#40
はっきりと見える位置にまでやって来たそいつの姿は、人間の形をしているが明らかにまともな人間ではあり得ない代物だった。
核となっているのは、ディアマント王国の騎士が儀礼や戦場で身に着ける全身板金鎧だが、本来金属でできているはずの装甲がどす黒く変色している。兜も完全に顔を覆っているので、中身に生身の人間が入っているのかどうかは元々見えるはずもないのだが、しかし目を覆う部分の隙間から黒いもやもやとしたものが漏れ出しているのを見ると、実は中身は空っぽなのではないかと思えてしまう。
右手には、グローリアが持っているものとよく似た槍斧――いわゆるハルバードが握られているが、こちらも鎧と同じく、柄から刃先まで完全に黒い色に変色している。
何より異様なのが、武器を含めた全身に纏わり付くように渦巻く、光とも闇ともつかない、いわば暗黒のオーラとでも言うべき代物だ。それは周囲の霧を少しずつ巻き込み呑み込んで、自らの糧としているようにも見える。
そんな存在が、一歩、また一歩と近づいてくる。兜の上から目が見えないにも関わらず、そいつの視線がまっすぐにリュネットに向けられていることは明らかだった。
そこに感情らしい感情はほとんど見えない。ただ一つあるとすれば、まっすぐにリュネットのもとに向かい、そして目的を果たす――そんな意志だけだ。
「うわぁ、女の子一人追っかけて世界の果てまでやって来るとか、一体どんだけの筋金入りの変質者だよ」
グローリアが露骨に嫌そうに顔をしかめる。
「……近衛隊訓練生のライナスさんは、向上心と忠誠心に溢れた心優しい好青年でした。今回も陛下のお役に立ちたい一心で被験体として志願されたのですが……私が至らなかったばかりに、このような姿に成り果ててしまったのです」
「もしかして、中途半端に儀式が止まっている状態を、リュネットさんをどうにかすることで打破しようとしているのでしょうか?」
ディーノの推測に、リュネットは頷いた。
「今は儀式魔法の進行を、私が無理矢理止めている状態です。私が死ねば、進行は一気に加速するでしょう」
「どうすれば奴を止められる?」
俺が訊ねると、リュネットは一瞬だけ考えてから答える。
「『元栓』を閉じれば、徐々に力を失っていくはずです。もっとも、しばらくの間は逃げ回る必要があるでしょうけれど」
「じゃあキミは早くそれを閉めにいくといい。ここはあたしが時間を稼いどくからさ」
言いながらグローリアは前に歩み出て、リュネットと黒鎧の戦士――ライナスの間に立ちはだかる。
「同じ得物の相手と戦うのも久しぶりだなぁ……リュネットをどうにかしたかったら、まずはあたしから倒して行くといい!」
グローリアの戦意に反応したのか、ライナスはゆっくりと武器を構える。
「リュネット、今のうちだ!」
俺がリュネットの背中を押すように叫ぶと、リュネットは覚悟を決めたように頷き、祭壇の中心部へと走って行った。ライナスがそれを追うような素振りを見せた瞬間、グローリアはハルバードを振りかぶって一気に詰め寄った。
「ライナスさんとやら、死んだらごめんよっ!」
叫びとともに振り下ろされたハルバードの刃先が、ライナスの胸元を深く削り取る。
「結構固いけど、ドラゴンの鱗程じゃな……いっ!?」
グローリアが目を見開いて後ろに跳び去る。鎧に深く刻まれたはずの傷が、内側から染み出した黒いもやもやとした物質に包まれるや否や、一秒も経たぬうちに全くの無傷に戻ってしまったのだ。
「逆に言えば、どうせ死にはしないんだから思いっ切りやってもいいってことだよな!」
その言葉通り、グローリアは今度は全力で襲いかかって行く。全身が淡く光り、関節がわずかに軋む音が聞こえてくる――おそらく魔力による強化が肉体の限界を通り越し、相当な負荷がかかっているのだろう。
ライナスは、グローリアの一撃を避けようともしなかった。ハルバードの刃が脇腹に深々と食い込み、生身の人間ならば間違いなく致命的な損傷を内臓に受けているだろう。だが――
「くっ、抜けな――」
グローリアがハルバードを引き戻そうとしたわずかな隙をつき、ライナスは自らのハルバードを一振りした。
腹を一直線に抉られ、大量の血を撒き散らしたグローリアは、腹を抱えてその場にうずくまる。今のは明らかに危険なレベルの傷だ。
