118・旧知の友
「薬草喫茶・黄昏の家……開店っと!」
手作りのドアプレートに書かれているのは開店を知らせる文字。プレートの端にはこの店のトレードマークであるとんがり帽子と黒猫のイラストが描かれています。これはアールが作ってくれました。
お店を開いてから数日が経ちました。祭りのおかげで宣伝はばっちりなのですが……ケーキの評判ばかりでした。なのでアールとも話して、ただの薬屋ではなく喫茶店としても営業することにしたんです。だから薬草喫茶。売っているケーキも薬草を使ったものが多いですからね。
ドアを開いて店内へ。ルシールさんの家だった場所を少しばかり改装した店内にはいくつかのテーブルとイスがあります。装飾品としてドクロの置物があるのが特徴です。買っておいてよかった。
「いらっしゃいませー……ってカイルさんじゃないですか」
「久しぶりだね、クロエ」
今日のお客さん第一号は誰が来るのだろうと思ったら……まさかのカイルさんでした。相変わらず、輝かしい爽やかな笑顔です。
「俺もいるんだけど!!」
「もちろん忘れていませんでしたよ、ライトくん」
もはや定番のやり取りになりつつある、ライトくんとの挨拶。すみません、カイルさんの光の陰に隠れていました。
「おや、見ない間にずいぶんとおしゃれをして綺麗になったようだね」
女性の変化にちゃんと気付けるところはさすがカイルさんですね。
「そういうカイルさんこそ、装備を一新したようですね。しかもライトくんとお揃いとは」
カイルさんとライトくんの鎧が以前と変わっていました。銀のプレートに金の差し色のされた揃いの鎧。……これは確か、王国軍の鎧。
「二人とも、兵士になれたんですね」
「あぁ、ちょっと特殊な形だったけどね」
「特殊……?」
「それよりクロエ。……ダイロードの領主が君に会いたがっている」
……はい? ダイロードの領主が私に?
店番をアールに任せて、私はカイルさんとライトくんと共に領主の屋敷に向かうことにしました。
ダイロードの新しい領主。この前の祭りでちらりと見かけましたが、確か女性でしたか。
聞けばカイルさんとライトくんは今はその領主の元で護衛をしているんだとか。
「僕たちが王都で兵士になろうとしたところで彼女と出会ってね」
「……ほら、あの大剣レックスって元々はここの領主の物だっただろ?」
「あーそういえば、そうでしたね」
ライトくんを勇者に選んだ大剣レックス。元は領主の物で、盗賊をしていたあの三人……アジーちゃんたちが盗んだのが始まりでしたか。
『ルシールさんが頼んだのでしたよね?』
『そうそう……あの時は時間もなく焦っておったからなぁ』
領主に呼ばれた私が心配になったのかルシールさんは付いてきてくれました。子供の姿だと説明が面倒なので今は黒猫の姿です。
赤い獣事件の時、勇者を探していたルシールさんがアジーちゃんたちに剣を盗むのを依頼したんでしたっけ。なんだかんだでライトくんの手に渡り、そしてツバキさんに盗まれていった剣。
そういえばあの剣、今はどうなっているんでしょう? あの赤いフードの連中が持っているのでしょうが気になりますね。
「その時のせいでな、俺らは剣泥棒として捕まりかけたんだよ」
「ライトが大剣レックスを持っていたという証言があったからね……」
考えれば最初に出会った頃、ライトくんは盗まれた剣と知らずに堂々と町中を歩いてましたね。よくそれで今まで捕まらなかったものです。
「捕まりかけたということは、捕まらなかったのですね?」
「そう。話を聞いて俺に罪がないことや、俺に勇者の力があるって認めてもらえたこともあるんだ」
「一番は被害者たる領主の娘が……今は現領主が止めてくれたのもあるね」
その時の縁で領主に気に入られ、彼女の兵士として雇われることになったそうです。
二人を助けたという領主……ちょっとどんな人か気になってきましたね。広場でちらりと見たときは綺麗な女性だった記憶があります。
領主の屋敷に着きました。街の中心にほど近い場所。門を潜って広い庭を通れば、横に長い立派な建物が見えてきました。ダイロードの街にはもう慣れたくらいに居ますし、領主の屋敷も前々から知っていましたが初めて中に入りますね。
屋敷の中も期待裏切らずに立派でした。赤い絨毯が敷き詰められていて、天井にはきらきらとシャンデリアが輝いている。
「おお、アンジェ! お前は今日も完璧に美しいィ!」
そんな豪華な屋敷に響き渡る、テンションの高い女性の声。
えっ……? と思って声がしたほうを見れば、エントランスの中央にある階段の踊り場に一人の女性がいました。手鏡を持っていて、映り込む自分しか見ていないのか、こちらには気がついていない模様。
「私の愛しい天使……!」
「アンジェ様。お客様をお連れしました」
「……おい、俺様の天使の名を気軽に呼ぶなと言っただろ!」
お、俺様……? 今、俺様って言いました……?
