#2
そんなお馬鹿な話を繰り広げながら、俺たちは塔の前にまでたどり着いた。
「よし、今回もお前はここで待っててくれ」
「わかった」
ディーノはこう見えて強力な神聖術の使い手だが、一旦この塔に入ってしまうとしばらくはその力が使えなくなってしまうため、不測の事態に備えてここは待機していてもらう。もちろん俺が入れば俺の神聖術は使えなくなるわけだが、元々ディーノほどの使い手じゃないし、むしろ俺の本領は暗器術の方なのでそれほど致命的なことにはならない――はずだ。
遠目に見るとただのやたら細長い塔にしか見えないが、こうして間近で見ると、大きさといい佇まいといいかなりの迫力だ。壁は破城槌でも簡単には破れそうにない重厚な石材で、塔自体の太さも周囲を輪になって手を繋ごうとすれば百人は必要なほどの規模である。それが遠目には細長く見えるのだから、高さはもっととんでもないことになってるはずだ。
一体どれだけの金をかけたのだろう、などとすっかり俗世に染まった思考を繰り広げながら、俺は塔の内部へと足を踏み入れた。一階の広間の脇に並んでいる昇降機の扉をもはや慣れた手つきで開け、中に入ると真鍮製のレバーを一気に最上階の位置にまで倒す。
魔法の力が封じられたこの塔で、一体どうやってこの昇降機を動かしているのか不思議だったが、よく観察するとどうやら動力は塔の外部から歯車やら何やらで伝えられているようだ。
階数表示がないので本当のところはわからないが、おそらく八十階くらい――魔法の力を借りなければ、現代のどんな最先端技術を使ったところで実現できるわけもない高さである――にきたところで、チーンというベルの音とともに動きが止まった。俺は扉を開けて、そのまま最上階のフロアに足を踏み入れた。
最上階といっても、見た感じただの倉庫のようにしか見えない空間だ。昇降機を降りたフロアからは上下に階段が伸びており、壁にあけられた細い窓のような隙間から入り込む日差しが、薄暗い部屋に幾筋もの光として入り込んでいる。
そして、奥に伸びる通路の入口に、あからさまに急ごしらえとしか思えない新品の鉄格子がはまっている。そしてその手前には空の食器が置かれていた。もちろん、俺が今朝持ってきた朝食の入っていた器である。
つまり、相変わらず中に人はいるのだろうけど、しかしそれにしても全く気配が感じられない。通路の奥にはいろいろな資材やらガラクタやらが所狭しと置かれていて、その奥に隠れてしまうと入口からは全く見えない。まったく見事に隠れたものだ。
そんなふうに考えながら、空の食器と引き換えに俺の手料理入りの食器を鉄格子の下に潜らせた瞬間、ふと冷たい風が頬を撫でた。窓から吹き込んだ風と考えれば何もおかしくないのだが、しかし俺は猛烈に嫌な予感がした。
本当に今も中にいるのか。確かめるのは難しくはない。いつも持ち歩いている細釘を使えば、この程度の間に合わせの錠前など簡単に開けることができる。これも異端審問官としての訓練の賜物だ。
だが――俺は鍵穴に釘を差し込もうとしたところで、既にその鍵穴に傷がついていることに気付いた。まるで、針金か何かでいじくり回したかのような――
俺はとっさに上に向かう階段に足を向けていた。下の階に止まっていた昇降機を上から呼ぶには相当な時間がかかる上に外に音でバレるし、階段を下ったとしても一階のフロアに出るための扉は厳重に封鎖されているはずだ。
もちろん、階段から屋上に出たところで何ができるはずもないのだが、先程から嫌な予感が止まらない。足音を殺し、仮に上に人がいても気取られないよう注意深く階段を昇って行く。
が、その時、思いもよらぬ事態が起きた。なんと、階下のフロアで昇降機の動く音が聞こえてきたのだ。
まさか、逃げ出したふりをして身を潜めていた奴が、俺がフロアを離れた隙に昇降機に乗り込んだのか。そう思って一瞬慌てたが、それにしては何かがおかしい。動作音の方向から察するに、動いているのは俺が乗って来た昇降機ではなく別の昇降機のようだ。
やがて最上階に到着したと思しき昇降機からは、何やらガシャガシャという複数の足音と、殺気立った怒鳴り声が響き渡って来た。
この状況で武装して乗り込んでくるような連中に心当たりはなかったが、いずれにしろ見つかったら面倒なことになりそうだ。しかしそうは言っても、階段の途中に隠れる場所などあるわけがない。とにかく一旦屋上に出るしかない、と、慌てて階段を駆け上がる。足音だけは殺していたつもりだが、完全に消せていたかどうかは自信が無い。
そのまま一気に階段を駆け上り、薄暗い塔の中から日差しの降り注ぐ広い空間に飛び出した瞬間――
目の前に、一対の大きな翼を背負った女の子の後ろ姿があった。