分担
ワオォォォォォーン。
起き上がるも、空の明るさは変わらない。時間間隔が確実に麻痺するな……。
焚き火はまだ燃えていので、時間はそこまで経っていないはずだが。
寝ぼけていたせいかと思ったが、確かに絶滅したはずの狼の遠吠えが聞こえる。
「おい、大丈夫か飛鳥!」
男の子が血相を変えて俺の元へやってくる。来るなり、俺を抱きしめ背中を撫でた。
えっ? 意味不明すぎる。引き離そうとするも手が言うことを聞かない。
こんなに接近しているのに、男の子の匂いが全くしない。
哲さんも俺の方を心配そうに見つめていた。
耳を澄ませてみたら、何かが聞こえてきた。遠吠えに混じった、悲鳴のような声が……。
口に塩っぱい液体が入り込む。これは夢で、未だに海に溺れているのか?
「落ち着け、ゆっくり呼吸をしろ」
男の子が俺の顔を自分の顔に近づけ、俺の目と合うように頬を両手で掴んできた。
男の子の顔は見える。見えるのだが、目が一向に合わない。男の子の目は激しく動いていない。動いていたのは俺の目の方だった。
男の子は更に不安になり、歯を食いしばっている。涙を堪えているようにも見える。
一瞬森を見た後、俺の耳を塞いだ。塞がれたのに、悲鳴は聞こえる。
遠吠えが聞こえなくなったせいで、それが自分のものだったと理解した。
言われた事を思い返すと、俺が呼吸困難になっていると思われる。
目の振動で気付かなかったが、仮説検証のプロセスで1つずつ分かってくる。
口から大量の空気が出入りしていた。そのせいで鼻は使用されず、匂いが分からなかったのだろう。
不思議と残念な気持ちになった。
遠吠えが聞こえなくなって暫くすると、急に眠気が襲ってきた。
既に焦点が定まり、手も自由に動くようになっているのに、瞼は重く、手は上がりきらない。
全身の力が抜け、男の子の胸の中に沈んでしまった。
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再び起きた。それも正常に寝袋の中から……。服はきちんと着ている。
俺の記憶では真っ暗になった直後に起きたはずなのだが、時間は大分経過しているようで、焚き火は鎮火しているばかりか燃え滓も殆ど残っていなかった。
誰も居ない。みんなどこへ行ったんだろうか?
勝手に動くのは良くないだろうか?と思いつつも、森の中が気になり1人で入ってしまった。
お婆ちゃん家の近くにある森とは全くの別物だった。林冠で光が遮られて地面付近は歩きやすかった森とは違い、ここでは地面でも生い茂っている。
遠吠えが本当だったとしても、狼がこの茂みを移動するのはちょっと難しいんじゃないかな?
狼って言っても、所詮は犬を少し大きくした程度しかないはずなのだから。
あれこれ考えながら、無意識に分け入る。
見た事も無い虫は大量に見かけるのに、食べられそうな木の実が1つも無いな。
図鑑に載っていない虫には興味を唆られた。しゃがんで見ようかと思ったのだが、方向が分からなくなったら大変だ。そろそろ引き返そうと向きを変えた時に転んでしまった。
「痛っつー……」
歯がぶつかる音が聞こえた。舌を噛まなく本当に良かった……。
転んだまま目を開けると、毒を持ってそうな虫がうじゃうじゃ居た。
ここでは医者も居なければ薬も無い。怪我すら危険かもしれない。
俺はそこに思い至ったがために急いで元来た道を戻った。靴を履いてきて正解だった。
森を抜け浜辺に出ると、誰かを探しているような声が聞こえてきた。
どうやら少し方角が違っていたようで、遠くに人影が見える。
ゆっくり歩いていると俺に気付き、一目散に駆けて来る。
「どこ行ってたんだよ、心配したじゃねーか」
男の子は泣いているわけでも怒っているわけでもなかった。
肩を掴まれ、俺の体を激しく揺らす。二度と勝手に居なくなるなとも言われた。
神経質なまでの心配に、俺は後ろめたさと同時にやりにくさを感じる。
俺は腕を引かれ、燃え尽きた焚き火の元に連れ戻された。
当然、詰問に遭った。
「興味本位で森に入ったのか!?」
あれだけ心配していたのだから怒るのも仕方ないのだが、声が大きくなる度に肩身が狭く申し訳無さで一杯になった。
「健お兄ちゃん、もう良いよね? 飛鳥お兄ちゃんが可哀想だよ……」
哲さんは俺を、大事なぬいぐるみを取られまいとする子供のように守ってくれる。
そのせいかは分からないが、怒鳴り声は鎮まり、男の子は開けたままの口を閉じてから胡座をかいた。
「内輪揉めはその辺にしてもらえるか?」
「あぁ」
腕を組んでいる無道寺が男の子に冷静になるように促す。
分かっていると言わんばかりの短い返事だったが、膝の貧乏ゆすりが止まる気配は無い。
「これからの方針だが、まずは食糧と飲水の確保だ」
俺が健全な状態では無いため、無道寺が基本方針を決定する。
「女はどうする?」
「浜辺を見た所、近くには漂流物が一切なかった。まず間違いなく、この辺りには居ない」
漂流物が無ければそうなるだろうな……。あれ? 俺等が乗ってきたボートが無い。
「そう言えば、ボートはどこに?」
見渡してもどこにも見当たらない。
「少し離れた所に隠してある。あんな目立つ色を置いてあれば、軍が来でもすればバレバレだからな」
成る程な。もしかして3人共居なかったのは運んでいたせいなんだろう。
「あれは?」
哲さんが光の大元を指差す。
「いずれは向かいたいが、今すぐには無理だな」
俺も男の子も、今の状況を考えれば納得できる事なので頷いた。
「という事で、役割分担をする。俺と茶髪は探索しつつ飲食出来る物を探す」
茶髪か……。健十郎は地毛で僅かに茶色がかってはいるが、茶髪に入るのか?
「お前ら2人は海を見張っていろ」
「でも……」
「飛鳥は休んでろ。ふらっと居なくなられでもしたら、“俺”が困る」
男の子からも動くなと言われる。さっきの今では俺の発言に信憑性はない。
「……分かったよ」
俺は手伝うのを諦めた。どちらにしろ、見張りは必要だ。
2人は獣道のような所から森に入るらしい。
やはり狼が居るのではないか? そう思ったが、聞かないでおいた。
あの時の顔で再び詰め寄られでもしたら、何も言えなくなってしまう。
見送りながらも、砂浜で哲さんと一緒にゴロゴロしている。
「哲くん、何かしたい事はある?」
哲さんは反応せずに、空を眺めている。何を考えているのだろうか? とても気になる。
きっとこの辺に哲さんが居るはずだ。そう思いながら起き上がり、哲さんの体の上で哲さんが見つめる先に手を伸ばす。
「俺は……僕はどうしたら良いですか?」
物理的には存在しない物を手に掴めるはずもなく、握った手には自分の手の温もりが伝え合う。しかし、腕には掴まれた感触があった。
哲さんが転がったままで手を伸ばしてきていた。俺よりは長い腕だから当然だろう。
「大丈夫?」
それはお互い様だよ。空元気の笑顔を作り、不安がらせないように努めた。
「砂のお城でも作る?」
「うん! でっかいのを作りたい!」
哲さんの無垢な笑顔に癒され、泣きそうになったが我慢して泣き笑いになってしまった。




