#1
高い壁の一部にあけられた小さな門に向かって、俺たちがディーノと二人で歩いて来るのももう十日目で、回数にするともうすぐ三十を数える頃だろう。
「こんにちは。昼食をお持ちいたしました」
門番のくせに外側よりも内側ばかり見ていた二人組の兵士に、俺は完全に猫を被った口調でそう話しかける。兵士たちは振り返って一瞬身構えてきたものの、こっちの姿を見てすぐに構えを解いて話しかけてきた。
「あ、おう、あんたらか。そうか、もうそんな時間か」
「しかし、わざわざ飯を運ぶためだけにはるばる教皇庁からやって来るなんて、あんたらも大変だな」
「古来より、諍いを生むおそれのある場を取り持つのは教会の重要な役割です。小さな仕事の積み重ねで、わずかながらでも平和のお役に立てるのであれば、我々はそれを惜しみません」
連れのディーノがいかにも聖職者らしい落ち着いた声色で返す。まあ、こいつは十五歳にして准司祭の称号を持つれっきとしたエリート聖職者なので、こういったやり取りはお手の物である。
ディーノはこの年頃の男にしては小柄かつ細身で、目の上でまっすぐに切りそろえた栗色の髪、そして大きなレンズがよく反射して目の表情が見にくい眼鏡をかけた、いかにも頭脳系お坊っちゃん的な雰囲気の少年だ。
その隣に立つ俺の方はと言うと、一応一つ年上であるにもかかわらず体格的にはディーノと大差なく、金色の髪を頭の後ろでまとめているせいか、それともやたらと可愛い呼ばわりされる顔立ちのせいか、いまだに稀に女の子と間違えられたりもする。この二人が並んで歩く姿は、誰の目から見てもいかにも人畜無害そうに見えるだろう。
そしてその事実は、今この仕事において「いかにも適役に見える」という意味で非常に重要な意味を持つ。
何しろ今こうして運んでいる食事は、先程ディーノが言っていた「諍い」の渦中にいる人物に食べさせるためのものなのだ。
要するに、誰かに毒を盛られたりしたら大変なことになるので、それを防ぐために中立である教会の手の者が食事を用意することになったわけだ。しかも教会内でも微妙に所属や立場の違う二人を組み合わせることによって、買収などを防ぐという念の入れようである。
挨拶もそこそこに、俺たち二人は門を抜け、奥に見える『凪の塔』へと続く道を歩いて行く。
この『凪の塔』とやらはディアマント王国の誇る極めて高度な魔法施設の一種で、塔の中ではありとあらゆる魔法的な力がほとんど完全といっていいレベルで抑え込まれるという、実際とんでもない代物だ。何しろ、世の中の一般的な魔法使いの使う魔法のみならず、俺たちの使う神聖術までもが、塔の内部やその至近では全く使い物にならなくなってしまうくらいである。
そして、そんな大切な施設を守るためか、あるいはあまりに強力であるが故に外部への影響を恐れてか、塔の周囲のかなり広い範囲が高い壁で囲われ、許可のない者は立ち入れないようになっている。なので、門を抜けてから塔の入口まで、結構な距離を歩かなくてはならない。
「……って、あーっ! いつまで続くんだこの仕事!」
周囲に誰もいないことを確認した上で、俺は相棒のディーノに向かって切れて見せた。
「そうは言ってもピエトロ、これこそが教会の、そして僕たちの役目なんだから。あくまで建前ではあるけど、これはこれで重要な仕事だよ」
ピエトロというのは俺の名前だ。肩書き的にはいわゆる普通の修道士で、今回の仕事をするためにわざわざ修道院から人手として駆り出された――ということに表向きはなっている。修道院で暮らす修道士は俗世の事柄に対しては完全中立であると見込まれ、このような事態に駆り出されることは珍しいことじゃない。
そんな状況において、教会が独自に情報収集をするための人員としては、俺は最適な立場にあると言っていいだろう。何しろ物心つく前から一年前までの十年以上を、本当に修道士として修道院で暮らしていたのだから、まさしく本物そのもののごとく振る舞うことができる。
「そりゃわかってるよ。だけど、もう十日目になるってのに中の奴と会話どころか姿すら見てないし、情報収集も完全に手詰まりだ。まあ、王国が火花散らしてる相手が魔法学院で、しかもわざわざこの塔に監禁されるってことは、相当な高レベルの魔法使いなんだろうってことくらいはわかるけどな」
「あの兵士さんたちが外側より内側を気にしていたのは、そういうことなんだろうね。学院の魔法使いの多くはかなりの使い手で、中でも講師や教授といった達人たちの使う魔法は天変地異すら容易く引き起こすと言われているから……」
「天変地異とかはどうだっていいんだ、どうせあの塔の中じゃ無力なんだから。俺が残念なのは、講師やら教授やらっつったら間違いなくいい年こいたおっさんか爺さんだろうっていう、この一点に尽きる。そんな奴にこうやって甲斐甲斐しく手料理を運び続けてもなぁ……何のために異端審問官になって修道院出たのかわかりゃしない」
仮にも本物の聖職者を目の前にしてとんでもない言い草だと自分でも思うが、誰かに愚痴らずにはいられない。この一つ年下の准司祭であるディーノと知り合ったのは今回の任務で組まされたのが初めてだが、歳が近いせいかこいつの器が大きいせいか、十日間ともに仕事をするうちに、こうやって無茶苦茶な愚痴を言えるくらいには仲良くなってしまった。
「そういえば、ピエトロは女の子との出会いを求めて異端審問官になったって言ってたっけ」
「まあ男だらけで、あまりにも健全過ぎる本を読み漁るくらいしか楽しみのなかった修道院から出られれば、ぶっちゃけ何でも良かったんだけどな。異端審問官へのスカウトは外に出られる絶好の機会だったし、若くて胸の大きい美人教官もいたしでホイホイ飛びついちまったんだが……」
しかし、その美人教官による鬼のような実戦訓練のせいで女性に対する幻想は早くも崩れかけたし、正式に任命されてからも地味な任務ばかりで、かといって遊ぶ暇があるわけでもなく、役得といえばせいぜい禁書摘発任務の際には検閲対象の不健全図書が読み放題、といった程度でこれも三日かそこらで飽きてしまった。
「あーあ、どうせなら中の奴が美少女だったりしないかなぁ……よし、こう言っておけば実際にそうなるはずだ。昔読んだ本は大体そんなノリのやつが多かった」
「うん、前に進む力を得るためには夢を見ることも必要だよ」