であるからあの港町を任されておった。こういった有事の際、港は簡単に敵の手に渡ってしまわぬようにと……それなのに、かの家が裏切るとは」
信じられないことを聞いたというようにルシールさんが驚き固まっていました。……確かに港なんて重要な場所でしょう。そこを任せられるのは信頼の置ける人でなければ安心できません。
「裏切ったの息子だけなのでは?」
「ええ、ガラドラ様お一人の企みのようでござる。領主様は……ガラドラの両親は捕まっているでござる」
「むぅ……そうであったか。だとしてもあまりに信じられんのぉ……」
大方、ラプタリカに権力をチラつかされて裏切ったのでしょう。
「さて。大体聞き終わったところで聞きますが、この話は嘘ではありませんよね?」
問題はこの話の信憑性です。ツバキさん自身がまだあちら側の人間であったなら、こちらを騙す嘘の情報の可能性だってあります。
「嘘ではないでござる……」
「あなたの立場的に戦争が起こる状況をもっと早く知り得ていたはずです。もしシートリンクが落ちていたことが本当だったとして、どうして今になって裏切ったのです? ラプタリカ軍が来る前から行動を起こすことだってできたでしょう?」
「確かにその通りでござる……。迷っておった……。依頼主の命令に背き、行動するなど黒烏の一員であればけしてしてはいけない行為であったがゆえに。拙者を拾い育ててくれた、家族のような組織を裏切るに等しいことであると……」
目を閉じて語っていたツバキさんの目が開く。
「だが……ふと思ったのでござる。この街にはお主が……クロエ殿がいるなと。拙者を友と言ってくれた者が戦火に巻き込まれたら……嫌だと思ったでござる」
赤い瞳は命令に背く苦しさには揺れていなく、優しい光を宿していました。
「それに、お主は拙者を助けてくれると言ってくれたでござろう?」
「そういえば、そんなことも言いましたね」
「忘れてもらっては困るでござるよ。拙者はお主の為に今までの人生を裏切ったのでござるからな? ……この情報も、拙者の裏切りも、クロエ殿の有益になるはず。もしも、拙者が嘘を言ったというならばその時は殺すがよい。なんなら切腹するでござる」
「正直言えば私のことを思うならさっきも言った通り、ラプタリカ軍が出てくる前に知らせてほしかったのですが……まぁあなたにも事情はあったのでしょう。あなたの本気は分かりました、友人としてあなたの言葉を信じましょう」
これで二重スパイだったらお手上げですが……そういうキャラでもなさそうですし、大丈夫だと思うことにします。
「本当でござるか……!」
パッとこちらを見たツバキさんの嬉しそうな表情……この表情は演技込みですか? 相当嬉しそうですね。これを見たら嘘をついているようには見えないですよ。
「さて、そうなると……あまり時間がありませんね」
すでにシートリンクがラプタリカの手に落ちているとなれば、このダイロードも戦場となるまで時間がありません。そうなると――あの人にこのことを知らせたほうが良いですね。
「そういえばツバキさん、勇者の剣の行方は知りませんか?」
「オズワルド殿に手渡してそれっきりで、知らないでござる……」
盗んだ本人であるツバキさんなら何か知っているかと思いましたが、どうやら知らないようですね。
「じゃあ白い髪の女の子についても知りませんか? ミーティアという少女なのですが」
「ふむ……ミーティアという名には聞き覚えがあるでござるな。確かに最近オズワルド殿やイグニス殿の周りにそのような方が居たように思うでござる」
ふむ……友人の方はイグニスたちと行動しているようですね。……この分だと戦場で出会ってしまいそうです。
まぁこのことに関しては嫌でも分かるでしょう。まずは会いに行くべき人のところへ行きましょうか。
◇ ◇ ◇
「なるほどね……それで私のところにきたってわけね」
ダイロードの女領主、アンジェさんが神妙な表情を浮かべていました。
ツバキさんからの報せで、シートリンクがラプタリカ軍の手に落ちたことを知りました。
ラプタリカ軍の次の目的はダイロード……つまりこの街でしょう。
さすがに私個人では手に余る話ですし、この街の指導者であるアンジェさんが知るべきことなので、彼女に知らせに来ました。
ラプタリカ王国とはスワロ王国より東南方向にある国の一つです。規模としてはスワロ王国と変わらない国であり、スワロとは長年同盟関係にあったとルシールさんが言っていました。
「最近、スワロ王国とラプタリカ王国の仲が悪いのは知っていたし……近々戦争が起きることも予想できたけど……こっちまで巻き込まれるとはね」
このダイロードの地からラプタリカまではさらに遠いのです。なのでもし戦争になったとしても主戦場はスワロとラプタリカの二国間の国境付近であるとされていました。
「なんであれ、情報を持ってきてくれてありがとう。……でもその話の信用度はどれくらいかしら? シートリンクにラプタリカの軍勢がすんなり入り込めたとしても、こちらにその情報が全く流れてこないのもおかしな話ね。港にだって私の使いはいるけど、そっちからの報告はきてないのよ。国からもラプタリカとの間に何かあったという連絡もない。通信一つで報告できるのにね?」
アンジェさんは手を耳元にかざしました。まるで電話をするように。この世界の設定上、魔法による個人通信は可能ですからプレイヤーやNPC関係なく、相手が遠く離れていても現実のように話をすることができます。
「その子が報告者だって言うけれど、わざわざこちらに来て報告するという必要もなかったのじゃないかしら?」
アンジェさんが隣のツバキさんを見る。……確かに通信一本で済む話でした。わざわざ私のところにリスクを負ってまで報告する必要もなかったですね。
「……それについては面目ないでござる。拙者も最初はそうしようと思っていたのだが、向こう側に拙者の動きを感づかれた故に……。命からがら逃げてクロエ殿の元にたどり着いたのでござる」
裏切る直前まで迷っていたでしょうし、その段階でバレて逃走したというのであれば、こちらに連絡を入れる暇もなかったでしょう。この前のアップデードで手を耳元にかざさないと通信ができなくなりましたから、手の自由を封じられてしまえば全くできません。
「……まぁいいわ。どうせすぐに分かることでしょうから。とりあえず、一緒にお茶でもどう?」
アンジェさんは焦っている様子はなく落ち着いた態度でメイドにお茶の指示を出していました。
「お茶って……こちらの話が信用できないのは分かりますが……そんな悠長なことをしている暇はありませんよ。街がどうなってもいいのですか?」
「だから言ったでしょう? どうせすぐに分かることだから」
すっとアンジェさんの表情が変わる。足を揃えて優雅に座っていた姿勢が崩れ、ソファを独り占めするように足が広がる。
「――こっからはオフレコってことで。もしその話が本当だとしたら、これから戦争が始まる。だがここはなんだ? 現実の世界じゃなくてゲームだよ。ゲームにはルールがある。そしてもちろん、戦争には戦争のルールがあるってことだ」
突如としてけたたましいサイレンが鳴り響く。耳元で溢れんばかりの音の洪水と共に、視界いっぱいにウィンドウが表示されました。
《ラプタリカ王国がスワロ王国に宣戦布告しました! これより該当地域は戦争状態に移行します》
「どうやらそっちの話は本当だったようだ。――ようこそ戦場へ」
ウィンドウの向こう側ではジョンさんがにやりと笑っていました。