ついに助っ人発見!?
第4部
あれから、つまりは秋の県大会の準々決勝で敗退し来春の甲子園出場の夢を見事に砕かれた日の「涙とグチとボヤキ合いの反省会」から二週間後の土曜日、英誠野球部は学園の野球部専用グラウンドに今年の夏の甲子園出場校、作川学院を招いて練習試合を行っていた。
作川学院は今夏で三年連続の夏の甲子園出場を果たしている県下随一の野球校であった。その日は他の生徒たちも近々行われる文化祭の準備などでかなりの人数が登校していた。
午前中は一年生主体、いわゆるB軍戦があり、これは七対五で作川学院が勝利した。そして昼食をはさんで午後から始まったA軍、つまり一軍戦は先発の星也の力投もあり五回を終わって三対一でなんと英誠がリードしていたのである。
ところでなんで作川学院がこの時期に練習試合なんてやってるの?って不思議に思う人もいるかもしれないけど、だって当然、県大会優勝か準優勝で地方大会に行くんじゃないの?って誰もが考えるはずだけど、作川学院、負けちゃったんだよね、準決勝で、秋の県大会。
なので、地方大会に行けなかったんだ、ザンネン・・・・
だから当然だけど、来年春の全国大会、つまり甲子園出場はカンペキにナシになってしまったんだ、英誠学園とオナジクで。
そんなんだから相手の監督さんの機嫌も最悪でサッキから怒鳴りっぱなしでコワいことコワいこと。
なのにこれからもっとコワいことが起きたんだからタイヘン。
イニングは七回裏、ワンアウト二塁でバッターは健大、四番。ピッチャーは相手エースの川江君。カウントはワンボールツーストライク、サインが決まってセットポジションから足を上げて投げたボールは・・・・
「カッコーん!」
もの凄い金属音をタテたかと思うとカンペキな角度で舞い上がり、左翼フェンスを越えて、つまりはホームランなんだけど、外野後方の芝生の上をてんてんと転がっていったのだ。
歓喜するのは英誠ベンチと健大、監督さん部長さんもニコニコ顔だ。
なんたって甲子園常連校の作川学院を相手に練習試合といえども五対一で勝ってるんだから。ところがここで恐ろしいことが起こった。
健大が三塁ベースをコブシを振り上げながらまわったとき、ついに作川学院の監督さんがブチキレタ~
「バカヤッロウ!なんでソコでマッスグやねん?ナメとんのンカイ!ドアホ!」
とのたまわったかと思ったら手にした金属バットを地面に叩きつけ・・・・
ナ、ナナナンと、折ってしまった・・・・
金属バットってオ・レ・ル・ン・ダ・・・・(汗)
お陰でそれまで嬉々としてダイヤモンドを回っていた健大は命の危険を感じたのか、とにかく自分にとばっちりが回ってくるのを恐れ足早に、遠慮がちに、かつ真っ青な顔でホームベースの隅を恐る恐るソッと踏んで自軍ベンチに隠れようとしたんだ。
ホントならここで派手なハイタッチやお祝いの頭ボコボコがあるのだが・・・
ところが、ここで、さらに、驚くべき、しかし勇士たち野球部員一同にとってはまさしく人生を変えるような出来事が起こったのだから。
健大が打ち込んだホームランボールは事故防止のため立ち入り禁止になっているはずの芝生の上をエンリョがちに転がって、本来であれば三塁側に陣取った作川学院の控え選手が取りに行くはずなのだ。
のだけれど、いるはずのない芝生のところに何故か人影が?
そしてその人影はやわらその健大の「記念ボール」を掴み上げると右肩をグルグルと三四回大きく回しはじめて、そして助走をつけたと思ったらなんとホームベース目がけて投げてしまった~?
えっ~?、エッ~?何で~?ウソっ~?うぉ~~~
両軍ベンチの全員が見守る中、そのボールは、なななんと、バックネットを
チョクゲキ?したぁ~?の???
マジですかぁ~。
ついさっき、怒りのあまり金属バットをタタキ折った相手の監督さんも、作川ベンチ一同も、もちろん英誠ベンチも、まだ守りについている作川ナインも、全員が口をアングリとダラシナクあけたままボウ然としてしまったのだ。
だって、ダッテさあ、えっ?ここ英誠学園の野球部専用グラウンドは両翼94メートルだよね?ポール際に表示があるからね、そこから「あいつ」つまり「人影」がいたとこ、投げたところは20メートルはあったよね?
で、ホームベースからバックネットまでは10メートルはゆうにある。っていうことは?
94+20+10で124メートル?で、ネットを直撃してるから、しかもあの高さに当たってるってことは130メートルは投げてる?ってこと?ですかあ~?
