#9
普通の乗合馬車と高速馬車の違いは、その名の通り速さの違いだ。
とことんまで小型軽量を追求した車体を、贅沢にも三頭の馬に牽かせて街道を爆走する。ところどころに設けられた馬小屋で馬を交換しながら、徒歩ではおよそ達成し得ない時間で街から街へと移動できる、こんな状況では大変に重宝する乗り物である。
ただし、当然のことながら値段もべらぼうに高い。教会の経費でなければ絶対に乗ろうとは思わないだろう。リュネットの杖と同じように教皇庁のツケ払いにしておいたが、こんなことばかりしているとさすがに後で上官に本気で怒られそうで正直怖くなってくる。
本来なら、今回のような異常事態では速やかに上官に連絡を取って支持を仰ぐのが筋ではあるが、ここから教皇庁までは距離が遠すぎて神具による通信もまともに繋がらないし、手紙を出しても届くのに数日はかかるだろう。一応、連絡が取れないときは現場の判断で動くことになっているので、当分は俺の判断――実際にはリュネットの言いなりになっている気がしないでもないけれど――で動くしかないだろう。
「それにしてもこの街、先程の宿場町よりだいぶ大きな街ですが……その……」
リュネットの言いたいことは大体わかる。
まず何より汚らしい。道端にゴミが多いのももちろん、建物の壁も染みやら落書きやらで酷いことになっている。ついでに道行く人々の服装もかなり汚らしい。
更に言うなら騒がしい。まだ夕方だというのにすっかり出来上がってしまっている酔っ払いの嬌声や、何やら言い争う声、そしていたるところに立つ呼び込みの声など、辺り一帯が止むことのない喧騒に包まれている。
「この街では、あまり教会の権威はあてにしない方がいいかもしれませんね」
ディーノの言う通り、ここで異端審問官の名前を振りかざすのはあまり得策ではないだろう。後ろ暗いところのある相手に対して効果は絶大だが、それ故に逆上して襲われかねない諸刃の剣だ。
しかし実を言えば、こういう場所でこそ異端審問官の仕事は多いわけで、当然のことながら立ち回りのための訓練や教育は受けている。しかも、この街には仕事で一度来たことがあり、その時の情報の大部分がまだ生きているはずだ。
「とりあえず、まずは情報集めからだ。今、俺たちを追っているのは賞金稼ぎたちだったよな……だったらあそこだ」
そう言って、俺は二人を連れたまま、表通りから一本入った路地にある酒場へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
酒場の店主は俺たちを見て一瞬怪訝そうな顔を見せたが、それでも普通に受け入れたようだ。
何しろ全員が小柄な体格なので、ひょっとしたら十五歳未満の子供と思われたのかもしれない。もっとも実際には俺が十六でディーノが十五、リュネットは――そういえば聞いてないけどとりあえず十五くらいということにしておこう――ということで、酒場的に考えれば「入ることができる」というだけであってほとんど子供と変わらない扱いになるだろうが。
カウンターには大柄な男が腰かけていて、荒々しく酒を煽っている。俺はその隣に座ると、店主に注文を告げた。
「ホットミルクを一杯」
すかさず隣の大男が声を甲高い笑い声を上げる。
「ひゃっはっはっは! ミルクだとよ! ここは酒場だぜ! ガキはおうちに帰ってママのおっぱいでも飲んでな!」
ここで俺は平然とした顔のまま、とはいっても実際にリュネットの前でこんなことを言うのはかなり気が引けるが、それでもしっかりと言うべきことを言う。
「どっちかというと他人のおっぱいがいいな。金髪美人なら最高だ」
「そういうのなら隣の店に行ってくれ。割引券をくれてやる」
店主はそう言うと、小さな紙片に何やら書き込んだものを手渡してくる。隣の大男はにやりと笑ってこちらに片目を閉じて見せてきた。正直ちょっと気色が悪い。
「ありがとう。行ってみるよ」
そう告げると、俺は二人を連れて酒場を後にしようとする。すると、リュネットが顔を近づけて来て小声で俺に耳打ちしてきた。
「……金髪美人のおっぱいが好みなんですか?」
「……お前、わかってて言ってるだろ?」
こうなるから言いたくなかったのだが、必要だったのだから仕方ない。にやにや笑いを抑えきれていないリュネットの表情を見ながら、逆にこういう状況で本気で怒ってくるような奴でなかっただけマシだと自分に言い聞かせつつ、隣の店へと足を運んだ。
隣の店はさっきの店よりは少し派手な雰囲気で、入るなりウサギの耳のヘアバンドを付けた露出の多いお姉さんに出迎えられた。美人ではあるけど俺の好みとしてはリュネットの方が――などと考えている場合ではないので、さっさと先程の「割引券」を渡す。
