#7
さすがに朝市の中に魔法使い用の杖を売っている店などなかったので、地元の人に道を訊きながら、裏通りの専門店が並んでいる一角にまで足を運ぶ。
町で唯一という魔法道具屋に足を踏み入れると、狭苦しい店内に様々な種類の道具やら本やらが並べられており、奥では店主と思しき爺さんが半目を開けたまま舟をこいでいた。
本当にこの店で大丈夫なのか、と思ったが、リュネットもどうやら同じ感想だったようで、微妙に浮かない顔のまま棚を物色していたが、やがて一つの小ぶりな木製の棒を手に取ると、首を傾げながらも諦めたように頷き、店主の元へと持っていく。
「これをお願いします」
「……ふが? あ、おお、これだね。一千だね」
店主が告げてきた値段は、俺の財布の中の全額より少し多いくらいの額だった。
「お、おい、魔法の杖ってこんなにするのか?」
店主に聞こえないよう小声でリュネットに訊ねると、リュネットは同じく小声で返してくる。
「まあ普通の値段ですね。一応最低限の、本当に最低限の性能しかないのですが、間に合わせとして今回の用途にはおそらく十分です」
最低限、を二度も強調されてしまっては、もう少し安いのは無いか、とは言い出せそうもない。仮にあったとしても、財布の金の大半を使い果たしてしまったら、この先どこに行くにしろいろいろと無理が出て来てしまうので、ホイホイ買ってやるわけにもいかないのだが。
かと言って、少なくとも王国の一部の勢力に命を狙われていることが明白なこの状況で、その狙われている当人であるリュネットを丸腰のままにしておくというのはどう考えても愚策だ。
仕方がない、あまり乱用したくはなかったが、ここは最後の手段を使うことにする。
「あー、支払いなんだけど、ここに請求書を回してくれないだろうか」
そう言いながら、俺は懐から所属の書かれた身分証を取り出し、店主の爺さんに見せた。爺さんはそこに刻まれた文字を見て、即座には理解できなかったのか三秒くらい固まっていたが、やがて理解すると同時に「ひっ」と悲鳴に近い声を上げ、危うく椅子ごとひっくり返りそうになったので慌てて支えてやる。
「お、お許しくだされ……わたしゃ神に誓って不正など働いておりませぬ……」
「おっと、脅かして済まなかった。摘発に来たわけじゃない。別の任務の必要経費として杖が必要になっただけだ」
その後、爺さんが落ち着くのを待ってから、俺は証文にサインすると同時に商品を受け取った。
「待たせたなリュネット……って居ねぇ!」
いつの間にか姿を消したリュネットを追うべく、俺は慌てて店を飛び出した。
すると、リュネットは店から少し離れたところで、険悪な視線をこちらに向けて来ていた。
先程までの友好的な、どちらかというと懐かれているんじゃないかという状態から一変した態度に一抹の寂しさを……じゃなかった、大きな違和感を覚える。
「一体何なんだよ、いきなり血相変えて」
「……まさか、あなたが悪の権化、学院の仇敵、歩く災厄の象徴だったなんて」
「唐突に酷いこと言われてる!?」
まったく訳が分からない。俺が教会の側の人間であったことは前から伝わっていたはずだし、今のやり取りでこいつが新たに知ったことといえば――
「そういえば、異端審問官だってことはまだ伝えてなかったな」
異端審問官、という言葉を発した瞬間、リュネットの目つきが更に険しくなった。
「魔法学院における研究活動は、常に未知の難題に挑み続ける崇高な戦いです。数多の障害が待ち受けていますが、中でも最も厄介かつ非生産的な代物が、教会の定めた禁呪指定なのです」
言われてみれば聞いたことがある。かつて教会は世の中で使われる全ての魔法を教会の管理下に置こうとして、魔法使いたちと深刻に対立していた時代があったと。そして少なくない血が流れた後に、エリタージュ魔法学院を含むいくつかの有力団体と和解交渉が持たれ、特に危険かつ有害な魔法群を禁呪指定し、それを順守する限りは教会側は個々の魔法行使そのものには干渉しない、という協定が結ばれたという。
そして、対立時に魔法使いたちと実際に戦ったのも、和解後に禁呪行使の取り締まりを実際に行っているのも、異端審問官の仕事であるらしい。
「つっても、禁呪の摘発なんて重大任務、俺みたいな三等官の下っ端がやるような仕事じゃないぞ」
実際、異端審問官というのは教会関係者のみならず教会外の一般人からもやたらと恐れられる存在であり、さっきの爺さんみたいな反応をされることは決して珍しいことじゃない。とはいえ現実には俺みたいな三等官の持つ権力なんて微々たるものだし、それだって正当な理由なく行使すれば今度は俺自身が審問の対象になってしまう。
俺の言葉を信じたのかどうかはわからないが、なおも警戒心丸出しで身構えているリュネットに、俺は買ったばかりの杖を手渡してやった。
「ほら、一応教会の備品扱いになるからな、大事に使えよ」
リュネットはそれを無言で受け取ると、いきなりその場で呪文の詠唱を始めた。足元に光る魔法陣が一瞬で展開され、辺りを眩しく包み込む。
「って、町中でいきなりぶっ放す気か!?」
俺は慌てて身構える――が、すぐに魔法を放って来る様子はない。これでは俺がその気になれば簡単に阻止できてしまうだろう。というより、そもそも俺に向かって魔法を使おうとしている雰囲気でもない。
やがて詠唱は終了し、リュネットの杖から一筋の鋭い光が空に向けて放たれる。次の瞬間、突然目の前の空間に光の球体が現れ、更にその場で弾け飛んだ。一体何が起きたのかと見守る中で、弾けた球体の中にあったと思しき物体がドサドサと地面に落ちてきた。
よく見ると、それは服だの荷物袋だの靴だのといった品々だった。
「もしかして……向こうに置いてきたお前の私物、か?」
「はい。塔に閉じ込められるまで私が持っていた所持品ですが、おそらくあの後没収されて城に保管されていたのでしょう。魔法的な目印をつけていたので、こうして強制転移魔法で取り戻すことができました。しかし、やはり無いですね……」
「何が無いんだ?」
「私の愛用の杖です。こんなオモチャみたいな杖とは違う本格品ですが、どうやらあれだけ壊されたか、もしくは塔の内部にでも保管されているのでしょう。しばらくはこの杖で何とか騙し騙しやって行くしかないですね……」
「良くわからないけど、愛用の杖とこの杖だとどのくらい違うんだ?」
「この杖ではあまり大規模な魔法は使えません。小規模な魔法でも、射程距離はかなり短くなります。大体……この通りの突き当りくらいまで、ですかね」
ぱっと見た感じでは歩いて数十歩くらいの距離で、少なくとも俺が投げる釘の射程よりははるかに長そうだ。とはいえ追っ手の兵士が持っていたような弓の射程には及ばないだろう。
「そんなことより、宿に戻りましょう。せっかく取り戻した服に一刻も早く着替えたいです」
「ええと、俺が異端審問官だとかそういう話はどうなったんだっけ……」
「同じ服を洗わずに十一日も着続けるという屈辱の方がよほど大きな問題です。さあ、早く行きましょう」
「そ、そうか……」
もはや突っ込む気力も失せて、俺はリュネットの後をとぼとぼと歩いて行った。