今私の目の前では美女が手鏡を手に自分を褒め称えているかと思えば、今度はドスのきいた男らしい口調で呼びかけたカイルさんに怒ってきました。
呆気に取られる私に深い溜め息をつくカイルさんと、「最初見た時はそうなるよなぁ」と同感気味のライトくん。
「ん……ああ、よく来てくれたわね! 待ちかねていたよ!」
私の存在に気づいたのか、手鏡と威圧感も引っ込めて、笑顔を向けてきた美女。……色々と気になりますが、ここは空気を読んで突っ込まずに進めましょう。
「初めまして、クロエと申します」
「私はアンジェ、このダイロードを治める領主よ」
お互いにドレスの裾を持ち上げて、貴族らしく一礼をする。さっきのは一体何だったのだろうと思えるほどの貴族らしい淑女がそこにいました。
「さて……突然呼び出してごめんなさいね?」
場所を談話室に移し、そこでアンジェさんと話すことになりました。互いにソファに座り、テーブルを挟んで向かい合っています。彼女の後ろの壁あたりにはカイルさんとライトくんが兵士らしく、警備のために立っていました。
「いえ。まさか領主様が私のことを知っていたとは驚きました」
「最近、この領内で何かと噂になるあなたを知らないわけないわよ。なにせ領主ですからね」
まだこの前なったばかりですけれど、と付け加えて微笑むアンジェさん。
「一体どんな噂をされているのか、気になりますね」
「あなたの従者が作るケーキがおいしいと」
「領主様の耳にまで入るとは有名になったものです。うちの従者も喜ぶでしょう。そうであれば手土産に持ってくるべきでしたね」
「ケーキはまた今度でいいわ。……今回あなたを呼び出したのは優秀な薬屋としてなのだから」
「優秀な薬屋として……ですか?」
アンジェさんは微笑みながら用意されていた紅茶に手を付ける。一口飲んで喉を潤した後に、紅を引いた唇が開いた。
「ええ。……最近、ダイロードの街や近隣の街などで、危険薬物を使用した人間による暴行事件が多発しているのをご存知かしら?」
「もちろんです。実に恐ろしいものですね……」
「その薬物事件、新たに流れ始めた別の薬のおかげで被害が抑えられるようになったんですよ」
「まぁ、それはよかった。これで安心して暮らしていけますね」
「そうね。それで気になったのよ、この薬は一体誰が作ったのだろうって」
「……だから私が呼ばれたのですね。私がその薬の製作者じゃないかってことで」
「話が早くて助かるわ。それで、あなたが製作者なのかしら?」
もちろん、私が作ったのですよ。……とはちょっと言い出せない。聖水と同等の能力を持つ回復ポーションについて話せば、自ずと封印の魔法陣や自分の正体について話すことになるでしょう。
正直言って、もう封印の守護者という正体について隠す必要もない気もします。明かしても何か問題になるかというレベルは過ぎているほどに、情報が出回ってしまっている。
「出処を調査したところ、ミランダの店を中心に出回っていること。その中で特に贔屓にしている薬屋があなただった」
そこまで調査されているとなると隠しようがないですね……。
前回はしらを切り通しましたがアンジェさんになら言ってもいいかもしれません。この場にはカイルさんとライトくんも居ますが、彼らも同じように信用できるでしょう。
そう思って口を開こうとしたのですが、アンジェさんが待ってと言うように手のひらを突き出しました。
「言えない事情があるなら無理には聞きません。ただ、私はこの領地のために薬が欲しいのです。薬さえ、取引していただければそれでいいのですよ」
「……怪しい薬と思わないのですか?」
「効果の程はしっかりと報告されています。それからクロエ、あなた自身は信頼の置ける人物であると評価されているようですから」
