#49
宝玉を抱えた俺は、リュネットと共にライナスのいる戦場へと戻ってきた。
想像していた通り、戦況は膠着していた。近衛騎士たちは遠距離魔法により地面に穴を穿ち、ライナスの足止めをしているようだ。
何人かの近衛騎士が傷つき倒れているところを見ると、おそらく突撃して直接攻撃を仕掛けようとして反撃を受けたのだろう。それを見たエーデ女王陛下が突撃を中止させ、完全に足止めに徹する戦法に切り替えたに違いない。
「ピエトロ、その宝玉を地面に置いて下さい」
リュネットに言われるがまま、俺は宝玉をその場の地面に置いた。
するとリュネットは杖を掲げ、今までに聞いたことがあるものとは少し違う呪文を唱え始めた。
地面に置いた宝玉が徐々に浮かび、淡い光を放ち始める。が、リュネットの表情が突然、苦悶の表情に変わる。
「一体どうしたんだ――」
「私が塔の代わりに、この宝玉を発動させて、ライナスさんの力を封じます」
「でも人間には無理だって――」
「グローリアさん! 私がこの宝玉を発動させたら、ライナスさんの身体の中心にある核を破壊して下さい!」
リュネットの叫びに、ディーノの開放をしていたグローリアが応じる。
「身体の中心の核? それってどこなの!」
「ちょうどおヘソのあたりです! 胴体ごと真っ二つにして下さい! それでライナスさんは解放されるはずです!」
そう告げるリュネットの顔は、青というよりはむしろ白く染まっていて、見るからに生気が失われているのがわかる。それはあたかも、リュネットの全身を巡る生命力が、一斉に杖に向かって流れ込んでいるかのようだ。
俺は、星幽の門を閉じた時のことを思い出した。あの時は確か、冷たくなった手を俺の手で包み込んでやることにより――それが本当に何らかの支えになっていたのかどうかはわからないが――リュネットは見事にやり遂げたのだった。もしかしたら、今回も同じことができるかもしれない。
俺はリュネットの隣に寄り添うように肩を並べると、杖を握るリュネットの両手を更に上から包み込むように握った。しかし、彼女の手はあの時とは比較にならないほど冷たくこわばっており、俺が包み込んだくらいでは震えが止まることもなかった。
「お、おい、お前本当に大丈夫なのか?」
「……」
リュネットは俺の質問には答えず、ひたすら呪文を唱え続けている。
これは――まさかとは思うが、リュネットは――
俺はもう一つ思い出していた。この状態で下手に杖に触れると、一気に力を吸われて命に係わる、とあの時リュネットは言っていた。
逆に言えば、もしかしたらこの方法を使えば、俺の力も一緒に使われるということになるかもしれない。
俺は意を決して、リュネットの手を握っていた手を少しずらし、杖本体に触れてみた。
指先がほんの少し触れた瞬間、俺の全身からありとあらゆる力――体力、生命力、精神力といったものが根こそぎ吸い込まれていく感覚に襲われた。確かにこれは予期せず触れれば、一瞬で致命的なことになっていたかもしれない。
だが俺は歯を食いしばってそれに耐える。
「な……な……なな、なんてことするんですかピエトロ!」
その時のリュネットのうろたえぶりは、俺の想像のはるか上を行っていた。
「それはもちろん、俺の力を――」
「ピエトロまで死んじゃったらどうするつもりですか! この宝玉はあなたが考えているほど甘いものでは――」
「聞き捨てならないな。俺『まで』ってのはどういうことだ?」
俺の指摘に、リュネットは一瞬だけ「しまった」という表情を見せたが、無理矢理それを隠してまくし立ててくる。
「もう嫌なんです! 私のせいでこれ以上誰かが死ぬのは耐えられません! お願いですから離して下さい!」
「やっぱりそれを引きずってるのか。いい加減わかってるんだろう! お前のせいで死んだ奴なんて誰もいない!」
そう言う間にもリュネットは抵抗しようとするが、もはやその体力も残されていないらしい。
「大丈夫だ! 今は俺の方が力は残ってるはずだ! お前が生きてる限りは俺も死なない!」
「それは……! ダメです! ダメなんです! ダメ……」
目の端に涙まで浮かべてリュネットは抵抗していたが、やがて抵抗を諦め――そして声色が変わった。
「実は私……ピエトロに黙っていたことがあるんです」
「黙っていたこと?」
「はい。実は私、塔の屋上で初めて出会った時から、わざわざあなたに気を持たせるような態度を取り続けていたんです。理由はおわかりですか?」
「俺に一目ぼれでもしたか?」
そんな冗談で返している間にも、俺の身体からはどんどんと力が吸い取られ、気を張っていないとあっという間に意識が持って行かれそうである。
「ふふっまさか。あなたが教会の人間だということはわかっていましたから、目一杯利用するために誘惑させてもらいました。あなたまともに女の子と付き合ったことないでしょう? それはもう、簡単に手玉に取ることができました」
「……」
