嚮後
今日は何日だろう?
雑居房の集合住宅には1つの巨大な時計があった。日付付きのが。
終皇80年5月27日 不明
強いて言えば、室内という天気である。
女性刑務官は僕らを工場棟に連れて来た。
そこでは様々なものを作っている。
僕は空いた箇所に割り当てられたのだが、1日では覚えきれなかった。
早口で説明を受け、取り敢えずやってみたのだが上手く行かない訳で、その都度殴られた。
健十郎は器用なもので、憔悴しながらもやり遂げていた。
あいつは命に関わる時はよくできるやつだったらしい。
それから毎日毎日同じことをやらされる。
労働基準法など存在しない。1日12時間労働だ。睡眠時間6時間。5時間は運動だ。
残った1時間で食事などを取らされる。トイレ休憩すらも完全に管理されている。
風呂は週1。石鹸など無い風呂場でただ単に浸かるだけ。
僕の垢と誰かの垢が混じった不衛生な風呂だ。
手で汚れを落とすが、拭くものもないので、汚れが落ちているかは正直怪しい。
頭は痒すぎる。頭垢がよく落ちるようになってきた。
我慢していたらそのうち痒みを通り越してしまった。
終いには、自分の頭の匂いを嗅ぐ癖までついてしまった。
ただ、自分の匂いを嗅ぐと酷く安心した。
部屋では相変わらず僕と健十郎は反対側だ。
僕らは話し合わない、目を合わせない、近寄らないを徹底していた。
最近では慣れてしまって最早赤の他人のような状況だ。
裕さんすら僕と距離をおいてしまった。
哲さんだけは僕に優しくしてくれていた。過去形だ。
健十郎がやめろと言い、健十郎達が居ない一瞬だけ声をかけるに留まってしまった。
絶賛話し相手を募集中だ。
極限状態のせいか、同じ雑居房の人同士で裸の付き合いがあるようだ。
男同士や女同士もあった。
僕は耳を塞いでいたが、裕さんも何かしていたようだ。
どっちとやっていたのかはわからないが。
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終皇80年8月9日 不明
僕の誕生日。
去年はお婆ちゃん達が祝ってくれたっけ。
楽しかったなーと思う。あの時は親友の話をしたんだ。
今の状況は絶対に言えないな。多分もう二度と言えないと思うけど。
最近欲求不満だ。色々と成長したせいだろうか?
肉体のみならず精神すら疲労困憊だ。
僕は勇気を出し、久しぶりに健十郎に声をかけた。
健十郎は一瞬ビクついたが、それ以上反応はなく無視された。
部屋に戻って僕は健十郎に話しかけた。
でもそうじゃなかったみたいだ。
「おいお前。健十郎に何する気だ?」
僕の後ろから、裕さんがそう言ったのだ。僕に敵意剥き出しだ。
極限状態に陥ったせいで、敵か味方かという状態になっているのかもしれない。
裕さんは僕を捻じ伏せた。
僕は抵抗しようとすると……あっさりと抜け出てしまった。
裕さんの疲れきった顔は驚愕のそれに変貌した。
そして、裕さんは僕に襲いかかってきた。
僕は殴られ蹴られ、僕は殴り蹴った。殺し合いという名の。
健十郎は怯え、哲さんは呆然と佇み、僕らは情熱的に殺り合った。
本来ならば体格差で僕の圧敗のはずなのだが、何故か僕が優勢だ。
途中からは一方的に殴っていた。
裕さんは縮こまり、身を守っている。命乞いのような雑音を発しながら。
僕は何故止めないのだろう?
わからない。その疑問に誰かが答えた。
「「楽しいからだよ」」
その声は、テレパシーのように直接、和音のように幾重にも重なって。
「お前は誰だ」
僕は怒鳴る。しかし僕の口は動いておらず、尚も殴り続ける。
「「俺は君だよ」」
エコーのように残響を残しながら。
「「忘れたのかい?君が名付けてくれたんだろ?」」
奴は僕で、僕が名付けた者……。
嚮後くん……?
「「やっぱり覚えてくれてたんだね」」
嬉しそうに反響する。
「そんなことはどうでもいいだろ?何故そんなことをする」
「「楽しいからだよ」」
さも当然のように繰り返し言う。
「そうじゃない。何故僕の体を乗っ取る?」
その質問を投げかけると、直後殺意を感じた。僕から僕に。
「「お前が戻ってきたせいで俺が追い出されたんだよ」」
さっきよりも更に激しい殺意を感じる。
「「俺がお前を守ってやったっていうのに」」
「前は子供だったじゃないか」
「「弾き出された後、お前の記憶で成長したんだよ」」
いつの間にか僕も体から追い出されていた。そこには嚮後も居た。
体は今も殴り続けている。機械のように自動で。
「だからってこんなことする必要はないよね?」
僕も敵意を放つ。
「「自分の思い通りにならない体なら死んでしまえばいいと思ったのさ。
自殺なんて良いと思ったんだけどな。どうでもいいところでお前は図太かった。
忌々しいやつだ」」
嚮後は殺意を抱いたまま不敵な笑みをした。
この殺意が健十郎にも向いていたらしい。
表情が奪われたのも前兆だったのだ。
僕の顔でそんな下衆なことを言うな!そう思うが言葉にならない。
「「心配するな。お前の体は俺がきっちり使い潰してやる。ゆっくり眠ってろ」」
僕の意識は遠退いていった。
「「お休み。二度と起きることはないだろうがな」」