静まり返った両軍ベンチの中で英誠の監督がまず、我に返った。
「ダ、ダ・・・・誰だ?」
作川ベンチからはまだ「フぉ~~~」とため息が漏れている。
プロの強肩と言われる選手でも125メートル以上、投げることの出来る人は日本中で何人もいないのだ。
これはもう、恐ろしい出来事なんだって。
そして監督さんがもう一度、おどろおどろしながら誰にともなく訊いた。
「う、ウチの生徒か?」
次に勇士が声をひっくり返しながら半分怒鳴るように叫んだ。
「ダレなんだよ!」
ベンチの誰もがまだ口を半分あけたままダンマリトしている中で、ちょっとの間が空いてから健大がひとり言のようにつぶやいたんだ。
「稲森だ・・・・」
「えっ?」
そして圭介がつないだ。
「だな」
その横を次の回に備えてウォーミングアップに行こうとしていた星也が通り過ぎようとしながら言った。
「マチガイないね!」
星也はそういうとベンチ入りしている下級生を連れ出すときもういちどポツリと言った。
「おそろしいな、アイツ・・・・」
結局、その試合は逆上した監督の逆鱗に触れたくない作川学院野球部全員の必死で死に物狂いのなりふり構わぬテイコウにあい、英誠野球部は練習試合といえども大金星となるはずのものを取りこぼしてしまった。
つまり逆転負けだ。それもいつものパターンで終盤スタミナのキレタ川津君が九回につかまってあえなく沈没。
もう毎度のことで監督さんもさっぱりとしたものだった。
もちろんのこと、監督も考えないでもないのだが、いずれにしても投手としての素地素養にたけた人間が不在なので鍛えようがないのである。
仕方ない、監督のせいじゃない、ダメなのは俺たちだ、となって勇士たちは今日も元気なくグランドをあとにした???
と思いきや、まったく違ったのである。
大金星をのがし試合は逆転負け、おまけに健大のホームランも相手監督の金属バットへし折り事件ですっかり喜び半分になってしまったにもかかわらず、二年生野球部員一同はなぜか全員が笑顔でいっぱいだったのだ。
なんで?どうして?それは試合後の部室での勇士のひとこと
「あいつ、ヒッパルぞ!」
そして全員が
「オッお~!」
と破顔一笑、歓喜の雄叫び大合唱となったわけである。
そうとなったら作戦会議だ!となり、着替えも早々にみんなで駅前の餃子屋へとくり出した。
そんなお金がどこにあるって?そこはさすがにキャプテン、啓太が監督に
「甲子園出場に向けての大事な選手会議をこれから開催しますので、少しばかりの会議費を頂けませんでしょうか?」
などと殊勝なことを言って、諭吉さんをなんと二枚もセシメテ来たのであった。
懐具合の心配がいらなくなった面々はさっそく餃子を三十人分頼んだ。そしてさっそく本題に入りまず言い出しっぺの勇士が健大をつついた。
「本当にイナモリ?ってヤツで間違いないんだな?」
「ああ、マチガイないね・・・・」
健大はいつも通りのアイソのない返事をした。
それに同じクラスの圭介と星也が
「間違いなし」と同調したのだから勇士もナットクしたわけ。
「しかし、オソロシイ肩してんな、帰宅部だろ?」
「野球、やってたのかな?」
「やってなくてあれじゃ、オレたちミジメすぎだろ」
「ピッチャーか?」
「外野じゃね?」
「キャッチか?」
「なら、リュウもあぶねーな」
などと勝手なことを言いながら餃子はみるみる減っていく。
問題は誰が拓海の野球部入部を説得するかで七転八倒したが結局、キャプテンの啓太、勇士、同じクラスのよしみで健大、圭介、星也の五人が「ひっぱり込み作戦担当」と決まった。
「それでいつ、決行する?」
「もちろん、早いほうがいい。月曜日の放課後だ」
「そうだな、それが良い」
「よし、わかった!」
なんて相手の都合なんてまったく意に介さないで好き勝手に決めていたが、なぜか健大だけは浮かない顔をしているのだ。
「おい、どうしたんだよ?サエね~ツラしてよ?」
勇士が健大の頭をコンコンとタタキながら訊く。
するとしばらく考えた風にして健大はボソッと答えるのだった。
「あいつ、入らないかもよ・・・・」
「エッ?」
圭介、啓太、星也、そして勇士の四人がまるでコーラス部の合唱のようにハモッた。
「なんで?」
その質問には答えず健大の目は宙を泳いでいた。
「なんか、そんな気がするのか?」
啓太が心配顔で気遣うように話しかけた。
「ああ」
すると、星也が恐る恐る割って入って来た。
「あいつも無口なほうだからな~。それに野球部の中であいつと一番話すのはヒラだからな。そのヒラがそんな感じがする、っていうんだからなんとなくそう思うことがあるんだろうなあ~」
