村長
体を揺すられる。
「今日は日曜日だよ? もうちょっと寝かせてよ……」
むにゃむにゃと、夢の中は気持ちがいい。
「起きろよ、馬鹿」
頬から脳へと覚醒の信号が強烈に届き、不本意ながら目が覚めた。
「何!?」
痛みが残る左頬を右手で擦りろうと左手を動かすと鈍い痛みが走る。
骨折していたんだった。上げかけた左手を下ろし、右手で擦る。
「あれを見ろ」
増水してきた川だな。移動しようって事か?
「川じゃねーから」
向こう岸の森から木造の何かが見えているが……。
凝視していると、それを引く黒影が姿を現す。大雨の中は、種の特定すらままならない。
「狼!?」
「どうする?」
肯定はされないが、そうである前提で話が進む。
「どうするって言われても……。哲さんは?」
「哲兄は持てるだけのバナナを収穫しに行ってる」
全員が怪我をしているから、袋にでも詰めるんだろうな。ここにない袋を考えれば妥当な線だろう。
「そもそもあれは何をしてるの?」
「分かんねーよ。ただ、」
言葉に詰まる。焦らさないで欲しい。
「ただ、何?」
「ただ、俺には船にしか見えないな」
言われてみればカヌーっぽい。渡って来るつもりなのか?
もしそうなら、補食しに来るというのか!?
「どっちにしても増水で水が溢れかえるから、ここは離れるしか無いよ」
「だな。だが、その後はどうする?」
海に戻ることは出来ないし……。
「ここまで来たら、灯台を目指す以外ないんじゃない? 何しろ、」
ガサッ。
背後から急に音がし、飛び上がってしまった。
「て、哲兄。脅かすなよ……」
俺は健十郎に抱きついてしまっていた。
「悪い悪い。あれが渡って来る前に、移動しよう」
「そう……だね」
移動するなら早い方が良いだろう。
健十郎は一人で歩けない。こんな視界が悪く泥濘んでいたり、草木が鬱蒼と生い茂る場所で、杖もなく片足で歩くのは無理がある。
俺が健十郎の左肩を支えて歩く。哲さんが肩を貸そうとしたが、身長差でやりにくかったので消去法で俺がすることとなった。
「悪ぃ」
あぁ本当に悪いよ。今回に関しては全部健十郎の……。
元はといえば俺のせいだから、何も言えない。
「気にしてないよ」
顔は隣にあるのに鼻すら見えない。
「もし……もしもの話だが、狼と鉢合わせしたら俺を餌にして逃げてくれ」
はぁ、お前ももしも病かよ。
「お前だって分かるだろ? この脚じゃ……」
「分かってるよ、そんな事。でもさ、そういうもしもの話は止めてくれない?」
気分が悪いとか言う問題ではなく、陰鬱な雰囲気が常にまとわりついてしまう。
そんな事では俺もいつ発狂するか分かったもんじゃない。
「また何か言い残して、勝手に1人満足して俺達を置いていくの?」
「そういうつもりじゃ……」
「つもりがなくても、結果的にそうなってたからやめて欲しい。勝手に死んで俺が泣くとでも思ってるの?」
「泣いてくれないの?」
「いや、泣く事は泣くけど……。そういう事じゃなくって」
「お前ら静かにしろ」
黙って前を歩く哲さんがお冠のようだ。狼は耳が良いからな……。
「お前らは何か勘違いしてるぞ? 飛鳥のせいでも健のせいでもない」
狼は関係なかった。つまり、世の中のせいって言いたいんだよね?
「そんなの分かってるよ。おかしな社……」
社会だったもんね、と言い切れなかった。
「その間にもう1つ有るだろ?」
何の話? 健十郎に顔で尋ねても、知らないと顔で返された。
「俺が弱いせいで、少なくとも4人は巻き込んでしまった」
俺、健十郎、百合さん、裕さん……。後は誰? 他にも誰か居ると思ってるの?
「少なくともってどういう事?」
「俺達かお前の家族もって事だよ」
「……」
可能性はなくはないが、いやまさか……。
「哲兄のせいじゃない」
今手の届く唯一の血縁だからか、心の底からの否定が放たれる。それを羨ましく思った。
「なら飛鳥のせいでもお前のせいでも無い」
「そうだね。3人共怪我をしたのは健十郎のせいじゃないよ」
なるべくしてなった事。必然とも不可避ともとれる物事に相当するだろう。
「でもさ、自殺は悪くない選択肢……だったろ?」
死んだ後みたいな会話だよ?それ。
「そう……かもね。死ぬ過程には恐怖はあるけど、仲良く安楽死するなら寧ろ楽かもしれないね。家に戻れもしないし、生きる意味がもうないよね」
「だな」
哲さんは肯定も否定もしない。実際、戻る方法はないし、あっても脱線者の住む場所はない。
「まぁでも? 2人が生きている内は逝くつもりはないよ」
「俺も!」
「嘘つくなよ? 抜け駆けは無しだからね?」
「分かってるって!」
絶対分かってない。俺の気持ちが、な。
「指切りしよう」
健十郎の右脇を支えている手の小指をチラつかせる。
「小学生じゃあるまいし……」
「健。あんな身勝手なことする奴は小学生と大差ないぞ」
うんうん。その通り。
「それに、俺達は中学生になってまだ半年も経ってないよ?」
「そうだっけ? もうずーっと昔の事のような気分だよ」
無理やり俺達は成長させられたような、そんな気分だ。
濃厚な経験のせいで、そうならざるを得なかった気もするが。
「かも!」
意見が合ったのが嬉しいの分からないが、笑い合えた。仲直りも十分だろう。
林冠を貫通して雨粒が打ちつけてくる。こんな大雨が長時間続くのは初めてだ。
国外で間違いないだろう。
「それで、どこ向かってるんだ?」
俺も聞きたい。
「あれだ」
「空?」
見上げた所には雨が降ってくる林冠しかない。
「よく見ろ、光の筋が見えるだろ?」
いや、全く。健十郎は? あぁ絶対見えてないな。口が開きっぱなしだ。
舌が白くなっている。歯垢のような物が溜まってきているんだろう。
鏡を見たわけではないけど、俺も人の事は言えそうにないが。
まぁ要するに、
「灯台に向かってるの?」
「あぁ。それしか無いだろう」
俺もそう思ってたところだ。反対はない。健十郎も賛成だよね?
「それはやめた方が良い」
左から聞こえてきた。健十郎は右に、哲さんは前に居るというのに。
「誰だ!?」
哲さんが警戒心剥き出しの野生のような威嚇を飛ばしている。
敵だったら俺も怯んでいたかもしれないレベルの、が。
それよりも、暗くて見えない何者かは僕等と同じ言葉を話している。
日記には、外なる国にはその国の言葉があるとされていた。
「初めまして」
暗闇から毛むくじゃらの人影が近づいてくる。
「近寄るな」
目の良い哲さんはそれを捉えたようだが、俺には未だ見えない。
「ポクはジャン・ドゥ・ロール。こないだ来た村の村長をしている者だよ」
毛むくじゃらで人型。崖の上でみたばかりの者と酷似した生物しか居なかったのに、俺は全く気づかなかった。




