吸血鬼
Ⅰ
「まるでバクった敵と無益な格闘をしている気分だ。おい、修正パッチはまだか?」
「私は二年もそれを待っているわ。けれど、音沙汰無しよ。もう正攻法では倒せないのかも知れないわね」
「正攻法、か」
次々と血液の海から吸血鬼が誕生していく風景を眺めながら、ふと考える。正攻法とは一体なにか、ということを。俺達は今までずっとゲーム時代の攻略法を真似て戦って来た。手を変え品を変え、色々な方法を試した。初めの範囲攻撃もそうだし、その後もそうだ。
けれど、それではダメだった。なら、ゲームの正攻法以外のものが必要になってくる。現実世界の正攻法が必要だ。ゲームに出来ない正攻法、それはなんだ?
つらつらと考えるうちに血の海が消えてなくなり、代わりに吸血鬼の人波が立つ。
「血の海、血の障壁……怪姫月」
「なに?」
「……戦法を変える。時間が無いから手短に話すぞ」
思い付いた攻略法を、怪姫月に話した。頭に思い描いたことを、寸分違わず。
「……正直、目から鱗だわ。人間、追い詰められると、かくも視野が狭くなるのね」
「やってくれるか?」
「もちろん、可能性があるなら何でも試すわよ」
「よし、なら行くぞ。上手く行くことを祈ってろ」
手短に話を終わらせ、打って出る。
途中までの戦法は同じだ。先ず天井まで跳び上がり、怪姫月が地上を焼き払う。炎が鎮火すると共に地上に降りて、吸血鬼を斬り伏せながら突き進む。そうしてオリジンにまで辿り着いたなら、全力で速攻を仕掛ける。
一合、二合、三合と、断続的に響く剣戟の音。甲高く鳴る、銀と赤の交わり合い。十以上も繰り返した攻防は、身体がはっきりと覚えている。血剣での攻撃を、身を低くすることで躱し、立ち上がり様に銀剣を振り上げる。
掬い上げるように弧を描いた刃が、吸血鬼の血剣をその手首ごと刎ね飛ばした。
「七、六、五」
獲物を失い、無防備になった所へと銀剣を叩き込む。
「四、三、二」
顔を、首を、腕を、胸を、腹を、足を、怒濤の如く斬り裂いた六連撃。大ダメージを受けたオリジンの体力は急激に削り取られ、最後の一撃、七撃目を持ってちょうど帳尻があうようになる。
「一!」
剣先がオリジンの鳩尾を貫く。
その瞬間、体力が一定以下になったことで、血の障壁が発動した。
「怪姫月!」
そう叫んだと同時に、すべてが停止した。
凍る。凍る。世界が、時間が、凍結する。この廃倉庫の内側だけが、世界から切り離されたように、凍てついた。叫んだ名前は合図の代わりだ。俺の声が、引金だった。その合図が耳に届いた刹那、怪姫月は範囲魔法を発動した。炎の魔法ではない、氷の魔法を。
「実に、盲点だったわ。こんな横紙破りな正攻法があったなんてね」
怪姫月はゆっくりと真っ赤な氷の上を歩く。
「俺もお前も大マヌケだったって訳だ」
足先から腰までの下半身が丸ごと凍てついたヴァンパイア・オリジンから、銀剣を引き抜く。同時に、血と一緒に凍てついた足の自由も確保する。凍結の直前、障壁に使われた血の量だけ足下から減っていたので、両足の救出は実に容易いものだった。
「俺達は口では此処が現実だと言いながら、この異常な現状をゲーム的に捉えすぎていた。ゲームで出来ないことは、現実でも出来ないものと思い込んでいた」
現実世界がゲームに浸食された影響は、自分達が思うより、ずっと重いのかも知れない。
度重なるキャラクター化、それによって生じる現実離れした身体能力に加え、モンスターとの戦闘。これらを今までずっと続けていた。三年間も、この異常を受け入れていた。だから、現実世界に居ながら現実から乖離し、思考をゲームに縛られる。
例えば、これがただゲームだったなら、氷の範囲魔法を発動した所で足下の血は凍らない。ただその上を氷のエフェクトが走るだけだ。でも、現実は違う。血は、液体は、冷やせば凍る。血液が凍結すれば、もうオリジンが回復することはない。
「まったく、お笑いだぜ。この歳になって、ゲームと現実の区別も付かないなんてな」
「現実と虚構の混同視。それが最大の敵だったって訳ね」
「この教訓を今後に生かさないとな。現実は現実だ。ゲームみたいにモーションの縛りはないし、破壊不可のオブジェクトもない。液体は凍るし、蒸発もする。ゲームの都合で物理現象の無視は起こりえない」
一歩一歩踏みしめるようにして真っ赤な氷原を渡り、怪姫月が俺の隣にまでやって来る。二年間もの間、苦しめ続けて来た仇敵の前に、ついに怪姫月は辿り着いた。
「さて、形勢逆転だ。今なら蝿が止まるような鈍い攻撃でも素直に通るぜ。どうしたい?」
鋭い牙を剥き出しにし、その紅い瞳でオリジンは俺達を睨んでいる。
攻撃手段は一つを残して総てを断った。利き手を刎ね飛ばされ、もう片方の腕も負傷で機能を停止している。下半身は凍って動かない。その状態から繰り出せる攻撃は、せいぜい噛み付くことくらい。
