木造の村
「ワオォォォォォーン!」
目の前に居る狼も遠吠えをし、仲間を呼んだと思われる。
俺等という獲物を集団で狩ろうという事だろうか。
「うわあああああああ」
哲さんが一目散に逃げて行った。進行方向斜め右。狼との接触の可能性は一番低いだろうが、道はそっちではない!
「おい待て、哲!」
俺が走り出す前に、男の子が追いかけていた。このままでは分断されてしまう。
分断だけならまだしも、迷子になりでもしたら二度と会う事は叶わなくなる。
「お前は先に行け」
「でも……」
「大事なんだろ? 幸い俺は独り身だ」
だけどそれじゃあ……。
「心配するな、すぐに追いかける。少々足止めの細工をするだけだ」
2人共手ぶらで行ってしまったらしく、俺一人では全部持ちきれない。
食料だけを持って行く事に決めた。食料の入った鞄を担ぐ。寝袋は諦めた。
水もまた、俺では持って走るのは不可能なので放棄。
「分かった。すぐ来てね? 貴重な“水”だから」
「あぁ」
心配だが、俺にとっての優先順位は哲さんが一番。色々白状でごめんなさい……。
でも仕方ないんだ。近づいてくる足音から逃げるように、そう意識する事で罪悪感を紛らわせた。
『おい、哲! そっちはまずい!』
少し離れたところから声が聞こえる。目視で見える程度の距離から聞こえてるはずなのだが、一瞬も目が捉える事はない。
哲さんの悲鳴のお陰で、取り敢えずは見失いそうにはない。
『哲、待てって!』
哲さんの声が徐々にだが、遠くなっていく。代わりに男の子の声は近くなってきた。
俺でも哲さんに追いつけないわけだから、俺に近づかれるような男の子では無理だろう。
「健十郎!?」
『哲!』
今まで以上の大声を出す。余程の事があったのだろうか?
草がしげ見すぎて全く様子が分からない。尚も悲鳴は遠退く。
後ろからは足音がしない。狼どころか無道寺のすら、だ。
『そっちはまずい! まずい、まずい、すっごくまずい!』
切羽詰まったような、焦燥感溢れる叫び声も届いてきた。
しかし、足音は俺のと合わせて3つしかない。
『家があるよ!? お願い、誰か助けて』
哲さんの消えかかった声がそう言っているのを、確かに確認した。
『そこには“人”は居ない。だから戻れ、取り返しがつかなくなる』
「何が居るの?」
気になる余り俺も叫ぶ。しかし、返事は返ってこない。
何時の間にか、足音が1つ消えていた。
『うわあああああああ』
何か倒れる音が聞こえた。まさか……。最悪を想像してしまい、足が更に早まる。
とうとう俺の足音しか聞こえなくなった。急いだ所で走りにくいのは変わらず、速度も上がりはしない。最後に聞こえた方向に向けて走るしか今の俺には出来ない。
呼吸音は聞こえる。えっ、呼吸音? それも沢山……!?
森の奥から僅かに光が見えてくる。開けた場所に出られそうだ。
森が僅かに開けた場所には木造の村があった。文明度は低いが今正に使っているのは間違いない、手入れが行き届いている建物ばかりが塀の向こうに見える。
門の入り口で尻餅をついている哲さんが目に入った。
「哲さー……」
走りながら声をかけようとしたが、途中で言葉を失ってしまった。
哲さんを庇うように大の字を広げる男の子の先には、狼が居たのだから。
「食うなら俺を食え。哲に触れるな!」
身を挺して守っているが、足が震えている。
何時襲いかかってきても可怪しくない。呼吸音の正体はそれだった。
俺が持つ武器は……食料のみ。美味しそうな匂いのする餌を囮にしよう。
フリーズドライばかりだ。匂いなど殆どするはずもない。
いや、俺の鼻には、だろ?狼は鼻が良いはずだ。それに賭けよう。
俺は勢いを失わないまま2人の元まで駆けて行き、村の中に封を開けたチキンカレーを放り投げた。効果があるかは全くわからない。俺の知識では答えを導き出せそうにもない。
その隙に2人の手を無理やり引っ張り、此処を離れようと言う算段なのだが、2人共硬直してしまってなかなか動かない。
「今のうちに逃げるぞ」
反応がない。急を要するので、2人の頬を叩いた。
「聞いてるのか!?」
我に返ったようで、手を引くと漸く動き出した。
こんな得体の知れない島に来てまで逃げなければならないだなんて……。
もう涙なんて出ない。生に獅噛みつくとはそういう事なのだろう。
哲さんは手を離しても問題なく走っていく。離れすぎないようにだけ釘を刺差しておいた。
男の子は転けそうになりながらも必至について来る。俺が手を引っ張っているせいか?
様子を見ようと振り向くが、やはりつらそうだ。門から1匹顔を出しているのが視界に入る。
今すぐに休憩は無理だ。
足音は聞こえない。追いかけてくるようには見えない。
「奴らが居る」
男の子は鼻をヒクヒクさせながら、後ろの“何か”に恐怖する。
幻覚でも見ているのだろうか?
「後ろを見ている余裕が有るなら前を見て走れ」
その方が確実に早いからな。転けて怪我でもしたら、それこそ逃げ切れなくなってしまう。
ザワザワと音がする。次第に光りも強くなってきた。再び開けた場所に出そうだ。
森の音ではない。かといって動物の出す音でもない。
綺麗な川だった。川の向こうには洞穴がある。中に何かが住んでいることは無さそうなサイズなのが願ったり叶ったりだ。
水という防壁に加え、洞窟の前で焚き火をすれば高確率で獣避け出来そうだ。
「川を渡るぞ」
川に向かって止まること無く突っ込む。しかし、引っ張っていたはずの手に引き戻された。
「無理無理、俺泳げないから……。これ、結構深いだろ?」
川から離れようとしている。船酔いもあるから恐怖が一層増しているのかもしれない。
「じゃあ狼の餌になりたいの?」
「そんなこと言ってねーだろ?」
「じゃあ、早く。俺だって泳げないから。でも、」
「でも、怖いんだって。狼も、泳ぐのも!」
俺の手を完全に振りきってしまった。それ以上後戻りしないで欲しい。
「じゃあここで休憩する?」
「それもダメだ」
焦れったい。しかし、喧嘩をしても埒が明かない。
「心配しなくても選択肢は3つだよ」
俺は男の子に指3本を付き出して注意を奪う。優しく言おう。
「3人揃って食べられるか、3人揃って溺れるか、3人揃って向こう岸で助かるか、だ」
4つの“3”だ。俺達はこれ以上欠けたらもう持たないはずなんだ。
「もし死ぬ事があっても、俺達も一緒だ。ね? 怖い事はないよね?」
男の子の手をそっと握り、そのまま抱きしめてやった。大丈夫だから。
「……分かった」
諦めて、渡ることを決意してくれたようだ。序でに俺も吹っ切れてしまった。
「但し、もし溺れ死んだら恨むからな」
ハイハイ。
「それはあの世でしてね」
3人揃って飛び込んだ。