ちらりと後ろのカイルさんたちを見るアンジェさん。……一体どういう話をされて評価をされたのかは分かりませんが、信頼はされているのでしょう。
「……納品数と価格、それから納期を教えて下さい。その後で取引するか考えます」
「ありがとう、クロエ。これで領地の平和は保たれるわ」
アンジェさんから提示された金額は多めでした。しかも税金が免除されるのだとか。領主と取引するメリットがこんなところに。
「本当はもっと出したいところのなのだけれど……このダイロードの街はイルーやシートリンクほど裕福ではないからね」
それでも十分に払ってくれていますからあまり気にしないで欲しいですね。人助けなのだからと無償でやれと言われたらどうしようかと思いましたが。
「ありがとう。あなたみたいな薬屋がこの街に居てくれて助かったわ」
「まだ納品も何もしていませんよ」
「あなたの存在に感謝しているのよ」
契約を取り交わした後、アンジェさんは握手をしながらそう言ってくれました。……まぁこの初期の街に高レベルの調合屋がいることはあまりないでしょう。大体はここを旅立ってしまい、戻ることも少ないのですから。
「それから、もし回復ポーションなどもあれば納品してくれるとありがたいわ。量はありったけあればいいから、いっぱい持ってきて」
「良いですけど……そんなに何に使うんですか?」
「もしもの時の備えよ」
用途についてはにっこりと微笑んで教えてくれませんでした。まぁこの領主に限って悪用などはしないでしょうし、納品しても問題ないかなと思います。あちらも詳細を聞かずに取引してくれていますし。
「今日は会えて光栄でした。領主様がこんなにも素敵な方だったなんて」
「まぁ、嬉しい言葉をありがとう」
「外見も中身も美しいのですね」
「うんうん……そりゃそうだろう。だってアンジェは天使だからな!」
……んん? 今なんて言いました?
腕を組んで大きく頷く姿はさっきまでの淑女然としたアンジェさんとはかけ離れています。
「おっと崩れていたか。このロールはまだ慣れなくてな。悪いけどアンジェはしばらく休ませてもらおう。ちょっと疲れた」
「はぁ……」
……うん、まぁ。最初のアレからわかってました。アンジェさんはロールプレイヤーでしかも男の方なのだろうと。
「……アンジェ様」
「おい、また俺様の天使の名を呼びやがったな。ジ――」
「カイルだ! 俺の本名で呼ぼうとするんじゃねぇ!」
「わりぃわりぃ。えっとカイルだったな」
……これはまさか。
「カイルさんとアンジェさんってリア友なんですか?」
思わずこっちのロールも崩れてしまったのは許して欲しい。だって、気になるじゃないですか。
「そうそう、俺様とジ……カルロはもう何十年と連れ添った相方で……」
「変な言い方はよせ。ただ仕事上付き合いのあるだけのやつだ。あとカルロじゃなくてカイルだ」
「冷たいなぁライルは」
「カイルだって言ってんだろ……わざと間違えてるなお前」
このやり取りからして本当にリアルの知り合いらしいですね。それにしても、カイルさんの仕事仲間ですか……。俳優の仕事をしていると言っていたはずなので、たぶんアンジェさんもその関係の人なのでしょう。なら先程のアンジェさんの演技の上手さにも頷けます。なのですが……。
「あんなにも上品なレディだったのに……見る影もないですね」
「だろ? さすがカイルの知り合いというかなんというか」
ライトくんと頷きあう。ギャップが激しいということはそれだけ演技と本人に差があるということです。
「……本当、なんでお前、ネカマなんてやってんだよ」
「そんなもの……理想の美女を、俺だけの天使を生み出せるとなったらやるに決まってるだろ! あぁ、アンジェ! 本当にお前は美しい! 俺の天使!」
