飛び降り
ポツリと頬に冷たい粒が当たった。
我に返ると、空から雨が振りだしてきている。やっぱり曇って見えたのは気のせいではなかった。
「狼って名前しか知らないけど、ナイフ1本じゃ……」
勝機は薄い。
狼は少なくとも10匹は居る。耳がそう告げている。
崖に居るのが大問題だ。逃げ道は後ろしか無いが、後ろは崖下の川。
それも岩が所々飛び出しているため、運が悪ければ……。
「狼って2足歩行なのか!?」
ちょっと余所見している間に森から出てきた化物は、前足が宙に浮いている。
4足とも地面についているのも居るが、明らかな2足歩行が居る。
「知らないよそんな事……」
俺に獅噛みついてきた健十郎の手を離す。
剣道を収めている哲さんに賭ける以外ない。俺達では全く歯がたたないだろう。
筋力や身長も然る事ながら、技量が全くたりないのだから。
「お前らは後ろに下がっていろ」
当然だ。後ろが気になっては全く戦えないだろう。
数の差とゆとりの無さが敗北を確定させているかのようだ。
「このまま飛び降りようよ」
「死ぬ気か!?」
俺の提案は、腰が抜けている健十郎によって即座に否定される。
「死なないために飛び込むんだよ」
「俺は泳げないから……」
「哲さんに捕まれば何とかならない?」
そーっと崖下を覗いている。高所に対する恐怖はある意味自然なのだが、そこまで怯えているのに、健十郎はよくも飛び込もうとここにやってきたものだ……。
「岩にあたったら痛いだろ!?」
ぶち当たったら、痛いではなく遺体になると思うが……。
哲さんにも聞こえているはずだが、認識されているかは分からない。
命がけの睨み合いの真っ最中だからね。
痺れを切らしたのか、狼が3匹飛び出してきた。中央及び左右から等間隔に、だ。
4本の……いや、飛びかかる寸前にもう1本見えたから爪は5本か。
刃物が鋭いぞと主張するように、彼等の爪もまた鈍く輝いていた。
跳びかかった中央の狼を避け、右の狼にナイフを一線空振りし威嚇する。
飛び退いたのを確認するや否や、3匹目の狼が飛びかかってきている。
足場も悪いし後ろの遊びも少ない。圧倒的不利。
やはり俺も手助けしたいが、入った瞬間に共倒れになりかねないが故に入るタイミングが掴めない。
他の狼は静観しているつもりか? 寧ろその方が嬉しいのだが、何だか嫌な予感がする。
舐め回すように見入っている。技を見極めているのか?
既に哲さんは3匹に取り囲まれてしまっている。
剣道を納めていてもリーチの問題などでちゃんと戦えはしないようで、為す術なくナイフを振り回している。
「どうする? 早く助けないと哲さんが……」
「そ、そんな事分かってるんだよ……」
全然分かってないじゃないか……。そんなに震えてるのに、どうやって助けに行くっていうの?
「助ける気ないの?」
「割り込んで助けられると思うのか? 哲兄が負けるって事は俺らじゃ無理だって事で……」
タイマンではそうだ。まず間違いなく、ね。
「3対3ならなんとかなるかもしれないよね?」
「丸腰の、それも裸でか?」
そんな事分かってるんだよ。
さっさと割り込んで引っ張って来るべきだった。
「ああああああ」
叫ばなくても分かっている。俺だって叫びたい位なのに。
哲さんが腕を噛まれてしまった。あのまま引き離したら肉が削げ落ちてしまう。
そんな重症をここでは直しきれない。どうしよう……。
考える必要はなかった。
「健十郎はそこで待ってて」
俺の体は自然と前へ出て行った。
統合した嚮後との間に残る僅かな溝に、感情を捨てる。
噛みつく狼に跳びかかり、その腹に渾身の膝蹴りをお見舞いした。
人間と同じで、腹への衝撃で開口する。
哲さんを力の限り俺の後ろに放り投げ、近い2匹に襲いかかる。
最早、狂戦士というに相応しい行動だった。
1匹目は骨の折れる音と共に再起不能になっている。
そんな雑魚には脇目もふらず、動揺した一瞬の隙を突いて2匹目に低姿勢で襲いかかる。
やはり知恵があるのか、腕でガードをしようとしている。
だが、これはフェイントだ。
そのまま背後に周り首を腕で締める。いつぞやの方法で首を圧し折った。
弛緩した毛むくじゃらを3匹目に蹴り飛ばし、死角から攻め入る。
飛び退いて死角を減らしたようだが、問題はない。
それ以上のスピードで接近する。
右手で奴の右手を固定し、左手で目を殴りにかかる。
予想通り、空いている左手で俺の無防備な胴体を狙ってきた。
左手を素早く引き戻し、奴の右手で左手を防いだ。
矛盾の観点からどうなるか気になる所だが、ガードしつつも右肘で左脇腹を突く。
更に低姿勢になった俺は、右足で右足を引っ掛ける。
そのままそれを右手で持ち上げつつ股に潜り込み、尻尾を引っ掴む。
喘ぎ声のような奇妙な悲鳴を上げる中、頭を岩に叩きつけてやった。
1匹目はどうやら肺をやられ、血液に依る窒息が起こったと思われる。
この惨状を見て殺意をバラ撒くが、狼は怯まず全員で襲いかかってきた。
流石にこれはまずい。理性のぶっ飛びかかった俺を引き戻すには十分すぎる迫力だ。
1,2,3……20を超える数が森から出てきたのだ。しかしまだ出てくる気配がある。
哲さんは腕を抑えながら健十郎に支えられている。
「飛び込むよ」
飛び込むように指示したのではなく、飛び込ませるための掛け声だ。
2人に衝突し、そのまま崖まで引っ張り走る。
「おいおいまじかよ……」
哲さんは何も言わずに、俺と同じように健十郎を引っ張る。お陰で抵抗虚しく、仲良くタイブした。