「ムリそうか?」
「う~ん・・・・」
「まあ考えてみりゃ、あれだけの肩があって野球部に入ってないってことはさ、逆になんかあるのかもな」
「そうだな、なんかヘンだよな」
みな、健大のユウウツな表情が伝染して集まりは一気に暗雲が垂れ込め始めた。
しかしそんなとき、いつもクモならぬ雲を追い払うのは勇士である。今日もその本領をいかんなく発揮して
「オレは何としても入れたる!」
と息巻いた。
結局キャプテン啓太の
「相手の都合もある。まず、誠意をもって頼んでみよう。困ってるのはこっちなんだから」
のひとことでとりあえずお開きとなり、おのおの明日の練習に備えて家に帰って行った。
家に着けばそれぞれが日課の素振りに励む毎日だ。夏の三回戦敗退後の「反省会」以来、それは彼らの約束事であった。たとえ人が見ていようが見ていまいが
「自分に嘘をつくことはやめよう」と誓いあったのである。
まあ、星也だけは素振りではなくシャドーピッチングではあるが。
しかし本当なら疲れ果てて速攻、寝に入るはずなのだがやはり拓海のことが気になって誰も寝付けない、ついに啓太は自分のスマホで「稲森拓海」と検索を初めてみた。
なにかわかるかもしれない、と思ったのである。さすがに現代っ子、するとそこには案の定、拓海に関する書き込みがかなりの数、ヒットしたのだった。
いろいろと読んでいくと、要約すれば拓海のリトルリーグからシニアリーグにかけての実績と活躍はまさにスター然としており、キラ星のように輝いていた。とても自分たちのような地方チームの「一介の選手」とはわけが違っていたのである。
誰がどう考えてもそのまま高校野球の星に昇り詰めるのが当然、と思われる「半生?」を送っていたわけである。
「そんな奴がチームをやめて東京の高校から地方の学校に転校?」
「そして野球部にも入らず帰宅部に甘んじている?」
啓太は考えれば考えるほどわからなくなってため息をついた。
「やっぱりタケヒロはなんか、稲森の中に『見つけた』んだな」
啓太はそう思った。拓海が野球をやめた理由は案外、深いのかもしれない。あいつはあいつなりの「闇」に入っちまったんだ、きっと。それが晴れない限り、あいつは野球はやらないだろうな。
啓太はベッドに横たわりながらそう思った。そしてちょうどそのころ、やはり素振りを終えた健大も啓太と同じことを考えていたのであった。
「その闇を、おれ達は晴らしてやれるのか?第一、その前に辞めた理由をあいつは話してくれるのだろうか?」
そして日曜日がすぎて当たり前に月曜日が来る。拓海に最初に声をかけるのは健大の役割になっていた。
「ちゅうちょしてるとズルズル行くからな」
と勇士にクギを刺されていたので朝一番で顔を合わすなり健大は拓海に声をかけた。
「今日、放課後あいてるか?」
拓海は突然のことだったのでちょっとびっくりした様子で目を丸くした。
「ちょっと、頼みっていうか、話したいことがあるんだけど」
そう健大が言葉をつなぐと拓海は
「あ~あ。いいよ、べつに・・・・」
といつも通りボ~っとした返事を返してきたのだった。
「まったく朝から晩までノレンにウデオシみたいなヤツだな」
健大はネム~イ目をこすりながら拓海に「サンキュー」と返事をした。
そしてふたりは放課後、図書館の前で落ち合うことにしたのだった。
秋の大会も敗退して当面の目標に乏しいその日は、野球部の五人にとっては実にナガイナガ~イいちにちとなった。もともと授業はみな、嫌いであったが今日はまさに「一日千秋」の秋に一日になってしまった。
やっとのことで六時間目の授業が終わって拓海を含めた六人はそれぞれが別々に図書館へと向かって行った。
一番先に約束の場所に着いたのはさすがにキャプテン、次に几帳面な星也、三番目には圭介、菓子パンをかじりながら現れた勇士が四番目、そして健大がシンガリの五番目だった。
拓海はといえば、あきなを図書館の中に待たせて最後に五人の前にひよっこりと現れた。
英誠学園の図書館は県庁所在地にある県立の図書館と見まがうほど立派な造りで、入り口付近には楓の大木があって特に真夏には大きな日陰になり居心地の良い場所になっている。お陰でこの時期でもそこだけ別世界のように涼しかったのだ。
「ああ、ゴメン。遅くなって」
先にそこに着いていた五人に謝って拓海はバツが悪そうに頭をボリボリとかいた。
「いや、こっちこそ悪い、呼び出して」
と圭介が言うと、まずクラスが別で初対面となる啓太が自己紹介をしてから、そのあとに勇士を紹介した。
