血の海
吸血鬼達の接近は、ミニマップによって把握していた。
だから、不意を突かれることもなかったし、天井付近にある窓の割れる音にも驚きはしなかった。続々とこの広い廃倉庫の内部に吸血鬼達が降りたつ。その中に一体だけデザインの違う吸血鬼がいるのを、俺は見逃さなかった。
その容姿は美しく、艶めかしい男の姿を形作っていた。怪しく光る紅い瞳、不気味なほどに白い肌、口元から垣間見える鋭く尖った牙。それぞれの特徴はまさに吸血鬼と言ったところだ。服装も漆黒のローブで、他の吸血鬼と変わらない。
だが、それでも奴が親玉だと確信するほど、身に纏う雰囲気が禍々しい。悪魔ってモノが本当にいるなら、きっとこいつを見たときと同じ気分がするのだろう。無意識に、そう思う。
「あいつが、ヴァンパイア・オリジンか」
「えぇ、そうよ。私が二年間も戦って倒せなかった吸血鬼」
「腕が鳴るね、まったくよ」
携えた銀の剣で空を斬り、一歩前へと踏み出す。
「それじゃ、手筈通りにな」
一度、振り返って怪姫月にそう言い、俺は吸血鬼の一群に向かって走り出す。それに対応する形で、吸血鬼達も一斉にこちらへと進軍を開始する。人間と吸血鬼、両方が接触するのに時間は掛からず、数秒と経たずして互いが互いの間合いへと足を踏み入れる。
そして、俺は跳躍した。跳び上がり、天井の鉄骨に手を掛ける。
「怪姫月!」
「了解」
直後、倉庫内が火の海に包まれる。範囲内にいる敵を燃やす尽くす範囲魔法が発動し、術者である怪姫月を除いた、地上にいる総ての者に濁流となった炎が押し寄せた。モンスターに満遍なく均一に、炎のダメージが与えられ、体力が削られる。
「よし、俺の出番だ」
炎が勢いをなくして鎮火すると共に、俺は天井の鉄骨から手を離す。
重力に引っ張られるがまま、地上へと落ち。着地点付近にいた吸血鬼に銀剣を振り下ろし、頭の天辺から股下まで一刀両断する。二つに裂けた吸血鬼が消滅するのを待つことなく、俺はオリジンに爪先を向けて敵中を駆け抜けた。
すでに炎によってダメージを受けた吸血鬼はたやすく消滅し、邪魔者を一刀の下に斬り伏せながら突き進む。そして意図も簡単に、オリジンにまで辿り着く。これまで駆け抜けてきた勢いを剣に乗せて一閃を描き、斬りかかる。
だが、それは甲高い金属音と共に、防がれた。
「流石は人型、剣の扱いもお手の物か」
まるで血に塗れているかのような、真っ赤な刀身の剣。血剣。漆黒のローブから出てきたそれは縦の軌道を通り、繰り出した横薙ぎの一閃を受け止めた。交わり続ける赤と銀、剣を介しての力比べは、互角と言ったところだった。
とはいえ、いつまでも膠着している訳にはいかない。俺が切り開いた血路はすでに吸血鬼達に埋め尽くされつつある。斬り伏せて消滅させた分、また新たな新品の吸血鬼が現れるだろう。なんとしてでもオリジンにダメージを与えなくてはならない。
腕力は互角、一進も一退もしそうにない。だから、力の逃げ道を用意した。
鍔迫り合いの最中、地面と水平を保っていた銀剣の剣先を下げ、刀身を斜めに構える。力が拮抗しているなら、受け流してやれば良い。銀剣をレールに見立て、血剣を滑らせれば、血に濡れたような刃は俺を避けて地面に落ちる。
刃と刃が火花を散らし、血剣は銀剣の刀身を滑り落ちてセメントの地面を浅く抉る。それを見計らい、血剣の剣先に靴底を叩き付けた。そうして踏みつけることで、血剣を一瞬だけ固定する。一瞬だけ、獲物の自由を剥奪した。
「こいつは防げないだろ」
袈裟斬りに銀剣を振るい、深い傷をその身体に刻み込む。オリジンは堪らず獲物を手放し、大きく後退しようとした。だが、それを安易に許すほど甘くない。畳みかけるように次々と攻撃を仕掛け、何度もその不死身を刻んでいく。
そして、もう何度目かになる、銀が吸血鬼の肉を斬り裂いた時、それは起こった。
「なん、だ……これは?」
