押し競饅頭
原理としては水を後ろに追いやる事で前へと進む……はず。
犬掻きと呼ばれる、犬が泳ぐ方法だ。俺はそれしか知らない。
それも知っているだけであって、やった事はボートから溺れた時に咄嗟にやった1回のみ。
1回も“有る”と言った方が良いだろうか? 2人は1回も“無い”のだから。
全然進まないにも関わらずいきなり溺れかかり、口に水が入る。塩っぱくはない。
俺が味を確認している間にもう向こう岸の方が近い。哲さんが一番早そうだ。
左に居たはずの男の子が居ない。黒い影は水中に見える。
底に沈みかかっていた。自分の事もまともにできていないのに大きく息を吸って潜り、助けに向かう。
手を伸ばすも上手く泳げないせいでなかなかたどり着かない。たったの1メートルだというのに……。
両手で水を掻くが、肺に入った空気の浮力で思うように体が沈まない。
息苦しくなり顔を上げるも、思うように空気が吸える程浮き上がりはしない。
どうしてこんなに水は卑劣なんだ。俺が水を無駄遣いしていたとでも言うのか?
俺も苦しいが、沈んでしまってる男の子はもっと苦しいはずだ。
隣からボコっと空気の大泡が上がる。肺の空気が全部出てしまったかもしれない。
急いで潜るも、どう頑張っても届かない。
何が足りない? 手もしっかり動かしている。男の子の体には“足”がついていた。
当たり前の事だったが、今の俺には頭にはなかった。自分の足を全く動かしていなかったのだから。
足を意識して動かす。ぎこちない動きだが、それでも前へと進んだ。
もう少し……。男の子の服に手が届いた瞬間引き寄せる。
既に意識がないのか抱きかかえても動かず、手足は流れに沿ってゆらゆらしている。
よし、水面へ出よう。
……。
水面を見失ってしまった。男の子の顔が邪魔なのと、息苦しさのせいで冷静でいられないせいだ。
全力で足と右手を動かすが、川底に再び来てしまう。
息がもう……。
服を引っ張られ、スーッと流される。流れに抵抗できずに居ると、水面へと出てこられた。
「お兄ちゃんは大丈夫?」
荒く呼吸をしていると、哲さんが戻ってきていた。
どうやら泳げるらしい。体は覚えているのだろうか?
「背中に捕まって」
男の子が落ちないように哲さんとの間に挟んで捕まった。
最初からこうすれば……。今は後悔している場合ではない。
哲さん自身が泳げることを知りもしなかったのだから必然的な結果だ。
直ぐに到着してしまった。あっさりしすぎて、俺は言葉が出ない。
呼吸を整えたい所だが、そんな時間はない。
男の子からは返事がない。意識どころか、呼吸しているようにも見えない。
指で脈を測るが、一切振動がない。
こういう場合は……、そう。人工呼吸と、心臓マッサージ?
保健の教科書を思い出せ。国語以外は先を知りたい余りに沢山読んだだろ?
呼吸は顎を上げて、口付けで空気を直接送るんだっけ……。
勢い良く口に呼気を送るが、その勢いは男の子の鼻から漏れでてしまった。
鼻も抑えないといけないんだった。
自分の記憶違いと、時間ロスに苛立ちを覚えながら空気を送る。
2:30。いや30:2か? 兎に角呼吸が2で、マッサージが30だ。
2回人工呼吸したから、心臓マッサージを30回。これで1セットだったはず。
胸、特に乳首の間くらいに片手を開いて当て、その手の指の間にもう片方の指を滑りこませるように握る。
鉛直下向きに30回、圧迫するだけ。だけなはずだ。
1、2、3、4……。胸板は凹み、力を弱めると弾力を持って弾き返してくる。
再び人工呼吸を送る。そう言えば、この男の子が俺を蘇生してくれたそうだったな。
頭は良さそうに見えなかったが、ちゃんと詠んでいたことに驚いた。
胸を圧迫しながら顔を見ていると、既に辛そうな表情はなかった。
意識がないのだから当然なのだが、蘇生しない方が良いのでは?
一瞬だけ脳裏をよぎってしまう。自問自答を振り払い、30回まで数えきった。
2セットではまだ足りないのか、息を吹き返さない。
横で見つめる彼も心配そうだ。
「すぐに体を暖めないといけないから焚き火がほしいんだけど、できる?」
「うん、やってみる!」
やるべき事が見つかったために、真剣に走っていった。
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哲さんが言いにくそうにやってくる。
「その……。焚き火、無理だった……」
うん、仕方ない。鞄にライターは入っていなかったかもしれないからな。
既に10セットしているが、一向に息を吹き返さない。
11セット目。口を近づけた時に、口に液体が入ってきた。
「げほっげほっ」
「健お兄ちゃん!」
余程心配だったのか、哲さんの嬉し涙は初めて見たかもしれない。
意識は戻ったが、男の子の体が震えている。
今あるのは濡れた服、密封された食料、少しくらい道具は有るだろうが期待できない鞄。
それと、此処あるのは冷たい水と、雨風を凌げる小さな洞窟だけ。
2人を引っ張って洞窟の中へ入る。風がないだけで体感温度はかなり良好だ。
「全員裸になって」
とは言うものの、男の子は自分で脱げそうにない程震えている。
服を脱いだ後、男の子の服をパンツごと脱がせた。
やる事は一つだ。古典的な暖の取り方という名の、単なる押し競饅頭だ。
身を寄せあって互いに互いを温め合う。空気と触れ合う表面積を減らすのだ。
少し経つと、落ち着いたのか呼吸は安定し、震えも収まっていた。
耳元ではスヤスヤと男の子の寝息が聞こえる。緊張の糸が解れたのだろう。
見張りは必要だし起きてなきゃ……。それと、服を乾かさなきゃ……。
俺も2人の寝息を聞いていると、疲れがどっとやってきた。




