#38
『ならば排除する』
ドラゴンは一言そう告げると大きく息を吸い込み――そしてとてつもない咆哮をあげた。
周囲のあらゆるものが震え、石畳のあちこちに亀裂が走って行く。周囲に立ち込めていた霧もたちどころにかき消され、一気に見通しが良くなった。
しかし、まともに正面から咆哮を浴びたこちらとしてはたまったものではない。心臓の鼓動をかき消すほどの衝撃と、全身の神経を握りつぶされるような圧迫感に、思わず意識が遠ざかりそうになる。
俺は柄にもなく神に祈り――なんだかんだで教会に所属している以上、やり方は心得ている――なんとか意識を繋ぎ止めることに成功した。同じように衝撃を受けているディーノの方を揺さぶり、耳元で叫ぶ。
「ディーノ! 神聖術だ!」
「あ……うん、わかった!」
ディーノはたちどころに俺の意図を理解し、神聖語の呪文を唱え始める。
同じように咆哮を受けたリュネットは杖に、グローリアはハルバードの柄に、それぞれもたれかかるようにして倒れずに踏みとどまっている。信仰の力に頼らずあそこまで耐えるというのはさすがとしか言う他無いが、しかしその間にもドラゴンは口を大きく開き、今にも何かを吐き出しそうだ。何とか間に合うか――
ドラゴンの口の奥に光が見えたのと、ディーノの神聖術が発動するのはほぼ同時だった。《聖軍の行進》は本来は高位の聖職者のみに伝授されるという強力な神聖術だが、こいつならきっと使えるだろう、という予想は正しかったようだ。
肉体と精神が同時に高揚し、咆哮による衝撃の影響を塗りつぶしていく。しかしほんの一瞬の後、ドラゴンの口からは真っ赤に燃え盛る灼熱の炎が、怒涛の勢いで吐き出された。目標はドラゴンの目の前の二人――リュネットとグローリアだ。
「次元の守護よ来たれ――《ディヴァイン・シールド》!」
瞬く間に呪文の詠唱を終えたリュネットが杖を振り下ろすと、ドラゴンの炎は不可視の壁に遮られるように弾かれ、行き場を失い周囲に撒き散らされる。巻き込まれた石畳が一瞬で真っ赤に染まり、ドロドロに溶けて行く。
そして炎と入れ違いになるように、ハルバードを大きく振りかぶったままのグローリアが突進し、あっという間にドラゴンへと肉薄する。筋力に魔力を上乗せした破壊力が、硬度を極限まで強化されたハルバードの刃に乗せられ、ドラゴンの首元に振り下ろされた。
耳をつんざくような激突音とともに、ハルバードの刃がドラゴンの首に少しだけ食い込んだのが見えた――が、鱗を叩き割るのが精一杯で、その内側の肉まではほとんど傷つけられなかったようだ。
グローリアは慌てて距離を取ろうとするが、それよりもドラゴンの右腕が振り下ろされる方が速かった。禍々しく尖った爪がグローリアの身体の芯を捉え、そのまま石畳に思いきり叩きつけられる。グローリアの身体は一度大きく弾み、再び地面に転がった。
しかし、グローリアはその勢いを利用してそのまま立ち上がると、一気に後方に跳んで距離を稼ぎ、体勢を立て直した。見ると、胸当てにはドラゴンの爪痕が深々と刻まれているが、肌そのものにはほとんど傷はついていないようだ。
ドラゴンが追撃の構えに入るより早く、リュネットが次の魔法を発動させる。杖を振り下ろすと同時に、ドラゴンの足元に魔法陣が輝き、全身が光の奔流に包まれる。
だがドラゴンが足を踏み鳴らすと魔法陣は砕かれ、光は粒子となり空中に溶けて消えて行った。
『我に理の力は通じぬ。ただ圧倒的な力のみが我を斃し得るであろう』
「ではこれではどうでしょう。深淵より来たりて穿て――《グレイシャル・ステーク》!」
リュネットが杖を振り下ろすと同時に、空中に巨大な魔法陣が現れる。途端に空気の温度が急下降し、冷気が肌を貫く。正直、離れていてもかなり痛いが、もちろんこの程度で終わるわけがない。
少しだけ遅れて、魔法陣の中から長大な氷の杭が現れ、そしてとてつもない速度でドラゴンに向かって襲いかかった。重量級の物体同士が衝突する激しい音とともに、ドラゴンの胸に傷が穿たれ、更には杭が周囲の温度を奪うことでドラゴンの身体が凍り付いて行く。
しかし、ここでドラゴンが大きく身体を震わせ、そして再び咆哮を放つ。氷の杭は粉々に砕け散り、空中で光を反射してキラキラと輝く物体と成り果てた。
「少しは傷つけたようですが、これではまるで足りませんね……仕方がありません、切り札を使います。グローリアさん、少しでいいので時間を稼いで下さい」
「だったら急いだ方がいいよ。のんびりしてるとあたしが倒しちゃうからね!」
グローリアは気合を入れると、再びドラゴンに向かって突進を試みた。先程より更に速度は上がっているが、動きを見る限り、肉体にやや負荷がかかり過ぎているようにも見える。
立て続けに渾身の斬撃が繰り出され、ドラゴンの鱗が次々と切り刻まれていくが、とてもではないが決定打に至りそうにない。グローリアがわずかに体勢を崩した隙をドラゴンは見逃さず、今度はその牙と顎で食いちぎるべく噛みかかる――
しかし、その間に俺はドラゴンまであと数歩という距離にまで近づいていた。この機を逃さず、俺は懐から取り出した暗黒玉を投げつけた。
暗黒玉はドラゴンの顔面に命中し、その場ではじけ飛んで黒い粘液を飛び散らせた。大層な名前ではあるが、それだけの効果しかない代物だ――それでも、物理的に視界を封じるにはこれだけで十分だ。どうやら片目だけにしか効果はなかったようだが、遠近感を掴みかねたドラゴンの牙は空を切った。
これだけ時間を稼げば――
「天より至りし滅びの星よ――」
リュネットが杖を高々と掲げると、たちまち空が眩い光に満ち溢れた。続けて杖が振り下ろされ、周囲から全ての音が消える。
「大地に降り立ち終焉を示せ――《メテオ・ストライク》!」
まずは空気の圧力が一帯を支配、そして天から一筋の光が暴虐的な破壊を引き連れて現れ、ドラゴンの頭部で何かが爆ぜた――俺の五感で捉えることができたのはそこまでだった。
衝撃波が周囲の何もかもを吹き飛ばし、当然俺の身体も弾き飛ばされた。石畳は波を打つように連鎖的に砕け、轟音が果てなき空まで響き渡る。