そして、そうと分かっている以上、俺達がそれを食らうことは先ずない。
「そうね、まずは寝かせて貰えるかしら?」
「了解」
真一文字を書くように、吸血鬼の両足を血の氷ごと切断する。
支えを失ってバランスの狂った身体は、がしゃりと硝子の割れる音を数段低くしたような音が鳴ならして倒れ込む。それがヴァンパイア・オリジンに告げられる、最後の音となった。
「二年間、本当に長かった。けれど、それもこれで終わり。あとたった一撃で、すべてにケリが付く」
怪姫月は片膝をついた。銀剣で貫かれた際にできた真新しい傷の上を圧迫するように、のし掛かるように、吸血鬼の上で片膝をつく。これでもうヴァンパイア・オリジンは起き上がれない、冷たく赤い氷原に縫い付けられる。
「吸血鬼の殺し方は色々とあるけれど、オリジンにはその殆どが通用しない。日光を浴びても灰にならない。炎浴びても消滅しない。銀の弾丸で貫いても、きっと殺せない。だから、殺すならこれしかないと常々思っていたわ」
怪姫月の両手には、二つのアイテムが握られていた。
一つは杭、それは手の平に収まり切らないほど大きく太い。一つは金槌、それは怪姫月の苦しみを体現するかのように無骨で禍々しい。その二つを携えて、怪姫月はいま終演を告げようとしていた。
「杭は心臓の真上に、振り下ろす時は正確に、一発で仕留める。殺すためには、必ず一回で終わらせる必要がある。二回打つと、吸血鬼は蘇ってしまうから」
誰に告げるでもなく、一つ一つ手順を確認するように言葉は零れ続けた。
「沙世。今、あなたの仇を討つわ」
そして、鉄槌が下る。
二年間の苦しみが、友を失った痛みが、この一撃に総て込められている。天に掲げるようにして振り上げられた金槌は、総ての思いを乗せて振り下ろされた。その一撃を持って、終止符が打たれる。二年間にわたる怪姫月の戦いが、今此処でようやく終わった。
「……終わったな」
廃倉庫の地面を覆っていた血の氷が、少しずつ存在を無くしている。薄く、薄く、透明に、透明に、実体を霞みのようにして雲散霧消していく。それは紛れもなく、ヴァンパイア・オリジンの死を現していた。
「えぇ、終わったわ。やっと、終わった」
怪姫月は天井を見上げ、そう呟いた。二年間に及ぶ痛みと苦しみの日々が、ようやく終わりを告げた。今、彼女は何を思い、何を考えているのだろう。過去か、未来か、現在か、俺には想像も付かないことだが、きっととても良いことだ。そうに違いない。
「ん? おい、それ」
「え?」
「お前の足下だ。ストレージが落ちてる」
怪姫月の足下に、黒い色をした機械の筺が落ちていた。
それはストレージ・オブ・ロストワールドのストーリーにおいて、俺達プレイヤーが追い求めていた記憶装置だ。俺達はこれを集めることにより、ストーリーの進展は勿論のこと、特別なスキルを習得することも出来た。
ヴァンパイア・オリジンを殺したことによって、ストレージがドロップしたみたいだ。
「戦利品だ、そいつはお前が使いな。きっと良いスキルが手に入る」
「いいの? 私が使っても」
「あぁ、オリジンを殺したのはお前だ。なら、怪姫月が使うのが道理ってもんだろ」
そう言ってやると、怪姫月はストレージを拾い上げ、指先で触れた。すると黒の筺は蒼白い光の線を、その四面に幾重にも走らせる。それが起動の合図であり、筺は線をなぞるように崩壊した。
「どんなスキルだった?」
結果は、すでに出ている筈だ。
「……〝真実の赤〟吸血鬼の能力を少しだけ得ることが出来る、ですって」
「皮肉が効いてるな。どうする? 捨てちまうか? それ」
「……それはこのスキルの性能次第ね。優秀なら使うし、そうでなければ使わない。それだけのことよ」
「そうか」
友人を本当の死に追いやった吸血鬼の能力だ。それを使うことに抵抗はあるだろうし、思うところがない訳じゃあないだろう。たぶん、使う機会が訪れるのは、怪姫月自身の心に整理が付いて吹っ切れた時になる。それが何時になるかは、誰にも分からない。
「本当に……終わったのね」
「あぁ、終わったよ」
廃倉庫から吸血鬼の痕跡が潰える。すべて存在をなくし、消滅した。もう此処に血の氷はないし、ヴァンパイア・オリジンの亡骸も存在しない。ただただ広がるセメントの地面ばかりが目に入った。
「一つ、言いたいことがあるのよ」
「なんだ?」
怪姫月は氷が溶けたように、言った。
「ありがとう」
瞳からこぼれ落ちた雫が頬を伝う。しかし、その表情に悲しみはない。怪姫月は泣きながら、笑っていた。安堵したように、安心したように、笑顔を綻ばせていた。俺は初めて見る彼女の表情に少し驚いて、こう返した。
「どう致しまして」