最後の晩餐【※】
それは銀色に光る刃物だった。
人を刺し殺し、貫くには十分過ぎる程大きい。
だが調理器具では無さそうだ。
そう。
無くなった健十郎の鍵、刃物、催事。
この3つが示すことは1つしかない。
「キャーーーーー」
百合さんの悲鳴だ。
突然の死の危険なのだから当然だろう。
だが問題はそこじゃない。
逃げ切れたとして、これが本当に神隠しの一環なのなら、この国に逃げ場はないということなのだ。
もう一つ問題がある。
哲さんへの影響だ。
百合さんは驚きの余り腰を抜かした。
対照的に絵里は冷静だ。
食器を投げて応戦している。
「哲!こっちを見ろ」
大声だ。でも怒ってはいない。
哲さんの視界にサンタが入らないように、だ。
「いいか?お兄ちゃんの言うことをよく聞け」
「うん」
「俺は絶対にお前からは離れないから、良いと言うまで目を閉じろ。そして両耳を手で塞げ」
「うん」
哲さんは素直に従った。
これで哲さんの問題は先送りできただろう。
サンタの対処法がわからない。
向こうには大型の刃物。こっちには包丁が1本。
逃げること自体は難しくない。1階なのが幸いした。
だが、逃げた場合誰か“ここ”で死ぬのは避けられないだろう。
「私が囮になるから、裕は哲を連れて逃げて」
百合さんは既に立ち上がっていた。流石だ。でも……。
「流石に一人じゃ無理だから、僕も応援する」
「飛鳥が行くなら私も……」
「いや、絵里も逃げて。日記をお願い」
そろそろ食器が無くなりそうだ……。
「でも」
「いいから!」
「わかった」
「痛っ……」
百合さんが食器の破片を踏んでしまったようだ。
その瞬間、サンタの刃物は百合さんの腹部に突き刺さる。
2人が一緒に床に転げ落ちる。
「がはっ……」
痛みの余り、百合さんは口を大きく開け、血を吐く。
そう、吐血だ。
これが肺に刺さっていたりすれば、喀血と言うのだろうが……。
同時に、血飛沫も上がった。血溜まりが出来始め、壁や机には血が飛び散った。
百合さんは刃物を刺されたまま、サンタの下敷きになっている。
僕は百合さんの手から離れた包丁を手に取り、サンタに襲いかかった。
「うりゃああああ」
ぎこちない僕の攻撃は完全に見切られ、包丁は届かなかった。
そればかりか、蹴り飛ばされ、壁にぶち当たり、破片だらけの床に背中から倒れてしまう。
痛い……! 言葉が出ない程に……。
それでも百合さん程ではないだろう。
多分、僕に人を殺す覚悟が足りなかったのだと思う。
百合さんが刺されたのに、だ。
百合さんが絶命してしまえば今度は僕なのに……。
サンタは刺した刃物を引き抜き、更に突き刺す。
「痛い……」
何度も何度も。血溜まりは海のように。喉に血が満たされ咽はするが、発声はしにくそうだ。
刃物には百合さんの綺麗な紅い臓器が引っかかっている。
それは伸び縮みしている内に切れてしまった。
「だ、ず、げ、て……」
目からは涙が零れ落ちている。声
もう発声するのも辛そうだ。意識が飛ばないのは更なる不幸だろう。
「お゛ね゛、がい゛……」
千切れた臓器も飛び散る。
何度も何度も。テーブルはペンキで塗られたように。
僕は痛みの余りなかなか起き上がれなかったが、百合さんの最後の視線と目が合う。
何か言おうとていたが、そのまま息絶えてしまった。
それでもサンタは叩きつけるように刃物を振り下ろし続ける。
何度も何度も。調理された臓器は床に転がる皿の上で、食されるのを待っているかのようだ。
痛みと恐怖と目の前の死で、僕は自暴自棄になってしまった。全身の痛みを忘れる程に。
「うわあああああ」
頬を温かい何かが伝い落ちる。多分涙だったと思う。
絶対殺してやる。
それ程の勢いで。
刺し違えても。
それ程の覚悟で。
だが、尚も刃は届かない。
死んだ百合さんは最早どうでもいいのか、刺さった刃物ごと無視して僕を全力で蹴り飛ばす。
さっきよりも力強く、蹴られた衝撃で内蔵がどうかなったかもしれない。
その勢いで吹き飛ばされるが、今度は壁ではなかったようだ。
角に頭を打ち付け意識が飛びかける。
再び破片の海に、今度は横たわる様に叩きつけられた。
3重の痛みの中で意識が遠退いていく。
消えかかる意識の中で、近づいてくるサンタを見ていた。
幽体離脱したような、俯瞰視点で。
僕は自分の身体から大量の血が流れ出しているのを見ている。
百合さんの血と混ざり合って、今にも波が出来そうだ。
もう痛くはない。
まるで自分の体じゃないようだ。




