防衛機構
終皇79年10月16日 曇
雨は上がったが、もう一雨来ても可怪しくは無さそうだ。
今日も健十郎はよそよそしい。
話しかけても「おう」の一言で受け流されてしまう。
結局、放課後まで殆ど話せなかった。
終礼が終わると健十郎は急いで帰ろうとする。
「ねぇ、健十郎」
「おう」
聞くつもりがないのか、健十郎は早歩きで前を行く。
そのまま玄関まで来てしまった。
「これから一緒に哲さんに会いに行こうよ」
健十郎は無言で靴を履き替えている。
上履きを入れようとした健十郎の前を何かが遮る。
静止するには十分な威力で、絵里の腕が扉を閉めた。
「おい、退けよ」
「飛鳥の言うことをちゃんと聞いて」
「何でお前に一々言われなきゃなんねーんだよ」
バンっ。
再び絵里が健十郎の下駄箱を叩く。
「……わかったよ。で、何なんだ」
「えっとね。一緒に哲さんのところに行って様子見ようよ。
もし起きてたら謝るべきだと思うんだよね」
「デキが悪いからちょっと言っただけじゃねーか」
「いくら嫌だからって、あんなに怖がらせる必要なかったよね?」
「なんでもいいから、行くのよね?」
恐ろしい形相である。
「……ッチ」
半ば強引に行くことになった。
百合さんの言い分を無視して。
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~ナマハゲ説話冒頭より~
ナマハゲは言う。
「悪い子は居ねがー?」と。
悪い子。
それは、社会の役に立たないと、“主”に烙印を押された人のこと。
主。
それは、社会を守る唯一無二の法。
法。
それは絶対に守らなければならないもの。
ナマハゲは法の代弁者。
彼が悪と言えば悪なのである。
疑惑は許されない。かけられたら終わりだから。
不信も許されない。バレたら消え去るから。
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終皇79年X月xx日 光一面、虹1面、時々闇
虹が暖かく包み込む。
そこは白く暖かい空間だ。
何の心配もいらない。
虹のカーテンが守ってくれるから。
だけど、虹の向こうは怖い。
底なしの闇があるから。
触ってはいけない。聞いてはいけない。見てはいけない。
そして、絶対に踏み入れてはいけない。
そう直感する。
そして今日、小さな悪魔が現れた。
「悪い子は居ねがー?」と叫びながら。
彼は近づく。僕に向けて。
彼から逃げる。全力で。
捕まれば死ぬ。自分が。
守らなければ。自分を。
虹のカーテンの近くの足場が崩れ始める。
崩れた先は奈落の底だ。深淵から闇が顔を出す。
虹のカーテンはそれを塞ぐ。
見てはいけない。
そう呟きながら、ヒラヒラと。
彼は尚も迫ってくる。
僕の足では逃げきれない。
怖い……。
足場は崩れ方を変えた。
蛇のように、波打って。
剣のように、真直に。
兄のように、悠然と。
遂に、剣は彼の足を捉えた。
彼は落ちまいと獅噛みつく。
蛇はそれを飲み込み、虹のカーテンが闇ごと覆い隠す。
僕は間一髪だった。
兄は僕を包み込み、不安を忘れさせてくれる。
これでもう大丈夫。
そう一安心し、虹の温もりの中で崩れ落ちた。
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「何だ鍵持ってるんじゃねーか。
自分らだけで来ればいいものを」
「「鍵は関係ないよ(から)」」
今日は部屋から電気が漏れている。
中には百合さんと裕さんと、寝ている哲さんがいた。
裕さんは憔悴していた。
「連れて来たよ」
「あら。ほんとに連れて来たのね」
「何だよ。来て悪いなら帰るよ」
「何も言ってないじゃない」
「それにしてもよく眠ってるね。
寝たほうが記憶に留まるって先生が言ってたよ?」
「それは誤解よ。勉強に関して言えばそうかもしれないわね。
睡眠には2種類あるの。
深く、夢を見ないノンレム睡眠と、
浅く、夢を見るレム睡眠の2つね。
レム睡眠は、出来事をを理して記憶を定着させる性質があるの。
短期記憶を長期記憶に入れる動作ね。
逆にノンレム睡眠は、必要のない記憶を忘れさせる性質があるの。
必要のない記憶、つまり生きる上で弊害となる記憶も含むわ。
例えば、恐怖やトラウマね」
「そうなんだ。じゃあ今こうして寝てる間にも?」
「そう考えるのが妥当ね。
ただ、忘れさせた後、残った記憶を再配置する意味で夢を見ることはあるのよ」
「所で、今日も起きてないんですか?」
「そうみたいよ。裕の状況見れば一目瞭然ね」
「何突っ立ってるの。早く謝りなさいよ」
「……裕兄」
「……」
「昨日はその……俺が悪かった」
「お前、俺に謝るんじゃなくって哲に謝れよな?」
「いや、寝てるし……」
「お前がそうしたんだろ?ぇえ!?」
「……」
「何とか言えよ!」
「……ごめん」
裕さんは健十郎を殴った。
一昨日殴った場所と同じ所を。
そのまま裕さんは泣き崩れてしまった。
健十郎は無言で座ったまま、ばつが悪そうにしている。
「あのー、百合さん。医者に診せた方が良いんじゃないの?」
「それはやめておいた方が良いわ。
病院や学校なんて“国”の直轄じゃない。
診てもらった途端、神隠しに遭うことになるわよ?」
「それ本当なの?」
「ええ。まず間違いないわ」
「世知辛いね……」
「諦めるという手もあるわよ。
その場合、今いる人は問題なく将来を……」
「それは無理かな。何かを捨てるなんて僕には出来ない」
「そう。でも一つだけ気をつけなさい。
抗うということは、共倒れする可能性もあるわよ」
「十分注意するよ」
結構な時間が立っただろうか。
裕さんの泣き声は大分小さくなったように思う。
「う……む……」
「哲!?」
哲さんの声に反応し、裕さんはガバッと顔を上げる。
「んー、あ!おはよお」
「おはよう、哲。自分の名前はわかるか?」
「分かるよ!裕兄は心配症だね」
「「おはよう(!)」」
「飛鳥お兄ちゃんと絵里お姉ちゃんもおはよー。
遭うのは2回目だよね」
ん?既に記憶の欠陥があるように……。
「哲兄。その……この間は俺が悪かった。
ごめん。だから許してくれ」
「裕兄。この人だあれ?」
「「……」」
「え、えーっと。健くんって言って、哲のお友達になりたいんだって」
「そ、そうなんだ。仲良くしてくれないかな?」
「うんわかった!はじめまして、よろしくね!」
「あぁはじめまして……」
その後みんなで遊んだが、哲さんは眠る前とほぼ同じように、裕さんも元気に遊んでいた。
健十郎は「やってしまった……」みたいな表情をしばしば屡々(しばしば)見せた。