拓海は
「知ってるよ」
と答えて少し笑みを浮かべた。
秋の強かった日差しがやんわりと緩んでくる時間の中、スッと柔らかな風が六人の中に吹きこんだようだった。
「そうなんだ、知ってたんだ!」
と圭介は大げさに驚いて見せた。こういう時の場の盛り上げ方に関してはやはり一日の長がある。
「この学校で、オレを知らないヤツがいるわけね~だろ」
と勇士は穏やかな表情でいくぶんおどけて言う。そして少し場が和んだのを見極めたのか、啓太がやんわりと、でもこの機を逃してなるもんか、とすかさず本題に入っていった。
「実はさ、オレタチ、君にさ、野球部に入ってもらいたくて来てもらったんだよね」
啓太はきちんと拓海の目を見て、しっかりと自分たちの本心を伝えた。そんな中、ほかの四人はどんな返事が来るのかと、心配で心配でたまらないという感じで拓海を見つめている。
なんだけど当の拓海は、視点の定まらない目で、ボ~っとしたまま、まったく自分に話しかけられているなどと思いもよらないような顔でそこに立っているのだ。
「えっ~?」
その反応に健大が少し吹き出しそうになった。
「ああ~、そういうことなんだ~」
拓海はそう言ってうなずく。みなが言葉なくただ突っ立っているいる中で拓海は言葉をつないだ。
「なんかオレ、気に障ることしてボコられるのかとオモッてた」
ホット胸を撫で下ろすような感じで拓海が少し笑顔を見せると五人も顔を見合わせながら笑った。
「はあ~?」
「なわけ、ないでしょ?」
「部活、停止になるし」
口々にそんなことを言って「ナイナイ!」と拓海の肩をたたいた。
「どう?ダメかな?」
啓太が頼むような言いっぷりっで拓海に訊いてみた。
「いっしょにやろうよ」
圭介が声高に言う。
おとといの夜、啓太がネットで調べたことは早速みんなに伝えたのだが、でもそのことは誰も口にしなかった。誰の胸にも
「過去のことなんか、触れられたくないんだろうな」
って思いがあったから。
もちろん、野球の腕前が第一条件なのは否定出来ないんだけど。でも拓海はやっぱり少しばかり困ったような表情を見せていた。
言葉は発せずただ、黙っていた。
でも誰も、野球から離れたわけは訊こうとはしなかった。
だって「理由は訊くの、やめよう」って啓太と健大の提案で決めていたから。
野球部の面々が答えを欲しがっているのが拓海にもひしひしと伝わったのだろう、拓海は恐る恐る口を開いた。なるべく相手を傷つけないようにと。
「あんまり、野球、やりたくはないんだよね」
そう言って拓海は下を向いた。五人も多少、予期していたとはいえやはりその答えは残念だった。でも、何としても欲しいメンバー。おいそれとはいかないはずは百も承知。とにかく粘ろう、と決めていたのである。
「オレたちさ、どうしても甲子園、行きたいんだよね。だから、なんとしてでも入ってもらいたいんだ」
啓太が英誠野球部の過去から現状、そして展望を事細かに拓海に説明しながら、最後にそう話した。
他の四人も啓太の話に合いの手を入れるように助太刀しながら拓海を熱心に誘う。
そうなるともともと自我の弱い拓海のこと、だんだんと断り辛くなって形成が不利になってきたのだった。
が、拓海だってもともとは勝負の世界に身を置いていた男、ここは何としても逃げきらなければ、と意を決し
「ちょっと、考えさせてもらってもいいかな?」
と五人の顔色をうかがって、とりあえずこの場から身を隠す戦法に出たのだ。
「もちろん、すぐに決めてほしいなんて言わないよ。色々、都合や考えることもあるだろうし。でも、オレたち、本気なんだよ、甲子園。どうしても行きたいんだ。だから、真剣に考えてほしい。君にも」
最後はやはり、キャプテンだ。英誠野球部の甲子園初出場がかかる大事な場面で、キッチリト締めた。
拓海は
「うん、わかった」
とだけうなずきながら答えた。
まだ十分に困った様子をタタエテはいたのだけど。
六人はお互いに「じゃあ」と言いながら別れた。野球部員は練習ためグラウンドに、
拓海はあきなの待つ図書館の中へとその場を去って歩いて行った。
楓の影は先ほどよりも少し東寄りに傾いていた。
※
その日の練習が終わったあと、啓太、勇士、健大、圭介、星也の五人は駅までの道をトボトボと歩いていた。
監督にことの顛末を説明すると「そうかあ~」とひとことだけ返された。
「期待せずに待つか」
それがみんなの心中だったのかもしれない、と今、啓太は思っている。
「どうなんだろ?入るのかな?」
