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#41

 霧の流れてくる源を辿ると、リュネットのいる場所はすぐに分かった。

 リュネットは杖を構え、懸命に呪文を唱えている。

 そしてその目の前に広がるのは――リュネットは『元栓』、ドラゴンは『星幽の門』と呼んでいたが、見た目的にはどちらも近い表現とは言えない。あえて言うならば、硝子板に石が当たって亀裂が走ったような状態が、それをはるかに上回る大きさで、何もない空中に広がっているといったところだろう。

 わずかな隙間を通して見える、亀裂の向こう側の空間には、底知れぬ闇が広がっている。そこから漏れ出した何かが、こちら側に流れ込むと同時に白い霧と化し、今もまさに周囲に撒き散らされている。

 リュネットに近寄って見ると、どうやら作業はかなり難航しているらしく、表情は硬く顔色も悪く、頬には冷や汗を流している。

 何とかして応援してやりたいが、下手に声をかけると邪魔になるかもしれない。神聖術での支援も、ここまで霧の源に近すぎるとほとんど効果は無いだろう。

 祈るような気持ちで見ていると、どうやらリュネットは俺の存在に気付いていたらしく、顔を動かさずに話しかけてきた。

「すみません、思ったより亀裂の広がる力が強くて苦戦しています。アストラルガードが近くに来たせいで、力の流れる勢いが強まっているようです」

「何か、俺にできることは?」

 その問いにリュネットはしばし考え込んだが、やがて思いもしなかった答えを返してきた。

「手を握って下さい。身体が冷えてきたせいで、指が震えてコントロールにやや支障が出ています」

「て……手!? いや、ええと、構わないけど」

 俺が手を握るべく、リュネットの正面に回ろうとしたところで呼び止められる。

「前に出ると危ないです」

「えっ、だとすると……」

 リュネットは杖を目の前で縦に持ち、その中央付近を両手で握り締めている。正面に出ずにこの手を上から握ろうとすると――

「こ……これでいいのか?」

 俺はリュネットの背後に回り、肩の上から腕を伸ばし、杖を握るリュネットの両手を上から握る。確かに指先は冷え切っているが、それだけでなく腕から肩から背中、つまり触れている部分全体が冷えているようだ。

 しかしこの体勢、まるで塔の屋上から飛び立ったあの時のようだ――などと思い出していると、リュネットが少し戸惑ったような声で告げてくる。

「……横から来ると思っていました……これはこれで構わないのですが」

 そう言われるて急にこの姿勢が恥ずかしくなってきたが、良く考えてみると横からでも肩をぴったり寄せ合う格好になるので、恥ずかしさという点では大して変わらないかもしれない。

 俺がうろたえている間に、リュネットは呪文の詠唱を再開していた。こうして触れていると、リュネットの身体から杖に向かって力が流れて行く様子を肌で感じ取れる……気がする。

「あ、杖には決して触らないで下さい。下手に触れると一気に力を吸われて命に係わります」

「お、おう……何なら俺の力を使っても」

「それには及びません。もうすぐ終わります」

 リュネットの言葉通り、かなりの広さに渡っていたはずの空間の亀裂は、いつの間にかほんのわずかな大きさにまで縮小していた。その分、狭くなった隙間から噴き出す霧の圧力は高まっていたが、ここまで来れば――

「これで終わりです」

 そうリュネットが宣言すると同時に、ぴしゃっ、という鋭い音とともに、空間の亀裂は完全に閉ざされ、跡形もなく消えて無くなった。新たな霧が吹き出して来なくなったことにより、徐々にではあるが霧が周囲に散って薄くなっていく。

「これで、あのアストラルガードとかいう奴の力の源は断たれたのか」

「はい……ですが、残念ながら今すぐに力が弱まるわけではないようです。数か月単位か、あるいは……」

「っ、そうだ! グローリアが負傷して、あのドラゴンが足止めのために戦ってるんだ!」

「ドラゴンさんが? ……それならば、この場はもしかしたら何とかなるかもしれません」


 俺たちがドラゴンのいたところに戻ると、ライナスとの戦いはまだ続いていた。

 よく見ると、ついに反撃を受けてしまったらしく、ドラゴンの胸元には深く大きな傷が刻まれている。一方でライナスも引き続き幾度も傷を負っているが、その傷が塞がる速度に衰えは全く無い。

「こっちは終わったぞ! 亀裂は閉じた!」

 俺がそう叫ぶと、明らかに再参戦の機会を伺っている様子のグローリアが、ライナスから視線を外さずに答えてくる。

「やっぱりか! さっきから少しだけあいつの動きが鈍っているんだ。だけどドラゴンの方はそれ以上に疲れてる!」

「となれば、ここは逃げの一手に限ります。おそらく一度しか通じないでしょうが……」

 リュネットはそう言うと、ライナスに向けて杖を掲げ、呪文を唱え始めた。しかし立て続けに強力な魔法を連発したせいか、明らかに顔色が悪く呼吸も荒い。

「次元の路よ彼方に開け――《ランダム・テレポーテーション》!」

 杖が振り下ろされると同時に、ライナスの足元に魔法陣が現れ、全身が光に包まれる。ライナスは振り払うような動きを見せたが、そこにすかさずドラゴンの爪の一撃が振り下ろされる。

 鎧が深く傷つけられた戦士が体勢を崩すと同時に、リュネットの魔法が発動する。辺りが一際眩い輝きに包まれたかと思うと、次の瞬間にはライナスの姿は跡形もなく消えていた。

「なんとか成功です……不定の場所に強制転移させました。ですが、そこまで極端に離れた場所には転移していないはずです」

「時間を稼げたわけか。でもどうする? まさかこのまま数か月単位逃げ切るなんてことは……」

「一応、私に考えはあります。まずは何とかして中央大陸に戻りましょう」

「戻るったって……」

 ウエストエンドからここまで来るのに三日かかっていることを考えると、帰り道も同じくらいかかると考えるべきだろう――まさか不眠不休で歩き続けるわけにもいかない。更には、あの門からウエストエンドの街に入ろうとすると、運が悪ければしばらく足止めを受けることにもなりかねない。

 それに、ウエストエンドで《智慧の大樹》を使った時に探知した奴の場所から考えると、奴の移動速度は俺たちの二倍以上だ。不眠不休で歩き続けていると考えればおおよそ辻褄が合う。

「行軍速度を上げる神聖術もあるにはありますが、身体への負担が大きすぎます。万全の状態ならともかく、皆さん消耗しきっているところで、しかもこの霧の中で長時間となると、おそらく命に係わる可能性が高いです」

 そう語るディーノも頭を抱えている。

 いよいよ八方塞がりかと思ったところで、またもや意外なところから唸り声が降って来た。

『もしや、東の大陸に戻ると申すか?』

「あ、ああ。何とかして急いで戻る方法を考えていたところなんだが……」

『然らば、我の背に乗るが良い』

「……えっ?」

 ドラゴンの言葉に、俺たち四人は顔を見合わせた。

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