#13
旅の疲れもあり、テントで完全に熟睡していた俺だったが――神聖術が脳に直接発した警報により、一昨日と同じように文字通り飛び起きた。
この結界術は、このような野宿でも見張り無しで熟睡できるという大変な優れものではあるのだが、あまり何度も発動させると心臓へのショックで寿命が縮まるのではないかと思えてくる。
テントの中を見渡すと、右側の寝袋ではディーノがぐっすりと眠っている一方、左には寝袋の抜け殻があるばかりだった。
この期に及んでリュネットが一人で逃げ出すとも思えないが、だからといってこんな荒野を一人で出歩かせるわけにもいかない。
テントを飛び出すと、間もなく日の出を迎えようとする空が辺りをうっすらと照らし出している。確か警報によると結界の東から出ていたはずなので、俺は何も考えずに東に向かって駆け出した。急げばまだ追いつくはずだ。
朝靄で遠くが霞む中、一分くらい走り続けたところで、ようやくリュネットの後ろ姿を見つけることができた。
「はぁ、はぁ、こんな時間に一人で、お前一体何のつもりなんだよ……」
息を切らせながらそう告げると、リュネットは振り返りながら微笑みかけてきた。
「私、朝のこの時間に出歩くのが好きなんです。それと、こうするとピエトロが追いかけてきてくれそうな気がして」
「気がしても何も、結界の神聖術のことは昨日使う時に教えただろうが。まったく一人で歩いて何かあったら――」
そう言う俺に向かって、リュネットは右手に持った杖を見せてきた。しかし、俺が買ってやった古い方の杖ということは、新しい杖は昨夜のうちには完成しなかったのだろう。
「確かに、何かあった時にこの杖じゃちょっと心細いかもしれませんね」
「つまり新しい杖があれば何があっても大丈夫な自信がある、ってことか」
「……何があっても、とまでは行きませんね。私にだって怖い物はあります」
そう言ったきりリュネットが黙り込んでしまったので、俺も黙って遠くに視線を向けた。
荒野を駆け抜ける風が、俺たちの肌を撫でて行く。空も徐々に明るさを増し、星の姿が霞んで見えなくなって行った。
しばらくそうしているとリュネットが不意に口を開いた。
「昨夜の続きですが……儀式魔術には仕込みがされていました」
「仕込み?」
「あの儀式魔術は、文法的に考えて五百年前の様式で組まれていました。学院の歴史よりも更に古い、いわば『古代魔術』による産物だったのです。古代の書物を誰かが解読し、復元したのでしょう」
五百年といえば、俺が所属し今では中央大陸全土の宗教的中心とされる教会――正式名称『ノストラ=ルーチェ教会』の歴史である四百八十年よりも更に古い、ということになる。教会の伝承によれば、西の大陸に文明が存在し、今の教会の更に源流となる宗教が栄えていた、そんな時代。
「ですが、その一部に明らかに現代の術者が書き直したと思われる部分があったのです。古代の様式を真似ようという努力は垣間見られましたがバレバレです」
「どんな改竄だったんだ?」
「そもそもこの儀式で作り出される極めて強力な衛兵――古代には『アストラルガード』と呼ばれていたらしいですが、そのあまりのも強大な力を本人一人に委ねるのは大変危険とされたため、予め定めた主君に逆らえないような仕組みが施されているのです」
それは逆に怖い仕組みじゃないだろうか、と思ったのが顔に出ていたらしく、リュネットは即座に説明を付け加えてくる。
「アストラルガードの力は、本人の意志で発動を切り替えることができるようになっています。そして主君への服従を強いられるのは発動中のみ……要するに、主君の意に沿わぬ形で力を発動できない、ということですね」
「なるほど、その力で何か悪さしようとしても、本人と主君の両方が結託しない限り難しいってことか」
「その通りです。そして問題の改竄なのですが、これは『第三者が合言葉を唱えることにより、主君としての権限と、加えて力の発動切り替えの権限まで奪い取ることができる』という、大変危険極まりないものでした」
それは確かにあまりにも危険極まりない。おそらく教会の禁じた何らかの禁呪規則に引っかかるだろうが、しかしそのアストラルガードとやらの強さ次第では――
「参考までに聞くけど、そのアストラルガードってどの程度の強さなんだ?」
「文献に記された限りでは、理論上無敵だそうです」
「……は?」
あまりに突拍子もない話に、俺は思わず口をぽかんと開けてしまった。
「実際の記録としては、重武装の歩兵二千が都市に襲撃をかけた際、わずか四人のアストラルガードで全滅させた、などというものが残っているそうです」
「何だそりゃ……」
もはや呆れて物が言えないレベルだ。しかしリュネットの様子を見る限りでは、それを単なるホラ話とは捉えていないのは明らかだ。
「どうやら距離制限があったらしく、特定の場所からあまり離れた状態で力を発動させることはできなかったようです。ですので衛兵としては無敵でも、例えば別の都市に侵略するような用途には使えなかったと記されていたそうです」
「古代のその情報が全て事実だったとしたら、それこそ平和の救世主になり得るな。復元させたくなる気持ちもわかる。そしてやっぱり――今リュネットの命が狙われているのは、その改竄と関係がある、ってことか?」
「その可能性が極めて高いです。最も怪しいのは立案者であるネスト郷もしくはその背後にいる誰か、ということになりますが……」
「でも、その改竄の話とこれから俺たちが魔境に行こうとしている話が、一体どう繋がるんだ?」
「実はあまり繋がりません」
リュネットの言葉に、俺は思わずずっこけそうになった。
「お前なぁ……」
「改竄に気付いた私は即座に儀式を中断しました。ですが、それでも被験者――つまり儀式によってアストラルガードの力を得るはずだった人ですが――その人への力の流れが止まりませんでした。どこからともなく流れてくる異質な力が、私という存在を通じて被験者へと徐々に流れ込み続けているのです。このまま放置すれば、何もしなくてもおそらく数か月以内には、儀式魔法が勝手に完成してしまうでしょう」
「つまり、その改竄とは関係なく、別の何かによって妙なことになっている、と?」
「はい。それは私と被験者が塔に入れられたことでほとんど止まりましたが、完全に止まったわけではなく、しかもあくまで一時しのぎにしかならないことはすぐに分かりました。ですが感覚を研ぎ澄ますことで、その力がどこからやって来るかを突き止めることができました」
「それが西、か」
「そうです。そこにはおそらく何か空間の亀裂のようなものがあって、私の儀式によってそれが広がってしまい、そこから力が漏れて来ているのではないか――というのは仮説ですが、おそらく当たっているはずです」
そこまで語ったリュネットの口調が、ふと感情のこもらない――というよりむしろ感情云々を通り越した無機質な声となる。
「二度と、私のせいで災厄を引き起こすわけにはいかないんです」
「……二度と?」




