瓦解
『何故……事をした?』
『僕は……ようと……だけで……』
意識の外から声が聞こえる。
『そう……いだろ? ……すぐ来なかっ……』
『……お兄ちゃんが……』
煩くて起きてしまった。体を起こすと吐きそうな程気分が悪い。頭もくらくらする。
重い目を開けると……、健十郎が哲さんを思いっきり殴る所だった。
殴った方が今にも倒れそうな状態で、殴られた方は元気そのものだった。
立っているのがやっとというような、やつれたような表情で、息を切らし汗だくだ。
哲さんは急に殴られたショックで目をパチクリしている。しかし、直ぐに目が潤み
「痛い……。うわあああああん」
泣き出してしまった。それを見て、怠さなど一瞬で吹き飛んでしまった。
「哲くん、大丈夫!?」
経緯は全く分からないが、哲さんを庇うように間に入り、慰めるように体に触れた。
「何で殴ったの?」
そう怒鳴ったが、泣きべそかいている健十郎が目に入り問いただしきれなかった。
「何でいつも俺だけ……」
近くで見ると汗は思っていたより酷い。体調が悪いと取られても仕方ないレベルで出ている。
「哲は良いよな! 飛鳥に覚えてもらっていてさ?」
今にも涙が零れ落ちそうだ。しゃっくりのように、時折呼吸に痙攣が混じる。
「えっと……何を言ってるの?」
話が切り替わったとは思うのだが、唐突無く進む話しに未だについていけない。
「俺なんか、2人ともに忘れ去られて、こんな所で寄り添ってくれる人なんか……助けてくれる人なんか見つかるわけ無い!」
「俺は健十郎の事思い出たから……」
差し伸ばした手を弾き返される。凄く痛かった……手以上に心が。
「そういうの、もう要らないから! どうせ哀れに思って嘘付いてるだけだろ?」
涙は溢れだし、止まる事はないだろう。
健十郎の名前を再び覚えた直後に名前呼びを再開したのが仇となった。
簡単に証明する方法を失っていたのだから……。
「ずーっと思ってたんだよ。全部……そうだ、全部最初からお前のせいだろ!?」
泣いたまま、それでも憎悪が向けられる。この場での“お前”とは“俺”しか居ない。
「俺のせいじゃないよ!?」
「いいや、お前のせいだ。お前のせいじゃないと納得出来ない!
百合姉が死んだのもお前が余計に首を突っ込んだせいだろ!?」
「それは……」
それは……否定しきれない。ここで反論すべきだったのに、完全にタイミングを失ってしまった。
「裕兄を殺したのも“お前”だ」
“僕”は殺していない。でも、“僕ら”は自衛のために殺してしまった。
ぐうの音も出ず、何も言い返せない。
「黙ってないで何か言ったらどうだ? ええっ?」
胸ぐらを掴もうにも上半身は裸だ。代わりに喉を絞めるように手で挟まれ、岩壁まで追いやられた。
「そんな事思ってたなんて知らなかった……」
「そうだろうな? 俺らは本当なら今頃……楽しく遊んでいられたはずなのに。
もう俺は自分の事で手一杯なんだ!」
「俺だって! 手一杯……」
「哲を庇う気力があるくせにか?」
漸く手を離されたが、その手を掴み返せはしない。
「俺はもう限界だ。このままだと行き場のない怒りで、いつか人殺しになってしまう……」
「どこに行くつもり?」
健十郎は背を向けて歩き出していく。呼び止めるも立ち止まらない。
「怯えながら縮こまって生きていくか、苦しみながら食べられるか。2通りしか無いだろが……」
「だから何が言いたいの?」
追いかけるも、彼の速度は徐々に上がっていく。
「苦しみから開放されに行くんだ」
嫌な予感がする。慌てて腕を掴む。
「離せよ。俺はお前が憎い。お前が居なければこんな事にはならなかったんだ」
払い除けられた手を握り締め、言い返したかった。でも出来なかった。
「お前が死んでくれれば、俺は嬉しいよ」
泣きながら怒っていたが、今は少し笑っている。背筋が凍り程の殺意の中で微笑んでくる。
そんな顔を見て言い返せるはずがない。嘘が一切ないとも分かってしまった。
「もうついて来るなよ!?」
「待って……」
行ってほしくないが真の声を聞けてしまったがために、追いかける理由がなくなってしまった。
「うっうわああああああ」
どうして? どうしてこうなったの? 俺にはどうしようもなかったんだ。
教えてよ。どうすればよかった? 大事だった親友が逝ってしまう。
泣き崩れた俺は、もう追いかける力が出せない。
これ以上、俺から何も奪わないでよ……。
涙で見えなくなったのもあるだろう。親友の姿はもうどこにも見えない。
足音がどんどん離れていく。今なら未だ間に合うのに、心が苦しくて身動きがとれない。
「死ぬなら、せめて俺も一緒に連れて行ってよ! 親友だろ?」
独り言はもう届かなかった。
「俺が行く」
背中を優しく……大きな温かい手で擦られた。
「えっ?」
左の頬には殴られた後を、目の辺りには泣いた痕跡を残す笑顔が向けられている。
「お前はここに居ろ」
頼り甲斐のある手で頭を撫でられ、無償に抱きつきたくなる。
「俺を……」
頭を横に振る。行かないでと言いたい、一人になりたくないという願望を抑え込み、
「親友をお願い……」
ただそれだけを伝えた。
「任せろ。だが、お前はついて来るな」
少し安心してしまったせいで、違う涙が溢れ落ちる。
嗚呼、哲さんが“本当の”意味で戻ってきた。もう少し早ければ……。いや、今だから戻ってきたの?
聞きたいが、もう行ってしまった男を追いかけるのは自分の足では不可能なのは十二分に分かっているつもりだ。
親友の足音はもう、聞こえるか聞こえないかという所まで来ている。それを追いかけられるのだろうか?
追いかける……。
追いかけて、逝ってしまったらどうしよう……。
再び不安が頭を駆け巡る。もしそうなったら、本当に1人になってしまう。
狼が襲ってきたらどうするの? 対抗できるアイテムはサバイバルナイフ1つしかない。
みっともない涙と鼻水を腕に擦り付け、洞窟に置いてある鞄を手にして走りだす。
2人は裸足であの危ない森を走っていったのか、靴は置きっぱなしだ。
急がばまわれ。俺は自分の生乾きな靴を履いてから追いかける。
健十郎の足音はもう聞こえない。まだ哲さんの足音は聞こえる。
一直線に迷うこと無く進んでいる。当てがないのでその音を追う事にした。
どうか無事で……。
次に掴む事ができれば、絶対にその手を離さないから。