また手鏡を持ったアンジェさんは自分のアバターを褒め称えていました。……その感覚はわからないわけではありませんが……ちょっと度が過ぎているというかオープンすぎるというか。
「カイルさんの知り合いって変わっていますね」
「俺もこんなやつだとは思わなかった。付き合い長いけど初めて知った」
「俺様を変人扱いするんじゃないぞ、そこ。そういうカリルこそ、昔俺が演じたキャラそっくりじゃねぇか。そんなに好きだったのかよ、そのキャラ」
「だあああ! やめろ! その話はやめろ!!」
カイルさん、名前の間違いに突っ込む余裕もなく慌てている。それほどに話題にしたくない話のようですね。
「その話詳しく聞かせてもらえませんか?」
「俺もカイルのおっさんのその話気になるぞ!」
「いいだろう、いいだろう! そう、それは昔の話だ。俺様がまだ無名の新人だった頃、とある主人公を演じたことがある。これがまた古典的な主人公でな、そこのカロルそっくりだったよ」
「……カイルだって」
「ちなみにこいつは主人公役のオーディションに来ていて即行で落とされていた。……代わりに敵役で受かっていたけどな」
「そんな個人情報までバラさないでくれ!」
……カイルさんにそんな過去が。ちなみにカイルさんは恥ずかしそうに顔を手で覆って隠していました。
「お前、ずっとそういう役やりたいって言ってたもんな……ここで出来てよかったじゃねえか。俺様は好きだぜ」
「……リアル知り合いに憧れのキャラとそっくりなキャラを作って演じていたことを知られた場合の状況を考えろ……穴があったら入りたいやつだぞ!」
「えー俺は嬉しかったぞ? そんなに俺様の演じた役が気に入ってくれてたんだなぁってわかったからな」
「だからてめぇにだけは知られたくなかったんだよ!!」
「なら、見られても構わないものにするべきだったな! 俺様みたいに!」
「お前のその堂々さを分けてほしいくらいだ!」
カイルさんの羞恥は分からなくもないですね。まぁ私はどちらかといえば、アンジェさんと同タイプなのですが。実際にリアル知り合いのミーティアにキャラを知られていますからね。
カイルさんの場合は……知人が演じた役だったので、恥ずかしさは倍々でしょう。
「くそっアンジェ、お前にだけは本当に知られたくなかった……」
「だから俺様の天使の名をロール以外の時に呼ぶなよ」
「さっきロール中でも怒っていたろ!?」
「そうだったか? まぁ俺様の天使の名を気軽に呼ばれるのは好きじゃないからな」
「じゃあ今のお前はなんて呼べばいいんだよ、このままだと理不尽にまた怒られるんだが?」
「それじゃジョンとかスミスとか……適当にそのへんで呼べ、カイン」
「お前なぁ……!」
アンジェさん……すごく自由人ですね。カイルさんが突っ込むのも疲れるレベルです。
「改めまして。俺の時はとりあえずジョンとでも呼んでくれ、魔女ちゃん!」
「えっと、よろしくお願いします。ジョンさん」
アンジェさんの中の人ことジョンさんは軽いテンションで自己紹介しながらウィンクをしました。
ややこしいけど、この人はキャラと中身を完全に分けて呼んだほうがいいですね。
「ちなみにアンジェにガチ恋は禁止だ。俺の嫁は誰にも渡さない」
「言われなくても、そんなことしませんよ」
だってこれですからね。ちなみにアンジェさんのキャラネームは『愛しのアンジェ』という名前で登録されていました。ただのアンジェじゃないところがジョンさんらしい。
「そうだった! 何か困ったことがあれば私を頼ってね、クロエ」
「えっ、ええ……わかりました」
パッと切り替えて、アンジェさんの顔でそう言ってくれる。……こういうところはカイルさんの知り合いなんだなぁって思えますね。