#46
「あの改竄の効果は、キーワードで命令権を横取りするだけのものです。本来想定されていた安定状態ならまだしも、完全に暴走しているあの状態では、命令も何もあったものではありません」
「しかし、儀式魔法が完成したなら、あのライナスとかいう奴がリュネットを殺す必要はもう無くなったんじゃ……」
俺がいくらそう主張したところで、アストラルガード完全体となったライナスの歩みは止まらない。
魔法使いたちが逃げ去ったことで、ライナスの姿がはっきりと見えるようになった。どす黒く染まった鎧兜の色や形は変わっていないが、背後に広がっていた黒いオーラのようなものが、今はオーラを通り越して後光のように輝いて――黒い輝きというのも変な話だが――見る者を本能レベルで圧倒してくる。
「どっちにしろ、あたしの出番ってことかな。この塔の中で、完全じゃなくても一部でも力が封じられるっていうなら、何とかして叩きのめして押さえつけてふん縛ってやるよ!」
そう力強く宣言するグローリアの頬にも、明らかに冷や汗と思われるものが流れている。それほどまでに、このアストラルガード完全体の放つ畏怖の力は圧倒的だった。
しかし、そこでライナスの歩みが止まる。一体何事かと思っていると、その場でライナスは大きくハルバードを振りかぶり――
「……まずいっ!」
俺がそう叫んだところでどうにもならなかった。とてつもない勢いで武器が一振りされたことによって生じた衝撃波が広がり、俺たちの下を音の速さで通り抜けて行った。
「……下?」
「ああっ! 塔が! 塔が傾いています!」
ディーノの叫びを受けて思わず窓から下を覗き込むと、地面には瓦礫と化した石が大量に散らばっている。
あの一振りによって生じた衝撃波で、塔の一階部分がことごとく破壊された――そのことに気付いた時には、既に塔は目に見える速度で傾き始めていた。
「うわあ……あ、頭だ! 頭を守れ!」
俺がそれしか言えずにいる間に、塔の傾きはどんどん加速していき――直後に視界があらゆる方向に揺さぶられ、俺は気を失った。
*
一体、どれだけ気を失っていただろう。
俺はゆっくりと起き上って、辺りを見回した。
二階だった部屋は半分以上原型を留めているが、一部の壁が崩れ、外が見えるようになっている。リュネットにディーノにグローリア、全員が俺の近くに倒れていてうめき声などをあげているが、ぱっと見た感じでは流血や深手の兆候などは見られない。
崩れた壁の隙間から外を伺うと――そこにはとんでもない光景が広がっていた。
塔は一階部分が完全に破壊され、二階部分以上がまっすぐに横倒しになっていた。低層階はまだ原型を保っている部分もあるが、中層階以上になると完全に瓦礫の集まりと化しており、高層階に至ってはまさに粉々と言っていい有様だ――最上階部分ともなると遠すぎてよく見えないが、おそらく俺たちの乗って来た新しい『翼』は既に跡形もないだろう。
そんな瓦礫を踏み締めながら、ライナスがまるで何かを探すように、中層階だった部分の残骸が散らばるあたりを歩き回っている。
「う……あ、ピエトロ、一体何がどうなって……」
「ディーノ、気が付いたか! 神聖術は、神聖術は使えるか!?」
「えーと……ほんの少しだけなら行けそうだよ」
「じゃあ二人の治療を頼む! 俺はまだ無理だ!」
「わかった! ……うん、大丈夫。全身を強く打ってはいるけど、大きな傷とかは無いし骨も折れて無さそう」
ディーノの答えに、俺はひとまず胸を撫で下ろす。しかし、やはり塔がこの状態では、魔法を封じる効果は完全に失われているようだ。
俺はライナスに視線を戻し、奴が一体何をしているのかを確かめようとする。
しばらく瓦礫の中をさまよい歩いていたライナスだったが、やがて何かを見つけたらしく、ハルバードで瓦礫を掘り返し始める。
目的の物はすぐに掘り出された。この距離からではそれが何かはわからないが、何やら不気味な光を放っていることだけはわかる。
