天井の絵
夢の中で、僕は僕を見た。
嚮後の視点だったのだから当然なのだが……。僕は袋の中だった。
かなり大きい車のようだ。僕らは遺体袋のように積み上げられ、足元から沢山のチューブが出てきている。
黄色や茶色の物体が袋から排出され、代わりにカラフルな何かが送り込まれていた。
どの袋もピクリとも動かない。宛ら植物の受動的で自動的なやり取りが行われているようだ。
嚮後は、僕なら見ないような所まで移動してきている。
どうやら別の囚人の雑居房のようだ。来る途中で分かったが、男女混合部屋は無いようだった。
今までは、そこまで意識する余裕はなかった。
僕が運び込まれる前には既にこんな所まで来ていたらしい。
部屋には110番、189番、932番が書かれていた。当然1つは空欄だ。
「おい萩田、大丈夫か?」
そう呼ばれる189番は辛そうだ。風邪でも引いたのだろうか?
正に哲さんと同じような状況だ。
「早く行こうよ……。僕らまでミンチになっちゃうよ……?」
気の弱そうな932番が部屋を出ようとしている。
「……。そうだな」
110番もバツが悪そうに部屋を出て行った。
可哀想な189番。風邪薬と栄養と、ちゃんとした休息さえあれば……。
ここでは風邪による致死率は9割を超えるそうだ。
だからなのだろう。風邪を引いた人は射殺されるらしい。
早く起きないと殺されるし、起きられたとしても悪化して死ぬだろうな……。
既にデッドエンドフラグは立っている。
僕は立ち去ろうと立ち上がると、189番は目を開いた。
僕を見ている。いや、僕の後ろにあるものを見つめているようだ。
その視線の先には電球と……、天井に書かれた1つの絵があった。
クラインの壺に苺の花と実が実っている。
理科が得意だったので、それが何であるかすぐに分かった。
苺の花言葉は尊重と愛情、幸福な家庭などがある。
つまり人権が尊重された中で、真に愛情ある幸福な家庭が実るようにという事だろうか。
クラインの壺を輪廻の輪に見立て、来世こそはという願望が込められている気がする。
僕らは絵を見ながら物思いにふけっていると、足音が聞こえてきた。
近づいてきた足音は定期的に音を止める。巡回のようだ。
この部屋にもそれは一瞬だけ顔を出した。若い男の刑務官だった。
部屋に誰もいないと思っていたのか顔を引っ込めたのだが、直ぐに部屋に入ってきた。
何しろ189番は此処で寝ているのだからな。
ズカズカと入ってくるなり銃を抜いた。
手際が良いので既に安全装置は解除されている。
「風邪か?」
一応確認するようだ。どう見ても重度の風邪。悪くてウイルス感染だろう。
189番は軽く頷くものの、天井から目を離さない。
終いには手を天井に向けて掲げ、満面の笑みを作った。
彼はそのまま紅い花を開かせ、次の人生へと旅だった。
僕は目の前でそれを見たが、特に何も感じなかった。
喜びも悲しみも何一つなかった。純然たる事実として受け入れる事が出来た。
気づくと撃った張本人は既に居なかった。
何処へ行ったのか見に外へ出ようとすると、袋の山が有る所に引き戻された。
嚮後は演技が得意で、それでいて僕の体を気遣っていたようだ。
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7月のとある日。それまでは僕の知っている事と殆ど同じだった。
何かを察知した時だけ遠くまで行けるようだ。
今日は何かあるぞというのがすぐに分かった。
体は既に労働に出掛けているのに、僕はまだ此処に居るのだから。
耳を凝らすと微かに怒鳴り声が聞こえてきた。
その音に向かって体が勝手に進んでいく。
喧嘩をしているようだ。
怒鳴り声はどんどん大きくなって、よく聞き取れるようになった。
なのによく聞こえない……。何を喋っているのかが判らない。
耳に手を翳してみても、聞こえるのは大声だけで意味が頭に入ってこない。
僕の知らない言葉……ではない。原因は不明だ。
プロレスの如く、喧嘩は凄まじいものだった。
どうなったらこうなるのやら……。
手癖足癖の悪い攻撃が飛び交う。
痛そうだ……。自分に当てはめて見てしまったために、渋い顔になってしまった。
片方は顔ばかり狙われ青い顔をしている。その痣の影響で顔も変形して見える。
もう片方は腹ばかり狙われ、口から血を吐いている。
観戦者は僕だけだった。まぁ応援をしたりはしないのだが。
今日もまた巡回がやって来た。例の如く顔を2度出しして。
若い男の刑務官の言葉もよく聞き取れない。
「そこで何をしている」
そんな風な問い掛けをしたように思う。
それでも2人は止まらない。聞こえていないのだろうか……?
刑務官は床に発砲した。凄まじい音だったため、2人は耳を抑えて戦闘をやめた。
そのまま説教ともとれる状態になった。
刑務官た立ちながら怒鳴り、2人は正座しながらビクビクと答えている。
答えが気に入らなかったのか分からないまま一人が胸を打たれた。
「がはっ……」
「お、俺は悪く無い!」
もう一人の男は必至に命乞いをしている。
どうやら聞こえるようになったようだ。
「喧嘩両成敗だ。後悔は向こうでしな」
脳天を撃たれ、そのまま崩れ落ちた。
頭を撃たれた方は即死だったが、胸を打たれた方は苦しみながら死んでいった。
「死ぬならせめて即死が良いな……」
そんな感想を呟いていると急に時間が飛び、独居房へと誘われた。
「あなた達は最早、法律上は“人”では無いのだから」
確かに彼女はそう言っていた。女性刑務官は確かに殺す事自体は問題ないような事を。
じゃあ殺しあっても問題はない……、いや喧嘩両成敗……。
つまり力が拮抗している喧嘩は両方死罪という事だろうか?
そう言えば裕さんは僕に襲いかかってきていた。とんでもない顔をしながら……。
あれを抑えるのは僕にはどうしようもなかった気がする。
じゃあそうなった原因は……?
……。
僕の不敵な笑みと、健十郎に向けられた殺意。
これさえなければ……。
いや、僕が弱いから嚮後が強行に出たのだろう。
でも殺意までは説明ができない。
……。
天井の絵。そう、運命か。
それを呪って四方八方に殺意を……。辻褄は合う。
しかし健十郎だけ反応したのがわからないな……。
……。
微妙に解決しないまま、僕は夢から醒めた。




