#10
情報屋から出た俺たちは、この街での今夜の宿を探した。
正直さっきのやり取りで懐が痛いが、状況から考えるとあまりケチらずにちゃんとした宿に泊まった方が安全だろう。そして、どうやら髪と瞳の色が目印になっているようなので、リュネットにはせっかくローブについているフードを深々と被ってもらうことにした――一緒にいて顔が見えないのは少し勿体なくはあるけれど。
早速、良さそうな宿を見つけて部屋を取る。もちろん俺とディーノで一部屋、リュネットで一部屋という形になったので、部屋に入ったところでようやく一息つくことができた。
「……ディーノ、お前だけが頼りだ」
「藪から棒にどうしたの?」
「俺の脳味噌は色香に惑わされて大分役立たずになってきている。頼むからお前だけは冷静でいてくれ」
「ええっと……それってリュネットさんのこと? 確かに結構な美人ではあるかもしれないけど、あんまり色香がどうこうってタイプでもないような……そういう方面でいえばさっきの酒場のバニーさんの方がよっぽど……」
「あのバニーさんみたいな“いかにも”なやつは、禁書の検閲で慣れてるから問題ないんだ。と、それはそうとして、俺たちには今、圧倒的に情報が足りていない」
これが何よりも大きな問題だ。
把握すべき情報はいくらでもある。城で行われた儀式とは一体何か、そこで何が起きたのか、何故ただの魔法学院の学生であるリュネットがそれに関わっているのか、二人の宮廷魔術師の狙いは何なのか、リュネットがどこに行って何をしようとしているのか、それをしないとどうなってしまうのか――
「というわけでディーノ、お前の例の神聖術、ええと《智慧の大樹》だったっけか? あれで情報を調べられるか?」
神聖術と一言で言ってもその種類はかなり多いが、ほとんどが体系化されていて、誰でもというわけではないにしろ何人もが共通で使えるものがほとんどだ。しかし中には例外として、体系化されておらず個人の才覚によってのみ使うことのできる特殊な神聖術が存在すると言われている。
ディーノの扱う《智慧の大樹》は、断片的な言葉から世界に散らばる情報を拾い集めることのできるという、そんな簡単な説明でもとんでもない代物だとわかる、極めて特殊な神聖術だ。具体的な効果については俺も良く知らないが、これだけの代物となると教会の機密事項となっている可能性も高い。
ことによると、ディーノ自身が教会内部でも極めて特殊な立ち位置にいるのかもしれない。表向きは一介の准司祭だが実は――そう考えると、“表の”聖職者でありながら異端審問官の俺と組んで、こんな訳のわからない謎だらけのミッションを課せられていることにも納得が行く。
「もちろんできるけど、今の僕の力だと探索できる単語は一つ、しかも一度使うと三日間くらいは間を置かないとまともには使えないと思う。だから単語選びは重要になってくるね」
ディーノにそう言われて俺は考える。把握すべき情報、それを最も多く網羅することのできる単語――そしてそれは一瞬で浮かんだ。
「『リュネット』だ」
そう言ってしまってから、さすがにこれはいくらなんでも惑わされすぎたかとも慌てたが、しかしディーノは異論を唱えてこなかった。
「やっぱりその辺が無難だよね。ただこの術の性質上、探索の対象として生きてる人間を指定した場合、本人がどうしても知られたくないと思ってることはあんまり探れないんだ。逆に本人すら知らないような情報はどんどん流れ込んでくるけど」
それはむしろ好都合だ。俺は頷いて先を促す。
「じゃあやるよ」
ディーノは部屋の中央に立つと、神聖語で長ったらしい呪文を唱え始めた。徐々に神聖なる光が差し、まるでディーノ自身が後光を背負う神聖な存在であるかのように見えてくる。俺なんかが使う初歩的な神聖術とはまるで格が違う。慣れない者がこの現場を目撃したら思わずひれ伏してしまうかもしれない。
こうして見ると、やはり俺たちが使う神聖術とリュネットが使う魔法は、やり方そのものはそれほどかけ離れたものではなさそうに見える。
しかし、実際呼び出される力の質や経路は大きく違う。何よりも違うのは、神聖術は『超越者に接触し赦しを得てその力を借り受け、然るべき奇跡を現世に呼び起こす』のに対し、魔法は『己の叡智と意志により力を集めて従わせ、物理法則を捻じ曲げる』という点だ。神聖術の起こす奇跡は抽象的であるのに対し、魔法はより具体的で強力な現象を引き起こすことに長ける――と言われているらしい。