ライナスはそれを空いた左手で持ち上げると、そのまま口元に持っていき――そのままバリバリと貪り始めた。
「なっ……!」
「……あれは、魔力を集めているようです」
そう声をかけてきたのは、いつの間にか起き上っていたリュネットだった。
「魔力?」
「星幽の門が再び開いたとはいえまだ完全ではないですし、距離も離れています。飢えをしのぐため、この塔に封じられていた魔法の品を食べて補給しようという、本能的な行動でしょう」
ひとしきり食べ終わったところで、ライナスは再び別の方向に向かって歩き始めた。それは俺たちのいる方向――ではなく、全く見当違いの方向だった。
「あいつ、どこに行くつもりなんだ?」
俺がそう訊ねると、リュネットは顔を真っ青にしながら答えてくる。
「……駄目です、そっちは駄目です」
「駄目……? あっ!」
ライナスが歩いて行く先に視線を向けたところで、ようやく俺も気づいた、奴は明らかに一直線にある場所を目指している。
「あっちは……城下町だ!」
「もしかすると、街を守る衛士としての本能が……」
リュネットは床に落ちていた杖を拾い上げると、ライナスを追って駆け出そうとする。
「おい、どうするつもりだ!?」
「――止めます。どんな手を使ってでも止めなければなりません」
「おっと、リュネットだけに格好つけさせるわけにはいかないな」
そう言いながら、グローリアはハルバードを片手に立ち上がる。
「……この際、あの人を止められるなら何でも構いません。グローリアさん、手を貸してください」
「おいおい急に素直になるなよ気色悪い! しかしこれは恩を売る絶好のチャンス!」
二人は全力で駆け出しライナスの背後に迫るが、ライナスは気づいているのかいないのか全く反応しようとしない。
「お前の相手はこっちだ!」
気迫とともに、グローリアが振りかぶったハルバードの刃を叩きつける。が――
「くっ、弾き返された、だと……!」
刃は鎧に当たりすらせず、周囲を包む力場のようなものに阻まれ、叩きつけた勢いそのままにグローリアの身体ごと弾き返されてしまった。
「これなら――《メテオ・ストライク!》」
リュネットが杖を振り下ろすと空が輝き――塔の封印による影響がまだ残っているのか、光り方がやや不安定にも感じられるが――強烈な光の筋が空から地上までの距離を瞬く間に横切り、ライナスの背中に見事に命中した。
わずかに遅れて轟音と衝撃波が広がり、それにより抉られた地面に足を取られたライナスが少しよろめく。
が、それだけだった。ライナスは何事もなかったかのように、抉られて斜面となった地面を登り、そのまままっすぐに城下町を目指して歩いて行く。
その時、新たな声がライナスの前方から響き渡る。
「……な、何が起きているんだ?」
「おい、そこの鎧! 何をしているんだ! 止まれ!」
おそらく、塔が倒れた騒ぎを聞きつけてやってきた兵士たちだろう。しかし、この状況でライナスの前方に立ちはだかるというのは――
次にライナスの取った行動は俺の想像通りだった。手にしたハルバードを無造作に振り払い、そして遅れて複数の悲鳴が立て続けに上がる。
「なんてこった……おい、ピエトロ! 聞こえるか!」
グローリアがこちらに向かって叫んでくる。
「今すぐ王城に行って、この事態を伝えて来るんだ! もう国の力を借りないとどうにもならない! このままだと城下町が大惨事になる!」
「ですが城の兵士を呼んだところで、犠牲者をいたずらに増やすだけでは……」
「意地を張るのはやめろリュネット! どんな手を使ってでもって言ったのはキミだろう!」
「わかりました。ピエトロ、お願いします」
リュネットにも頼まれてしまっては行くしかない。どの道、俺がここにいたところで出来ることなど何もないのだ。
「……わかった! ディーノ、二人の援護を頼む!」
俺はその場に背を向け、王城に向かって全力で駆け出した。




