レニングラード・メトロノーム
目が覚めると真っ暗だった。無音で身動きもできない。
どうやら遺体収納袋のような物に入れられているようだ。
体感で裸だと分かった。
そして様々なものが体に取り付いている。
耳は耳栓で、目はアイマスクだろうか?
鼻や口から複数のチューブが入り込み、喉の奥まで入っているようだ。
マスクのような物が口と鼻を覆い、空気が出たり入ったりする。
口には猿轡もされていた。
排泄器官周囲には何やら股の下から挟むように装着され、腰のベルトで固定されているように思う。
恐らく自動排泄処理装置だろう。
手足どころか首も動かせない。
【ようこそ、暗黒卿へ】
そうこうしている内に、耳栓から音声が流れてきた。
【これから向かう場所は地図には載っていない場所になります。
運が良かったですね!今回皆様が送られる場所は強制労働施設ですよ】
何が良かったのかは分からない。
【食事は8時間毎に自動でチューブから流し込まれます。
排泄は自由に行って下さい。自動で回収いたします。
呼吸はこちらで管理しております。騒がしい場合は停止されますのでご注意下さい】
要するに寝たきりの人がされるのと似た状況というわけか。
【睡眠時間はこちらで管理します。
睡眠時間になると、配給される空気と一緒に睡眠作用のある物を配給します。
効きが悪い場合は食事と共に投薬、それでも効かない場合は注射にて睡眠導入を行います】
言葉が見つからない。見つかっても伝える方法はないだろう。
【それでは目的地へ付くまで、よい旅を!】
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音が聞こえる。メトロノームのような。
心臓の音と同じくらいの速さだろうか。
寧ろ心臓がこれに合わさったと捉えるべきなのだろう。
そう考えていると、チューブから何かが流れ込んできた。
食事だろうか? ドゥルッとした感じで胃に直接入り込む。
気持ちの良いものではないな……。
直後、いや食後か? 便意を感じた。
自由に出していいとは言われたが、どうしても我慢してしまう。
更に我慢する。だが、肛門の力だけでは我慢しきれなかった……。
先端が出てしまえば、もう諦めて全部出してしまうことにした。尿も含めて。
その直後何やら下で音がした気がする。
僕の排泄物を回収していると思われる。
次は温水が出てきた。予想してなかったのでビクッとしてしまった。
お尻に当たるのは……気持よかった。
乾燥させるためか、生温い風が吹き付けてくる。
最後は微風になり、最初のような寒くも熱くもない状態に戻った。
空気と接していると思わせないような、繊細で優しく空間が包む。赤ちゃん用オムツのように。
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また暫くすると、食事が挿入された。
【只今より就寝時間になります。良い夢を】
それを聞いた後、意識が遠退いた。
まだ眠くないはずなのに。ぐっすりと。
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何日経っただろう、このまま続けば発狂するか廃人になってしうかもしれない。
本来ならそうなるのだろうが、ならなかった。
そう、メトロノームのせいだ。
彼が脈打つおかげで僕は平常心を保てている。
音。
たったそれだけの刺激が僕を守ってくれた。
考え事をしていると、加速度を感じる。
僕は袋ごと滑ったようだ。
袋越しだが何かとぶつかったことが分かった。人だ。
ここには僕以外にも居たようだ。
もしかしたら健十郎なのか?
そうこうしている内に、股間あたりに誰かの手が当たる。
どうやら自動排泄処理装置が外されたようだ。
間髪入れず、口と鼻に入るチューブが全て抜かれた。
空気を供給していたマスクも外され、僕は誰かに持ち上げられ台に載せらる。
どこかに移動させられるようだ。
その上から何か、恐らく人の入った袋が乗せられる。
重いのでやめて欲しい……。
メトロノームの音はもう聞こえない。
ガタンゴトン。そういう音がしそうな振動が伝わる。
耳栓としての効果のあるイヤホンからでは音がよくわからない。
すると再び持ち上げられ僕は何処かに放り投げられた。ゴミを捨てるかのように。
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何分待っただろうか? メトロノームが聞こえないせいか、不安が募る。
そんな思いを抱いていると、袋が開けられ、拘束は解かれた。
耳、口、目の順に外され、最後に手足が自由になる。
久しぶりの光は眩しく、弱い光の蛍光灯にすら手を翳してしまった。
目が慣れるとそこには沢山の人が居たが、それどころではなかった。
隣で開封された袋の中には健十郎が居たのだ。
『恐怖のレニングラード・メトロノーム』
1941年、ナチス軍が872日間占領したレニングラードで、鳴り響いたメトロノーム。
生き延びた人は、絶望的な孤立状況に取り残され、人との接触や日常生活からの隔離状態は日に日に悪化していった。次第に大勢は、死にゆく静寂の都市を満たすメトロノームの音に縋るようになる。レニングラード・メトロノームは、大過がない時はゆっくりと、大過がある時は早くなった。その音は、自分以外にも居る事を思い出させ、独りではないと事を教えてくれる。