勇士が道端の小石をけりながら最初に口を開いた。でもそれに返事を加える者はいない。誰の胸にも状況は芳しくないってことが大きくつかえていたのだから。
「まあ、いろいろあるんだろうな」
圭介がすっかりと暮れた夜空を見上げながらつぶやいた。
「だよな。まあ、お前だっていろいろあったんだし」
と、今度は啓太が自分の後ろを歩く勇士を振り向いて言った。
「そうだよな、タシカニ」
「んだんだ」
みんなが笑った。
実は勇士も中学時代は健大と同じく「かなりのモノ」だった。今、一緒に歩いている五人はみな中学生の硬式野球チーム、つまりシニアリーグに所属していたのだ。
なので練習試合や大会などで少なからず顔は知っていたのであった。
そんな中、勇士はかなりの有名人で強肩強打の捕手として地場ではけっこう名が売れていた。
当然、数校の野球名門校からの誘いも受けていたのだが運悪くたまたま一緒にいた不良仲間が問題を起こし、まったく罪のない勇士も同罪となって推薦入学の話は消えてしまったのである。
そんな噂はすぐに広まる、チームの異なる啓太たちの耳にもすぐに入ってきた。仕方なく甲子園出場の可能性がほとんどない英誠に入学した勇士はそこで皆に「再会」したのであった。
「俺も、あんときはもうやめようと思ったよ」
勇士はそう言って昔を思い出すような遠い目をした。少なからず、多感な高校生には何かしらある。むしろ無いほうがおかしいのだ。
啓太は知っている、誰にも言ってないけど、星也は弟と血がつながっていない、ってことを。勇士は健大の父親に愛人がいるってことを。圭介は勇士の父親の会社が倒産して、もしかすると学校もやめなければならなくなること、健大は啓太の両親があまりうまくいっていない、離婚の危機であることを本人から聞いていた。
そして圭介の家では姉が何かの事情で家出をして行方知れずのままなのであった。
ただでさえ傷つきやすい年齢にもかかわらずこの多種多様な災難のオンパレードである。当人たちにはなんの罪も責任もない。そんな中で彼らは多少の勉学と必死の練習に日々励んでいるのであった。やはり立派、というしかないのであろう。
まあ五人とも自らがそんな環境であったから、拓海にもきっと何かあったはずだ、と理解力と同情心に長けていたわけだ。無理強いはいけない、辛いこともある、野球がイヤになることもあるだろう、と。
だけど野球部に入ればそんな仲間がいるよ、って。おんなじような悩みがあって、少しはわけあうことが出来るかもしれない。まあ、あんまりヨロコバシイ友ではないかもしれないけどね。
だから今、彼らの気持ちの中は「甲子園に出たいがための必要人物だから」という自分本位なものから「なんとなくアイツと一緒に野球をやってみたい」という仲間意識に変化しつつあったわけ。こんなところが今の彼らの共通した心境だったのかも知れない、たぶん、いやきっと。
※
自己紹介がおそくなっちゃったけどわたしの名前は唐沢あきな、十七歳。
ごくごくフツウの女子高生だって自分では思ってる。家族はアリキタリの両親と弟ひとりパターン。
性格はそんなに悪くはない方だとオモッテルんだけど。人をおとしいれたり嫉妬でメラメラ、なんてことも今まではなかったし。ついでに言えば勉強もまあまあだし、決してジマンはできないけれど。
そんなわたしの前に一年生の三学期に拓海がおんなじクラスに転校してきたの。それまでのわたしは異性と交際をしたことなどなかったんだけど、なんとなくぼんやりとヌーボーとしたところ、東京から来た、などという割にはまったく「血走った」ところのない、そう「策士たる雰囲気」がまったく見当たらない拓海のことがその日から気になって気になって仕方がなくなっちゃった。
まあ、ルックス的ビジュアル的にもわたしの「趣味」であったこともイナメナイけど。
人生、世の中とは不思議なものだよね。あとになってからわかるんだけど、野球をやるのに全く必要のない、むしろ欠点ともいうべき拓海のそんなパーソナリティがこのわたしには完全な長所としてかけがえのないものだったの。目出度しめでたし。
そしてわたしのほうから友人経由で交際を申し込んで成就したのが今年の五月、それ以来とくにケンカもせずにお付き合いが続いている。
そうそう、その時の面白い話があってね、わたしが友だちに頼んで拓海に「コクッタ」時のこと。
友人いわく
「あきながね、つき合ってほしいんだって。ダメかな~とってもいいコだよ、優しいしカワイイし~」
タクミいわく、しばらくボッーっと考えて
「何処に?」
そんなんだからケンカにもなんないしね!