「冷静に考えてみて下さい。ウエストエンドまで同行するくらいならともかく、魔境にまで一緒に乗り込んで、挙句にドラゴンだのアストラルガードだのとの戦いにまで手を貸すなんて、三等官などという下っ端の任務にしては明らかにやりすぎだと思いませんか? 何の疑問も抱いていなかったとしたら、それこそ私にのぼせ上がっていた証拠ですよ」
「……そうかもしれないな」
「ですがそれももう終わりです。あなたはもはや私にとって役立たずです。今まで散々あなたの気持ちを弄んでごめんなさい。反省はしていますが後悔はしていません」
「そうか……よくわかったよ」
俺はただそう返事をした。それだけだった。
そのまましばらくの沈黙が流れる。
「……私、言いましたよね? 今まであなたのこと――」
「誘惑して利用していただけだって言ったな」
「……どうして手を離さないのですか?」
「どうして手を離さなきゃいけないんだ?」
「……ええと」
「この件については後でたーっぷり追求させてもらう。そのためにはお前に死に逃げされちゃ困るんだよ」
「……な……」
リュネットは蒼白な顔色のまま絶句する。
「どうして! あなたは自分を弄んだ女のために進んで死ぬつもりなんですか!」
「このままお前に死なれたら寝覚めが悪いどころの騒ぎじゃないだろう! それに万が一、力が足りなくて失敗でもしたらどうするんだ! 最悪人類滅ぶぞ!」
「……ええと……」
「言っておくが俺は死ぬ気はないぞ。いや命がけってことはわかってるが、俺にとっては二人とも生き残ることが唯一の勝利条件だから仕方がないだろう。少なくとも俺の力を加えれば、お前が生き延びる確率は上がりこそすれ下がりはしないだろうからな。一人よりは二人――」
「そして二人よりは三人、ですね」
「それはそうかもしれませんけ……ディーノさん!? いつの間に出てきたんですかっ!」
俺の左隣、つまりリュネットの正面には、さっきまで倒れていたはずのディーノの姿があった。彼も横から杖を直接握り、そして俺たちと同じように力を吸われながら顔面を蒼白にしている。
「これはいけませんよ。あんな大掛かりな装置がなければ動かせなかっただけあって、想像していた以上の難物です。あなた方二人だけでは高確率で命を落としていたでしょうし、発動自体に失敗していた可能性もゼロではなかったはずです」
「触っただけでよくわかるなお前……」
「この宝玉は相当古いもののようです。ですので、現代の魔法よりは神聖術に近い要素がかなりあるんですよ」
「ディーノさん……やめて下さい……これ以上、これ以上私のせいで……」
「黙って聞いてればさっきから泣き言ばかりでやかましいよ! ここまで来たら誰も死なせないつもりで頑張るしかないでしょ!」
突然現れた四人目の声は、もはや確かめるまでもなく誰の物かはわかっていた。
「グローリアさん! どうしてあなたまで……あなたには、ライナスさんの核を破壊してもらう大事な役目が――!」
「そんなもんはあたしじゃなくても、もっと適任者がいるさ。でもこっちはあたしじゃないとできないからね。わかるかい? あんたに死なれると悲しくて悲しくて夜しか眠れなくなるような奴は、少なくともここには三人しかいないっていう残酷な事実がさ」
「つまり、俺たち三人はまんまとリュネットの色仕掛けにやられてしまったってわけだ」
「ほーう、それはあたしとしても聞き捨てならないね。そこんとこ後で詳しく頼むよ」
「ふ……ふふふ……ははははははは……」
突然、リュネットが壊れたように笑い始めた。何事かと目をむく三人の前で、リュネットは実にいい笑顔を浮かべて告げる。
「あなたたち本当に馬鹿でしょう?」
「お前に」「言われたか」「ないです」
俺、グローリア、ディーノの声が見事に繋がり一つの返事になる。
「……わかりました。こうなった以上、全員が生き残る道に賭けるしかありません」
「やっと決意してくれたか」
「正直に言いますと、二人ではまず生き延びるのは絶望的、三人でもかなりの低確率でした。ですが四人なら……」
「四人なら?」
「……五分五分です!」
それだけ言い残すと、リュネットは呪文の詠唱に本格的に集中し始めた。
「ほーう? でもきっとキミはあたしの肉体を過小評価しているよね? 具体的には二割分くらいは」
「僕の神聖術の知識を応用すれば、もう少し効率の良い力の運用の手助けができると思います。ええと、二割分くらい?」
「俺は……そうだな、お前とこうやって肩を寄せ合ってるだけでやる気が出るからプラス一割分くらいだな! まったく弄ばれて手玉に取られる男は辛いぜ!」
宝玉の発動が近づくにつれて、力を吸い取られる速度もどんどん上がってくる。そろそろ極楽への扉が見えて来そうだが、俺の極楽はこっちにあるのだと言い聞かせて踏み止まる。
いよいよ宝玉に力が溜まり、光が溢れそうになったところで、ライナスと対峙する近衛騎士団に向かってグローリアが叫ぶ。
「これからあたしたちが奴の力を封じる! そうしたら身体の中心、ヘソのあたりにある核を潰して欲しい! そうすればそいつは解放される!」
その言葉が通じたのかどうかを確かめるより先に、宝玉の輝きは頂点に達した。
「行きます――《虚無の宝玉》、発動せよ!」




