海面上昇
耳元でザワザワと音がする。誰だよ、うるさいな……。
どうやらいつの間にか寝ていたようだ。起きても……いや、起こされたせいで機嫌が悪い。
目を擦りながら上体を起こそうとすると、体を支えようとした手がピチャっと音を発する。
「えっ、海?」
濡れた砂が手に付いた。焚き火は森近くにあるために未だ燃えている。
喧嘩のせいで、男の子からは距離を取っていた。そのためか、俺だけが波で起こされたようだ。
海と森の中間地点だった此処は、既に海になりつつある。
寝袋を畳んで急いで焚き火まで駆けて来た。
無駄に全力で走ったせいで、若干疲れてしまった。
3人共ぐっすり寝ている。起こすべきか起こさないでおくべきか……。
「どうした?」
無道寺は寝ているようで寝ていなかった。
俺は寝袋に収まる男に、海の方を見るよう促した。
「大分近くなているな」
「それもそうなんだけど、渦潮が近くなってきているのと、打ち付ける波もかなり強くなった気がします。昨日は顔を洗うくらいはできたけど、今はちょっと怖いかな……」
「どの道今日出発するが、戻ってくる選択肢は消えたな」
「そ、そうですよね……」
この荒波だ。軍艦が来る可能性はもう無いだろう。
熟睡している所悪いが、叩き起こさせてもらった。
男の子は昨日よりも一段と機嫌が悪く、哲さんはぐったりしている。
「全員荷物持てよ」
起きて早々、何故か男の子が仕切っている。この際、気にしないでおこう。
水が大量に入っている給水タンクは重いので引いていきたい所だが、森でそれは恐らく不可能だろうということで無道寺が担いでいる。
俺は食料を、哲さんは嵩張る寝袋等を運んでいる。
「何で健十郎は何も持ってないんだよ」
「上手く4分割できねーし、それに先頭は身軽な方が良いだろ?」
理屈は分からなくもないが、不満が募る。
森の中は湿気が多く、気温と相まってかなり苦しい。熱中症にならないよう、こまめに水分を取る。このペースだと、食料より水のほうが先に枯渇してしまうかもしれないな。
無道寺は文句も弱音も吐かない。対して俺と男の子は互いに文句を、哲さんは弱音を漏らす。
無道寺に振り向くと、俺の視線に気付いたのか話しかけようとするも、口を閉ざしてしまった。
「何か?」
「いや、なんでもない。お前達がそれで気が紛れるなら、な」
何か心配事でもあるのか、森をキョロキョロ見回している。
「健十郎。前を注意するのもいいけど、足元の虫とかにも気をつけないと」
「分かってるってそんな事」
せっかく親切に言ってやったのに、なんだよ。
よくこんな性格の奴と俺は親友などとなったもんだ。記憶が戻らないほうが良いのではないか?
八つ当たりに地面を思い切り蹴る。ぷちっ……。
変な感触とともに気味の悪い潰れる音がした。これは絶対に見ない方が良い。
悪寒のせいで一瞬ブルったが、感触を振り払うかのように前を歩く男の子を注視した。
じっくり見過ぎただろうか? それとも俺が揺れているせいだろうか?
本当に偶にだが、力が抜けたようにフラーっと僅かに横に下に自由落下する。
「健十郎、大丈夫か?」
「は? 何が? 全然平気だが?」
気のせいかな……。声と気力だけは元気そうだ。
「うんち」
最後尾を歩く哲さんがお尻を抑えていた。
「ここで?」
「それ以外ないだろ。序に俺もするかな」
そんな事言うから、俺までしたくなってきた。連れションじゃあるまいに。
紙は貴重だが肌触りの優しそうな広葉樹が一切ないので、1人1枚で拭く事にした。
うんちの色や形で体調が分かるんだったよな……。
俺のは普通かな? 寧ろ、いつも通りという感じか。
「何俺の見てんだよ」
哲さんのを見た後、男の子のもじっくり見ていた。
直ぐに草を大量に掛けられて見えなくなってしまったが。
「2人共、健康そうだね」
「当たり前だろ? このド変態が」
「健お兄ちゃんのうんち、立派だったね!」
塒を巻いて、如何にもそれだと分かるマスコット的な形状だった。
「お前も何勝手に見てんだよ」
「見られて減る物なの?」
「ああ磨り減るんだよ、心がな」
あーはいはい。さっさと行けよと、手で催促した。
野糞のおかげかは分からないが、喧嘩は収まった。ただし、無言となって。
掻き分け歩く音しか聞こえてこない。
勿論、風で揺れる木々や草葉の擦れる音は自然から聞こえてきてはいる。
爪を切り忘れたな……。サバイバルナイフセットみたいなのがあった気がするけど……。後で要確認だな。
あれば、爪どころか髪もいけるか? 動物が居れば肉も削げそうだよね。
昨日はかなりの時間を掛けて往復してきたはずだから、そろそろか?
「見えたぞ」
どうやら、俺の時間感覚は使い物になりそうだ。
「えっ、これ?」
確かに人が暮らしていた、のは間違いないだろう。人工物なのだからな。
「一体、何時の時代のだよ」
建物は崩れているものが多く、崩れていなくても蔓が纏わり付き、植物も根を下ろしている。
試しに触ってみるが、ボロボロで今にも崩れそうだ。“僕”が住んでいた町がそのまま遺跡になったようだ。
哲さんは腹を擦っている。頑張ったし腹拵えでもしようか。
「ここで食事でも取ろう」
ここで木を燃やすのは危ないだろう。乾パンと水で戻したフリーズドライのお粥だ。
時間はかかるが、水でも戻せるというのがいいな。
「暖かくないけど、美味しいよ!」
哲さんの体は俺よりも大きいのに、俺と同じ量しか食べられない。
ここでも食料らしき物は見当たらないな。
昔は舗装されていたであろう、草の生える砂利道でご飯を食べた。
ワオォォォォォーン!
この島に来てから聞いた例の遠吠えだ。それも、直ぐそこで聞こえる。
「狼か!?」
「直ぐそこから聞こえるよ!?」
「いや、まだ遠いと思うが?」
全員聞こえているはずの声なのだが、俺だけ意見が違う。皆、難聴になったのか?
草を分けて走ってくる獣の足音が直ぐそこまで迫っていると、俺の耳に語りかけてくる。
それも1匹ではないのは間違いない。
「今すぐ逃げた方が良いって」
音は進行方向左から来ている。逃げるには右だろう。
「ガルルルルル……」
ところが、狼が現れたのは進行方向とは反対側だった。