でも拓海はご両親から離れておじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らしているの、この町で。
理由は「両親が離婚したからここにいる」としか言わないから詳しいことはよくわからないんだけど、きっと拓海の心に深い傷のようなものが巣くってしまったんじゃないのかな、ってわたし思っているの。
そこはとても深くて暗い深淵のようなところでわたしには簡単にたどり着けるようなところではないような気がする。だから今はただ拓海に寄り添っているだけ。
何の役にも立てない自分が情けないんだけれど。
今日もともに帰宅部のふたり、何をするではなく一緒に帰るはずであったのだけれど拓海から
「ちょっと用があるから図書館で待ってて」
とメールが入りその通りにしていた。
「何の用?」
って絵文字付きで問い返したら
「野球部に呼ばれた」
と「汗マークの絵文字つき」で返ってきた。
そこでわたし、ピンと来たの、オンナのダイロッカンってやつが働いたんだと思う。
「野球部に誘われるんだな」って。
だって土曜日の午後、野球部のグラウンドのレフトフェンスの後方の立ち入り禁止区域の芝生で拓海といっしょにいたんだから、ワタシ。
だから当然のこと、拓海の「驚異の大遠投」も目の当たりにしていた。
「あの時はびっくりしたなあ~」と今も思い返す。
つき合いだして四か月、このひと、もしかするとなにか運動?平たく言えばスポーツをやってたんじゃ?って思うことがときたまあったの。具体的に何かがわたしにそう思わせた、ってわけじゃないのだけどわたしはそう感じてたの。
それは拓海の何気ない「身のこなし」がそう思わせたのかもしれない。それに「あの」返球。足元に転がってきたボールをいつものボーっとした表情のまま拾い上げると数回、肩をグルグル回すといきなりホーム目がけて投げてしまったの。
それは野球に詳しくないわたしでも、とんでもない距離を飛んで行ったことは理解できた。
だって、たまにお父さんが見てるプロ野球の試合をテレビで一緒に見るけど、バックホームっていうとき?ガイヤシュ?って言われる人たちがナイヤシュ?って言われる人たちのちょっと後ろから思いっきり投げても、やっと直接キャッチャー?って言われる人に届くのがヤット、くらいだから。
しかも「ヤマナリ?」
拓海の投げたボールはライナー?って感じでまるで弓矢のように飛んでいったんだから。あの出来事でほぼ決定的になったの、拓海がスポーツ、もっと突き詰めると「野球」をやってたんじゃないか?ってことが。
それにわたし、気がついてたよ、あの土曜日のこと、がある前から。野球部の練習を見るときの拓海の目、普段とちがってたもん、いつも。
さびしそう?なつかしそう?それともうらやましそう?よくわからないけどとにかく野球を見てるときはちがう拓海だった。もどりたいの?って何度か心の中で訊いたもん。
だから、もし間違ってなければ野球、やってもいいよ。拓海の人生だから好きなように、悔いのないように。
わたしはどんなことがあっても、なにがあっても拓海を応援する。それにわたし、野球きらいじゃないしね!
