家庭教師
昼はサンサンと熱い……。
「ただいまー」
帰ったらお母さんが出迎えてくれた。
「おかえりなさい。今日はどうだった?」
「んー面談があったせいで校長の長話が無かったくらいかな?」
「面談があったのね……」
予想外というような顔をしている。僕もそうだったが、それ以上に深刻そうだ。
「何か聞かれた?」
「お母さんのこと聞かれたかな。そういやサイコンって何?先生が聞いて欲しいって言ってたんだけど」
更に驚いたような仕草をする。だが流石お母さんだ。上品の一言。
「そうよね、今の時代どうしてもそうなるわよね。それに彼とは……」
少し間ができてしまった。
「何かあったの?」
不安げに問いかける。
「いや何でもないわ。再婚っていうのはね、もう一度結婚することよ」
何かを振り払うように答えてくれた。
「結婚すると何か良いことあるの?」
「飛鳥にはお父さんが出来るわね。あとは兄弟ができるかもしれない」
「えー、新しいお父さんは別にいらないよ。兄弟も沢山いたら良いかっていうと、そうでもないと思う」
そういうと。ふふふといった感じで頭を撫でられた。
僕には血の繋がったお母さんと今は亡きお父さんが居るから、それ以外と暮らすつもりは毛頭ない。
「他に何か聞かれた?」
「国語について聞かれた。それで違和感があるって言ったらそういうものだって言われたよ」
再び間ができた。さっきよりも長い間が。
床の何処かを見つめている。
大丈夫?と視線を遮るように手を振ると漸く戻ってきた。
「そう……。あまり国語の中身の感想は言わないようにしなさい。碌な事がないわ」
お母さんの顔は少し悲しそうだった。何かを思い出しているかのようだ。
「うん。今日の昼ごはんは何?」
だから僕は話を逸らしてしまった。
「簡単にできるチャーハンにしたわ」
「やったー!」
台所には市販の物と混ぜた簡単なチャーハンが置いてあった。
いつも通り食べ盛りの僕には大盛りで。
『こんにちわー』
食べ始めたと時を同じにして、もう絵里が来てしまった。絵里は家が近いのみならず、早食い・大食い・雑食という食の3冠を制す。にしても早すぎだろう……。
「あ、ゴクン。今食べてる。ちょっと待ってて」
『上がらせてもらいまーす』
待っててって言ったのに、絵里はズカズカと上がってくる。
「はいはーい」
お母さんもお母さんだ。不用心すぎる。
「何、またグリーンピース避けてるの?」
上がって来ていきなりこれだ。もう勘弁して欲しい。
「え、だって美味しくないもん……」
緑で食感も嫌いだが、何より味が無理。甘党の僕には苦いと感じるには十分なのだ。
「そんなんじゃ何時までたっても大きくならないよ?」
「今だって成長してる」
背筋を伸ばし、伸びてるぞと主張するのだが、
「その成長が止まるかもね」
伸ばした背筋を抑えこまれる。
「牛乳飲むから平気だもん!」
コップを取ってホラーっと……空だ。おっと、牛乳は冷蔵庫の中だった。
「栄養はバランスだって先生も言ってたよ」
「ぐっ……」
相変わらずしつこいし、反論できない…。
「絵里ちゃんは賢いわね。将来は偉い人になるのかな?」
お母さんは絵里の方を撫でた。信じられない。僕には?
「んなわけないじゃん」
妬みをぶつける。
「抜けてる飛鳥にだけは言われたくない」
「ごちそうさま」
かき込むように食べきってしまった。
「グリーンピースは次こそ食べようね」
「はーい」
お母さんは無理強いしないのだ。
「おばさん優しすぎ」
当然。僕のお母さんは世界一やさしいんだから!
「で、何するの?家何もないよ?」
そう、家には全然遊び道具がない。
赤ちゃん用の物くらいはあるのだが、それで遊ぶのは無理がある。
「知ってる」
そう言うと、何故か国語の教科書を取り出してきた。
「飛鳥さ。国語全然ダメだったでしょ?教えてあげる」
「うげー。遊ぶんじゃないの?」
あからさまに嫌そうな顔を向けるが……。
「そうね、ちょうどいいから教えてもらったら?」
追加攻撃がやって来た。まさかのお母さんからだった。
「ほーら、おばさんも飛鳥の国語の成績心配してるんだよ」
確かに心配そうにしてはいたが……。
「余計なこと言うなよ……」
「諦めて行くよ」
絵里に無理やり腕を引かれる。
「ふぇー……」
抵抗むなしく連れて行かれた。
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僕の部屋はシンプルで、良く言えば真面目だろうか。
暇な時は筋トレなどをしているので、そういう類のものは少しはあるのだが。
「で、何処をするの?」
「何処が苦手なの?」
寧ろ聞き返された。
「苦手なんて無いよ。全部同じくらいだもん」
「じゃあ全部苦手なのね」
絵里は努力の滲み出ている自分の教科書を広げ何かを探し始める。
「なんでそうなるの」
「5年生の分やるよ。読んで」
どうやらページを探していたようだ。
「読んで理解できるならもう出来てると思うんだけど?」
「いいから」
絵里が少し笑っている。背筋に少し寒さを感じた。
「……ほーい」
僕は、新品同然の綺麗な教科書を開き読み始める。
『02巻(老衰)』
コウジ君には、優しくて大好きなお爺さんとお婆さんが居ました。
お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行っていました。
長年酷使したため、お爺さんは腰を痛め、お婆さんは足を痛めていました。
年を取ると更に全身が衰えるため、そのまま老後を過ごし始めました。
次第にお爺さんとお婆さんは歩行困難から寝たきりになり、介護が必要になりました。
介護が必要なので自宅介護か介護施設に入る必要がありましたが、介護施設への入居にはお金がかかるため自宅介護をすることにしました。
次は介護士を雇うか自分たちで介護をするかということになりました。
金銭的な問題のため、自分たちで介護をするかということになりました。
排泄物は垂れ流されるためオムツは定期的に変える必要がありました。
更に、体を洗ってあげたり、食事をさせてあげたりと様々な重労働が必要になりました。
「はい、問題です」
読んでいると、教科書を引っ張られた。破るなよ?