とどめとばかりにライナスが武器を振り上げる。俺は懐から取り出した赤玉を、一か八か射程ギリギリからライナスの顔面に向けて投げつけた。
着弾と同時に赤玉は破裂し、揮発性の油を撒き散らすと同時に火花を散らせ、一気に燃え上がる。何とか成功したようだが、しかしライナスは大して意に介すことなく、そのまま武器を振り下ろした。
だが、俺がわずかに稼いだ時間に距離を取っていたグローリアにはギリギリのところで当たらず、グローリアは傷ついた腹を抱えたままこちらに戻ってくる。
ほとんど致命傷に見えた傷だったが、本人の強力な治癒魔法により、グローリアの腹の傷はほとんど塞がっている。しかし失った血までは戻っていないのか顔色は酷く、更には黒鎧の騎士の脇腹に食い込んだままのハルバードを手放して来てしまっている。
その黒鎧の騎士の脇腹の傷もほとんど塞がっており、そして完全に塞がり切ったところで、押し出されたハルバードが地面に音を立てて転がり落ちた。
「しまったなぁ、治したばかりの腹筋がまともに動かない……どう戦うべきだ……? 武器を拾う? 素手?」
いまだにグローリアの戦意は薄れてはいないが、さすがに対応を考えあぐねている。
そんな状況で、突然背後から意外な声――というより唸り声が響いてきた。
『星幽の衛士……かつて都を護りし無敵の存在。されど外法の力に堕ち、都を滅ぼした挙句自らも滅びたはずのものが、五百年の時を経て現世に蘇るか』
リュネットの魔法による傷から完全復活を果たしたドラゴンが陥没した地面の底から舞い上がり、ライナスの至近に再び舞い降りる。
「星幽の、衛士?」
『然り。いまだ堕ちた先に至る姿にあらず、されど極みに至れば全ての生ある者への災いとなろう。我が役目は終われども、我も人に作られし者なれど、生ある者としてこれを看過し得ず』
言い回しが難しいが、要するにこのライナスはまだ完全には堕ちてはいないが、もしも完全に堕ちてしまえば、生きとし生ける者全てに対する者に対してロクなことにならない、ということだ。
『退け人間。ここより我は全力で星幽の衛士を迎え撃つ』
「わかった。グローリア、ここは一旦引こう」
「ぐっ、このままでは足手まといになるとはわかっているが……ドラゴンとの共闘の機会が……騎士として最大級の浪漫が……っ!」
悔しがるところが若干おかしい気もするが、さすがに状況は弁えているのだろう、グローリアは一旦引くことを受け入れてくれた。その間にも治癒魔法を追加で施し、一刻も早く復帰するための足掻きは忘れていないが。
ドラゴンは巨体に似合わぬ素早さで一気にライナスに飛びかかると、着地とともに両腕を叩きつける。鎧がひしゃげたように見えたが、ドラゴンは追撃を緩めず、右腕の爪、左腕の爪、尻尾による横殴りの攻撃、更には鋭い牙のびっしりと生えた口を大きく開けて喰らい付き、噛み砕く。
「ひょっとして、あたしたちの時は手加減されてた……?」
「そりゃまあ、さっきは命令に縛られて仕方なく追い返そうとしてただけみたいだし」
グローリアは微妙に面白くなさそうだが、そう考えるとこのドラゴン、実はかなりいい奴なのかもしれない。
「でも、あれだけやってるのにちっとも……」
ディーノの言う通り、ドラゴンの猛攻を受けて黒鎧のあちこちが陥没し、手足や首などは何度も千切れかけているにも関わらず、そのたびに黒いもやもやが損傷部分を包み、ものの一秒と経たないうちに修復されてしまう。
このままドラゴンが全力を出している限り反撃はされないだろうが、しかし仮にも生き物の範疇にあるであろうドラゴンが、永遠に全力を出し続けられるとは思えない。疲労から攻撃の手を緩めた瞬間、流れは一気に逆転するだろう。
グローリアも同じ見解に至ったようで、俺に心配そうな表情を向けてくる。
「これは長引くとさすがに分が悪いかな。リュネットはまだ元栓とやらを閉じられないの?」
「そういえばあっちも心配だな……様子を見てきていいか?」
どうせ俺がここに居ても役に立てないし、とは思ったけど言わずにおいた。
「そうだね、キミが尻叩いてやればあいつも頑張るんじゃない? あ、もちろん物理的に叩いちゃダメだよ」
一言多いし、そもそも俺の言葉であいつのやる気が左右されるとも思えないが、とにかくお言葉に甘えて俺はリュネットの様子を見に行くことにした。