※
あの日から土曜日までは実に長かった。そんなことを思いながら勇士、健大、啓太、圭介、星也の五人は部室で練習用のユニフォームに着替えながら誰からともなく
「その話題」に行かざるを得なかった。
「なあヒラ、まだ返事ねえか?」
勇士がアンダーストッキングをダルそうに履きながら健大に話しかけた。
「ああ~」
「そうか~」
「やっぱ、ダメか~」
五人は気もそぞろにプレハブの天井を見ながらため息をついた。
「やっぱもう二度とやりたくないようなナンかがあったのかな~?」
そんなことを圭介が言うと
「いや」
と啓太が強い口調で割って入った。
「一概にそうとも言えないよ、きっと」
スラパンを履いたまま椅子に腰かけた啓太の推測はこうだった。
「もちろん、俺たちにはわからない、知りようもない何かがあったはずだよ。それは多分、あいつをすごく傷つけたんだろうな、きっと。だから何もかもヤニなっちまって野球をやめた。どうでもよくなっちまったんだと思うよ、。野球が。
だけど、キライになったわけじゃないと思うんだ、オレは。お前たちだって見たろ、あのスゲ~送球、アレは野球を憎んでも恨んでもいない、決して憎しみから投げ込まれたボールじゃない。オレにはそう思えたし、そう信じてる。だって、スゲ~気持ち入ってたもん」
啓太以外の四人は黙ってその話を聞いていた。外からは先に着替え終わってグラウンドでランニングを始めた下級生たちの掛け声が聞こえてきた。
「うん、そうだな。いい、送球だったな。あんなタマシイの入った送球、初めてかもな」
「お前の言う通りかもな」
「そうだな、もう少し期待して待つか」
口々にそんなことを言いながら最後は勇士がシメタ。
「少なくても圭介のあんなバックホームは見たことねえもんな~」
「たしかに。いつも気のねえボール、返してくるもんな~」
「ナに言ってんだよ。あれはカットマンが悪いんだよ!」
「バ~カ、カットかんけえ~ね~し」
最後はみんなが爆笑してついでに圭介も笑い転げていた。
「さて、行くか」
いつの間にか身支度を終えた啓太の掛け声で全員が部室を出て行った。
外は西日が強く照っていた。
※
あれからもう四日も経ったのか~早いな~。
金曜日の放課後、拓海はあきなと一緒にいつもの河原を歩いていた。秋も少しずつ深くなりつつある時期ではあったのだけれど、しかし太陽が西に傾くこの時間は強烈なだいだい色が眼に入って来る。
でも一方では吹く風からは湿り気がなくなり、あれだけうるさかった蝉の鳴き声もいつの間にか完全に消え失せて付近にはトンボが舞っている。
間違いなく秋がやって来ているのだ。
今週の月曜日の放課後、野球部員五人に入部を勧められた拓海はまだ返事をしていなかった。あまりに熱心で誠意のこもった誘いだったのでにわかには断り辛く
「考えさせてほしい」
と答えた拓海ではあったが、正直に言うとそもそも野球をやる気はサラサラなかったのである。
なので毎日、教室で健大、圭介、星也たちと顔を合わせるのがなんとなくイヤだったし、校舎の廊下で啓太にデクワシタときはもっとバツが悪かった。
しかしじゃあさっさと断ればいいじゃん、なんでいまだに返事をしないの?って訊かれると人間の心情って不思議かつ不可解なもので、拓海の心の中で野球が完全に断ち切れないで存在しているのである。
このあたりのところが複雑でうまく言えないのではあるがようするに啓太の読み、が当っていて拓海は野球がキライになったわけではないのだ。
そんなこんなで拓海は未だに返事が出来ないでいたわけだ。
「これを逃せばもう二度と野球をやることはないんだろうな」っていうある意味、怖れ、のようなものが拓海の心に芽生えていたのも確かなことのようでもある。
「ねえ、ピノキオに行ってみない?」
とあきなが言った。あきなの横顔には巨大なオレンジがカブさっていた。
「うん」
ピノキオっていうのは駅前にある喫茶店であって、あきなはそこのパンケーキが大好きだったのだ。ふたりはそのまま駅前まで歩いて本屋でしばらく立ち読みをしたあと、ピノキオに入った。
月曜日、図書館で待っていたあきなに「野球部に誘われた」とただそれだけ言った拓海にあきなは「そう」とだけニッコリと微笑を湛えてこたえた。
細かいことは何にも訊かずに、入るのか入らないのかさえ訊かなかった。
ただ、いつもよりもさらに笑顔が絶えなかったかな?って今の拓海は思ってる。きっと相当に気を遣ったんだろうな、あきなは。
その日、夕方わかれるとき、ひとことだけあきなは言った。
「拓海の好きでいいよ」って。
「ありがと」
拓海もひとことだけ返した。それが月曜日。あきなはオーダーしたパンケーキが来ると早速、メープルシロップをかけた。そうとうにタップリと。
彼女はこれが好きなんだ。拓海は今日はバナナパフェを頼んだ。ここの店では初めてだ。オーダーしたらあきなにクスッと笑われた。確かに男の食べるべきものではないのかも知れないが。
あきなはホントにぺろっとパンケーキを平らげると