「あら、ではこちらにどうぞ~」
そう言われて案内されたのは、階段から地下に降りた更に奥にある、分厚い扉と壁に囲まれた部屋だった。地上の騒がしい酒場の喧騒が全く届かず、不気味なくらいに静まり返ったその部屋には、フードで半分顔を隠した初老の男が待ち構えていた。
「ずいぶんと若い客だな――ああ、なるほど」
男はリュネットを見て、全てを察したようだった。この様子ならそれなりの情報が期待できるだろう。
俺は早速、買いたい情報の内容を提示した。
「まず、手配の状況はどうなっている?」
「五十」
簡単な情報とみなされたのか割と良心的な値段ではあるが、残念ながらディーノの分を合わせてもそこまで現金に余裕があるわけじゃない。質問はある程度絞る必要があるだろう、などと考えながら、俺は頷いた。
「手配は二種類出ている。どちらも私的な秘密手配で、対象は十五歳の娘一人、名前は出ていない。特徴としては紫の髪と瞳、『それなりの』または『かなりの』魔法の使い手。王城から西に向けて移動中と思われる。似顔絵はそれぞれ別のがついていて――」
そう言うと、男はリュネットの顔をじっと見て首を傾げる。
「まあ、どちらも精度はそこまで高くないが、特徴を捉えてはいるからプロなら同一人物と判断できるだろうな。ここまでは二つの手配で大体共通だ。違う点だが、一つは『傷つけ過ぎず、生きたまま確保すること』で五万。もう一つは『生死問わず』で三万五千。互いに競うように吊り上げ合戦をやっているから、まだ上がるかもしれんな。いずれもダミーの機関を通して手配を出しているが、バックは明らかにディアマント王国の高官が絡んでいる。おそらく高官同士の諍いが原因だろう、というところまではその筋での共通認識だ」
私的な秘密手配ということは、公式の手配と違って、賞金稼ぎ側の行為が免責されるわけじゃないってことだ。つまり、人目に付くところで事を起こせば誘拐や殺人の罪に問われることになる。街中で白昼堂々襲われる心配はほとんどしなくていいだろうし、そもそも業界人を除く一般人は手配の事実さえ知らないはずだ。
逆に言えば、街中でも人目に付かないような場所では要注意、街の外に至っては言わずもがな。そして金額がかなり跳ね上がっているため、追っ手はいずれも手練れのプロばかりとなるだろう。
「今のところ、どんな奴らが動いている?」
「三百」
「……質問を変えよう。その賞金を狙っている中で、特に危険度の高そうな奴らの情報が知りたい」
「二百」
あまり削れなかったが、まあこんなものかと頷いて先を促す。
「この状況で動く可能性が非常に高いのが二組いる。まずベリリウム三兄弟。重装軍馬と全身板金鎧の、騎士にも匹敵する装備と腕前を持ちながら、素行の悪さのせいで山賊紛いに身をやつした連中だ。街中で動くことはまず無いだろうが、神出鬼没でどこにでも出るらしいから街から街への移動時は注意だな。それからアロンソとガーベル、こいつらは学院出の魔法使いでかなりの手練れだ。チンピラ戦士を『肉壁』として従えながら、賞金稼ぎとしてかなりの荒稼ぎをしている。拠点はここよりもっと西だから、そっちに行かない限りは会わないだろうな」
今の戦力を考えると、どちらもまっとうに相手にしたくない手合いだ。しかも――
「あと、これは不確定すぎる情報だからサービスしておく。さっき言った三兄弟とは別の、黒い鎧の戦士が王城から『これは金になりそうだ』などと言いつつこっちに動いているらしい。やたらごっついハルバードを馬上で自在に振り回し、鎧を着た兵士の胴体を鎧ごと断ち切ったとか、そんな眉唾物の話もある。そういう特徴の奴に微妙に心当たりはあるが、俺の知ってる奴だとするといろいろおかしい点がある」
「……俺もその人を知っている気がするけど、だとすると確かにいろいろおかしいな」
いくつかの特徴は、俺が知っている人間そのものだが、いくつかの特徴が全く当てはまらない。もしも俺の知っている人間そのものであれば、敵に回すと本当に恐ろしい――が、そもそもこんな怪しい仕事に手を出すような人だったかな?とも思う。賞金稼ぎと言えば聞こえはいいが、言ってしまえば金目当ての犯罪行為だ。
「俺からはこんなもんだ。他に聞きたい人は……ってどうした?」
ふとリュネットの方を振り返ると、彼女はあからさまに顔を蒼褪めさせ、しかし表情だけは無表情を貫き通している。
「……金になりそう……馬上……? あ、いえ、なんでもありません」
こっちはこっちで何か心当たりがあったみたいだが、やはり何かが微妙に違っているのだろう。この辺の話は後でじっくり聞かせてもらおう。