やがて神聖なる光の輝きが最高潮に達した瞬間、ディーノの全身から力が抜け、倒れ込みそうになるのを俺が慌てて受け止める。
「うぉっと、大丈夫か?」
「うん、成功した……と思う。ちょっと待って、引き上げた知識を整理するから」
ディーノは椅子に座り直すと、荷物から出した紙に猛烈な勢いで何かを書き始めた。
「ええと、これがこれであれで……よし。それじゃあ、わかったことを並べて行くよ。まず……」
まず、多くの宮廷魔術師を抱えるディアマント王国と、世界で活躍する魔法使いを多数輩出しているエリタージュ魔法学院は表向き協力関係にあるが、一方でライバル関係にもある。
そして今回、特別な儀式実験を行うにあたり、王国は学院に対し、人手として生徒を貸すように依頼した。しかし学院としては、講師以上の高位者ではなくあえて『生徒』を要求してきたことに不信感を抱き、情報収集も兼ねて『最も優秀な学生』であるリュネットを貸し出すことにした。
――この辺の説明で俺は少し違和感を覚えたが、気にはなるものの先に進むようディーノに促した。
リュネットは王城に向かい、今回の儀式実験の立案者と責任者である宮廷魔術師たちの指示の下に儀式を行う。その儀式は、何か別の者に対して途中まで成功しかけていたものの、何かに気付いたリュネットは失敗した振りをして儀式を中断。宮廷魔術師の指示により『凪の塔』に半ば幽閉され、儀式の効果がリセットされるのを待っていた。
しかし、何としても抜け出す必要を感じたリュネットは、部屋の中にあった資材から滑空のための『翼』を作り上げ――そこからは俺が知っている通りの展開である。
「これまでの成り行きは大体わかったが、あいつ自身のことについては『魔法学院の学生』ということくらいしかわからないな」
「あとは『最も優秀な』が付くくらいかな。何か重大な見落としがある気がするんだけど、魔法学院について僕らあんまり詳しくないから……」
「そうだな……」
俺が魔法学院について知っていることといえば、世間一般で知られていることに毛が生えた程度だ。
エリタージュ魔法学院は中央大陸最大の魔法教育機関だ。どこの国家にも所属しない中立の存在として、数百年に渡り多くの魔法使いを育成、輩出し続けてきている。一時期は教会と険悪な関係になっていたこともあるが、今は表向き和解状態を保っている。ちなみにディアマント王国は自国で独自に魔法使いを養成しているため、あそこの宮廷魔術師には学院の卒業生はほとんどいないらしい。
初等科は十歳から十五歳くらいの子供が所属し、魔法の基礎を習う。学費と年齢制限さえ満たしていれば入学は難しくないが卒業はそれなりに難しい。多くの卒業生は『街の魔法屋さん』として、魔法だけで食べて行けるだけの実力を獲得している。
高等科は二十歳くらいまでの若者が所属し、比較的上級の魔法を習うことができる。初等科の卒業生か、もしくは厳しい試験を乗り越えた者だけが入学でき、そして卒業は更に難しい。これを卒業できれば一流の魔法使いとして、貴族お抱えになるなり軍で活躍するなり街で魔法道場を開くなり、いずれにせよかなり裕福な暮らしが約束されるだろう。
そして、教える方は更に只者ではない。学院の講師といえば大国の宮廷魔術師をも超える実力を持つと言われ、更にその上の准教授・教授に至ってはもはや伝説視され実在が疑われている有様である。他にもいくつかの職位があるらしいが外部には公表されておらず、正確なところは学院関係者でもない限りわからないという。
「普通に考えると、あいつは高等科で一番優秀ってことになるのか? となると、もしかしたら下手な卒業生より腕前は上って可能性もあるな。学院に入る前の情報とかは無いのか?」
「えーと、そっちは全然手に入らなかった……多分、本人がかなり隠したがってるんじゃないかな。あ、歳は十五歳で合ってるみたい」
「そうか……」
個人的にはリュネットの過去にはものすごく興味がある――あの賢さと逞しさは一体どんな環境で育った結果なのか――が、まあそっちは今回の件には関係なさそうだし、あまり興味本位で探るのもやめておいた方が良さそうだ。