「そろそろ行かなくちゃ」
と言って拓海を見た。
今日は弟の誕生日で家でお祝いをするらしい。買い物を頼まれてタイムリミットが近づいて来たようだ。
「うん、そうだね」
と言ってふたりはお店を出た。そして駅までのわずかな距離を歩いて改札を入った。
あきなと拓海は反対方向の電車に乗るのだ。あきなはここから四つ目の駅、拓海は三つ目の駅で降りる。ホームは上りと下りでは別々でホームの真ん中あたりに渡り階段がある。
あきなは下り列車に乗るから階段を渡らなくてはならない。時計を見た後に時刻表を見るとあきなの乗る列車が先に来るので拓海は一緒に階段を上って反対のホームまであきなと歩いて行った。
いつもあきなが先に乗るときにはこうするんだ。
「いいのに」
とあきなは言うがやはり拓海はこうする。やっぱり当然のごとく時間通りに電車はやって来た。もちろん、同じ学校の生徒がほかにも何人もいた。
あきなは電車に乗ると座席はいくらでも空いているのに座ることはせず扉の横に立つと
「あとでメールするね」
と言ってからやっぱりニコッと笑った。
ホームにアナウンスが流れる。
扉が閉まるとわずかに間があってから電車は動き出した。あきなは扉にくっついてガラスに寄りかかって手を振った。何かを言ってるようだけどもちろん拓海には聞こえない。口の動きは「バイバイ」って言ってるようにも見えた。
拓海は黙って見送るとだんだん電車は小さくなっていった。やがて大きく右にカーブすると電車は夕暮れの中に姿を消していってしまった。
すっかり陽が暮れそうだった。拓海はあきなを見送ったあと、ひとり階段を上って反対ホームに渡ると何本か電車を乗り過ごしてしばらく駅の椅子に座ってぼんやりとしていた。
その間、何人もの生徒が上り下りの電車に乗って帰宅していった。その中には運動部の生徒も、文化部の生徒もたくさんいた。決して帰宅部だけではなかったのだ。
小一時間くらい、そこでボっ~としていたようだ、気がつくと夕陽は姿を消して街灯がつき始めていた。次に来た電車に乗ると座るところがなくて、拓海は仕方なく扉付近にもたれかかった。三つ目の駅で降りると祖父母の家までは歩いて十五分くらいだ。
ブラブラ歩きながらふと寄り道してみよう、と拓海は思った。まっすぐに帰れば通ることのないちょっとした広場にだ。
地元の小学生の野球チームの練習場になっているそこに着くと、広場にはもう誰もいなかった。バックネット付近の街灯には蛾が飛び集まっていて、近所の家からは笑い声が聞こえてきた。
小さい頃、お盆や年末に帰省したときはよくここで父親と野球をした。キャッチボール、ノック、そして自分が「打ちたい」というと父親は何時間もぶっ続けでボールを投げ続けてくれた。夏なら汗だくで、冬なら途中からジャンパーを脱いで。
ここが自分の野球の原点だったんだ。拓海はネットに肘をかけながら遠い昔を思い出していた。
あの頃は仲の良い家族だと思っていたんだ。もう、十年も経つのか。月がぼんやりと見える。星はもう何個かが光っていた。
家族って何なんだ?離婚って何なんだよ?子供がいるなら離婚はダメだろ?子供がどうなってもいいのかよ?ふざけんなよ!何があってもガマンしろよ!
そう思うとやたらと頭に来た。その一方で自分だってあきなが初めての彼女じゃない、中学の時にも彼女はいた、だけど別れたんだ。それって?
あきなとだってこのまま結婚すると決まったわけじゃない。それって?
だけどそれとキチンと結婚して子供まで出来て別れるのとは話?がちがうって。
そうでしょ?
帰りの早いスーツを着たサラリーマン?らしき人がこっちをチラッと見た。アヤシイのかな?オレ。あ~あ、もう何が何だかわかんね~よ、ふざけんなよ!
オヤジは可愛がってくれてたよな、オレのこと。小さい頃を思い出しながら拓海はそう思った。それはわかってる。でも、そんなことじゃないんだよ、オレが言いたいのは。
じゃ、なんなんだよ、言いたいことって、わかんね~よ。近くから笑い声はまだ聞こえてくる。もう晩御飯の時間なんだな。そろそろ帰えんないとジーちゃんとばーちゃん、きっと心配するな。年寄りに心配をかけちゃ、いけないな。
もう、ここからはもう五分くらいだ、家まで。そう思った拓海はすっかり暗くなった道を広場を後にして歩き始めた。
あ~あ、オレってなんなんだろ?バカなのかな?
空を見上げるともうどうでも良くなった。バカでもなんでも。そして「あいつら」の顔が夜空に浮かんだ。健大、勇士、啓太、圭介、星也。
あいつら、このオレを誘おうなんて、バカなんじゃないの?オレ、筋金入りのイイカゲン野郎だよ。だからオヤジが手を焼いてたんだから。拓海はそんなことを考えながら心に決めた。
「明日、あいつらに会いに行くか!オレと同じくらいバカっぽいあいつらに!」
最後の曲がり角を左に折れると家の明かりが消えた。やっと着いたか。
拓海は玄関のドアを開けるといつもよりも大きいかな?って思うほどの声で言った。
「ただいま!」