#44
新たに買い込んだ保存食も積み込み、全員が籠に乗ったところで、リュネットは杖を握りしめて呪文を唱える。
突風が舞い起こり、風を受けた『翼』が大きく膨らみ、機体全体を持ち上げる方向に力が働く。脱出時のような不穏なミシミシ音が鳴ることもなく、籠がゆっくりと地面から離れていこうとする。
ちなみに、ロープを握って『翼』を操縦しているのは何故か俺だ。風を操るのに専念しているリュネットが操作できないのはわかるといえばわかるが、何の予備知識も無しにこんなものを操縦しろと言われても無茶もいいところだ。
やがて機体は順調に風に乗り、どんどん加速しながら地面から遠く離れていく。太陽がほぼ沈み切った今、地上からこちらを判別することはまず不可能だろう。
操縦方法については、最初はわけがわからなかったものの、適当に動かしているうちに何となくコツがわかるようになり、離陸から三十分後くらいにはある程度行きたい方向に行けるようになっていた。しかし最大の難関である塔の屋上への着地までに、もっとしっかりと慣れておかなければならない――何しろこの機体には着陸装置などという上等なものはついていない上、塔の至近では風を操ることもできず、そんな状況で屋上という限られたスペースに軟着陸させなければならないのだ。
「そういえば、僕たち全員で乗り込む必要、あったんでしょうか……?」
今更ディーノがそんなことを言ってくるが、確かに中にはリュネットとグローリアの二人だけで乗り込み、俺とディーノは外からのサポートに回るという手もあったかもしれない。
「あーそれはダメだね。あたしがこいつと二人きりになったらまた喧嘩になっちゃうよ」
「塔の中で殴り合いになったら、私では絶対に勝ち目はありませんからね。きっとあんな乱暴な目やこんな野蛮な目に遭わされてしまうでしょう」
お前ら絶対楽しんでるだろう、と突っ込みたくもなるが、こんな無茶苦茶な状況でそんな冗談を言っていられる神経については本当に心底うらやましい。
「ま、まあ喧嘩はともかく、不測の事態とかも考えると、全員いた方が安全性は高いんじゃないか?」
「それもそうですね。王国の宮廷魔術師や兵士といった人が相手なら、いざとなれば僕たち教会関係者が身体を張ればかなりの牽制になるはずですし」
平然とそう語るディーノの神経も、よく考えるととんでもない図太さだが、とりあえず頼りになる仲間たちで良かったと思うことにしておく。
「そろそろ塔の近くまで来ました。これ以上は探知される可能性が高くなりますので、風の魔法を止めて探知避けの魔法に切り替えます」
そうリュネットが告げてきたが、ここで大きな問題が発覚した。
「えっと、塔、暗すぎて見えないんだけど……」
城下町の明かりは塔からはそれなりに離れているため、明かりと言えば空に浮かぶ三日月くらいのものだ。
「んじゃあたしが誘導するよ。視覚強化くらいの魔法なら探知もされないでしょ。あー、えーと、もう少し右だな」
グローリアの誘導に従い、機体を慎重にコントロールし、目的地へと近づけて行く。
「少し高度落とした方がいいかもな……よしそのくらいだ。そろそろ見えてきたんじゃないの?」
「ああ、見えて来たよ。そろそろ着地体勢に入るから、皆掴まってて」
幸い、風は魔法で操作されていないにも関わらず、ちょうどいい安定した穏やかな微風が流れている。これならば、付け焼刃の操縦技術でも何とかなるかもしれない。
見覚えのある塔の屋上の光景がはっきりと見えてきたところで、俺は一気に『翼』を後ろ向きに倒して減速する。
屋上の床と籠が接触した瞬間、かなりの衝撃に襲われたが、そこからずるずると数歩分ほど床をこすったところで機体は停止した。
「な、なんとか成功した……のか? 結構音立てちまったけど」
「見張りは地上にしかいないはずですから、この程度の音ならおそらく問題ありません。それより今のうちにこの機体を解体して、中に運び込んでしまいましょう。この大きさで放置すると、昼間に離れたところから見えてしまう可能性が無いとは言い切れません」
「解体のことまで考えて設計してたのかよ」
そろそろ本気でこいつ一体何者なんだと思い始めてきたが、今更気にしていても仕方がない。リュネットに言われるまま、俺たちは『翼』を解体し、塔の中に運び込む。
後片付けが済んだところで、俺たちはひたすら階段を下り続けた。
屋上近くの階ではあまりにも高すぎて、地上の様子がほとんど分からない。あのライナスは西から来るはずなので、地面が見える程度の高さで、かつ西側に窓がある部屋を見つけなければならない。
光も差さず、ほとんど真っ暗闇の中、そういった階を探し続けたものの、ここで俺たちは予想外の事態に遭遇した。中層から下の階の部屋には、ほとんどの部屋が重厚な扉で守られており、かつ錠前も異様なほど頑丈かつ複雑な代物で、針金ごときではとてもではないが歯が立ちそうにない。
「おそらく、この中には極めて危険な魔法を宿した品が封印されているのだと思います。私が最上階に幽閉されていたのは、できるだけこれらの品々から引き離す意図があったと聞いています」
「だとすると、この手の部屋に無理矢理入るのはやめといた方が良さそうだな……ってか、そんな危険なブツがこの部屋の数だけあるって、ディアマント王国は一体何をやらかすつもりなんだ」
これが明るみに出れば、封じられている品の種類によっては本気で異端審問官が派手に動くことになるかもしれない。もっとも、下っ端三等官の俺には関係無さそうな話ではあるが。
結局「西側に窓があり、地上の様子が見えて、かつ部屋に入れる」という条件を満たす部屋を見つけるためには、なんと二階にまで降りる必要があった。一階に通じる扉は特に厳重で、容易く行き来することができないため、事実上ここが最下層ということになる。
「ここまで低いと、ちょっと物音を立てただけで見つかりそうで怖いなぁ」
「入口はちょうど逆側です。見張りの兵士は入口にしか立ちませんから、よほどの大声でも出さない限り大丈夫でしょう。そもそも、この塔の中で物音がしたとして、それを確かめに来るほど怖い物知らずの兵士がそうそういるとも思えませんが」
リュネットの言うことももっともだが、念のため報告などされても困るので、ここでは極力大声や物音を立てない方がいいだろう。グローリアの鎧も、ライナスが現れるまでは脱いでおいてもらうことにしよう。