「ちょっと待って。そもそも介護施設って何?」
言葉がまずわからない。今まで放置したから理解できてないのだろうけど。
サボっていたのがバレてしまうだろうか?
「え、まずそこからなの?」
ですよねー……。
「いいじゃん、わからないんだもん」
不貞腐れる。
「介護施設っていうのは、大昔にあった施設で、障害者・高齢者・病人の生活支援をする施設のことよ」
「へー。なんで今はないの?」
興味が有るように装う。
「簡単よ。負担が大きすぎるからよ。かかる人件費や労力が尋常じゃないの」
「人件費って何?」
疑問から疑問が生まれる。
解決する時は来るのだろうか? 来ない気がする。
「ざっくり言えば、働く人に支払われるお金のことよ」
絵里は再び自分の教科書に目をやる。
「じゃあ次の問題ね。お爺さんとお婆さんは何を感じたのでしょうか」
考える気はないが何も言わないのも良くないだろう。
「うーん。嬉しさ半分悲しさ半分?」
「間違ってはないわね。じゃあ、太郎くん達は何を感じたのでしょうか」
間違っては居ないようだった。あってるとは言わない辺りが気になるが。
「大好きだし、沢山一緒にいられて嬉しい?」
自分の祖父母ならば、と連想する。
「そんな人、極少数だわ。変態」
よくわからないが、罵倒されてしまった。
「優しいって言ってよ」
「優柔不断」
「なにそれ、美味しいの?」
冗談抜きで分からないという顔をした。迫真の演技だっただろう。
「はいはい、次読んで」
とぼけてみたが、軽く受け流された……。
お爺さんとお婆さんは、コウジ君達にお世話して貰うことを非常に気にしていました。
それもそのはず、コウジ君達の表情は時間の経過とともに逼迫したものとなっていきました。
一方、お爺さんとお婆さんのお世話に疲れを感じていたコウジ君達は、働けないだけでなく、多大な負担がかかっていました。
そこでお婆さんは優しいお婆さんとしてだけ胸に刻まれるように、尊厳死を選び、ある日突然消えました。
お爺さんはそれでも少しでも長く子どもたちを見ようと介護を受け続けることにしました。
その甲斐あって10年もベッドの上で生きながらえました。
10年にも渡る介護で疲弊したコウジ君とその家族は、お爺さんを殺してしまいました。
それどころか、その死を大喜びしました。
「何か分からない事ある?」
「逼迫が分からない」
単語が得意じゃない。暗記に近いから……。
「追い詰められて、ゆとりがない状態になることよ」
「じゃあ、尊厳死は?」
「人間が人間としての尊厳を保って死に臨むことよ」
「難しいね」
既に疲労感が出てきてしまった。
運動ではこんなことは全く無いんだけどなあ。
「そうね、2年も同じ教科書使うんだから当然かもね」
絵里も難しいとは思っているのかな?
「でも殺しちゃう程なの?」
「好きを上回る事なんていくらでもあるわよ」
それがわからないんだよね……。
「でも大切なら最後まで面倒見るんじゃない?」
「十分面倒見たと思うわよ。
模範解答には、現役世代の負担を減らして、お互い愛を持っている内に別れることが理想と書かれていたわ」
でた、模範解答。それが一番わからアニって言ってるんだけどなぁ……。
「わからないなー。言葉以上に難しい」
僕の考えと全く違う心理構造に困惑する。
「これが理解できないと中学に進級できないよ?」
「あ、覚えるから平気」
平気を装う。うん、動揺はバレていないようだ。
「じゃあどうしたら良かったと思う?」
「全然わからない。でも僕は最後まで仲良くいたい」
率直な気持ちを述べる。
「仲良くいたいからこそお婆さんは自分から居なくなったのよ。
その点お爺さんは可哀想な最後というわけだけど、仕方ない結果よ」
全く理解できないな。うん、無理だ。
「僕にはまだ早いや」
「じゃあ模範解答を書き写そ、1時間位」
「えっ、1時間も?」
驚きの余り、思わず時計を後ろを振り向き、時計を凝視してしまった。
「覚えるんでしょ?そのくらいしないと飛鳥じゃ無理」
絵里は僕の鞄からノートを取り出してくる。
「いや、今日はもういい!外でかけてくる!」
そう言い残して一人で家を飛び出した。
これ以上居ると耐え切れない。
「ちょ、ちょっと」
バタン。
勢い良く玄関を閉め、絵里に追いかけさせない。
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「信じらんない。自分の家に友達置き去りにするとか……」
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はぁ、正直絵里は勉強できるけど頭固いし好きじゃない。
可愛いけど、やっぱり好きになれないなぁ。
ハッキリ言って苦手かも。
公園の方に誰かいるな。あっちで遊んどこっと!