形を失った。オリジンの周囲にいた総ての吸血鬼が、一斉に形を無くして液状化した。それは大量の血液となってセメントの地面を満たし、一瞬にして血の池地獄を作り上げる。見渡す限りの赤、朱、紅。そのおぞましい光景に、身体が硬直する。それが仇となると、分かっていながら。
「攻撃の手を休めないで」
背後から俺を追い越すように、怪姫月が現れる。
銀の剣先を向け、一点を目がけて突きを放つ。けれど、それは直前で阻まれてしまう。オリジンに、ではない。攻撃を阻んだのは、血液のように赤く禍々しい障壁だ。それはオリジンを包み込むような球状となり、俺達と吸血鬼を遮断した。
「こいつがお前の言っていた血の障壁か」
ばしゃばしゃと音を立てながら怪姫月の向かい側に移動し、障壁を壊しにかかる。
「そう。これを壊さない限り攻撃が届かない。しかも、これに籠もっている時間だけ、オリジンは体力を回復するわ。この周りにある血を消費してね」
「厄介だな。手間かけさせやがって、この悪趣味な引きこもりめッ!」
球状の血の障壁は、地面に満ちた血液を吸い上げていた。
そうして内側を血液で満たし、オリジンは回復している。プレイヤーでいうなら、夥しい量のエリクサーがそこら中にある状態だ。こんな吸血鬼を相手にしていたとなれば、そりゃ二年の歳月を掛けても倒せないはずだ。
こんなものと一人で戦うなんて無謀にも程がある。
「もうすこしッ」
幾度となく攻撃を加え、血の障壁に亀裂を生じさせる。生まれた傷から内部の血液が流れ始めた。あともう一息、剣を握る手に力を入れ直し、亀裂をなぞるように剣を打ち付ける。その甲斐あって障壁は耐久力を越えた攻撃に屈し、崩壊する。
「離れてッ」
そして、崩壊と共に砕け散った障壁の破片が、鋭利な棘となって放たれ、四方を無差別に突き穿つ。空中を、血の海を、壁を、天井を、セメントを、貫く。それを事前に知っていた俺達は、崩壊の確認と同時に後退した。
「チッ、事前に聞いちゃいたが、所見で避けられるような攻撃じゃあねーな、これ」
損傷は軽微だ。棘の幾つかが、身体を掠めたり、浅く刺したりしただけ。体力もまだまだ残っている。
だが、それは向こうも同じことだ。回復したぶん、体力は相当残っているに違いない。一連の行動でいったいどれほどダメージを与えられた? 一割か? それとも二割か? プラスマイナスゼロ、という可能性だって有り得ない訳じゃあない。
「途方もねーな、おい」
改めて、こんな相手と二年ものあいだ戦い抜いた怪姫月を尊敬する。
「で、血はまた吸血鬼になる、と。減らした数も補充されているな」
俺が特攻して斬り裂いた吸血鬼と、怪姫月が後方から魔法で燃やした吸血鬼。合わせればざっと三割ほどは削ったはずだ。なのに、一向に数が減った気がしない。振り出しに戻った訳だ。無限ループに片足を突っ込んでいる気分になる。
「言ったでしょう? 不死身かも知れないって」
「嫌に信憑性を帯びて来た言葉だな、それ」
本当にヴァンパイア・オリジンというモンスターが不死身なら、即刻、怪姫月を連れて逃げ出したいところだ。けれど、まだその判断を下す時じゃあない。それは遠くない未来の話だ。
「まぁ、でも、現時点でそれを言うのは無しだ。そう言うのは、あいつを一回でも殺してからだ。まぁ、出来れば言って欲しくはない言葉だがな」
「同感ね。それじゃあ、リトライと行きましょうか。この先何度も繰り返す、一連の流れをもう一度」
それから先、俺達は何度も同じ手順を繰り返した。吸血鬼を焼き払い、吸血鬼を切り払い、ヴァンパイア・オリジンにダメージを与え、血の障壁を壊し、棘の回避のため後退を強いられ、振り出しに戻る。
何度も何度も、焼き直しを見るように同じ事を繰り返す。
「流石に……心が折れそうだ。今はいったい何回目だ」
「さぁ、ね。十から先は……数えてないわ」
それほど何度も同じことを繰り返しているのに、打開策がまるで見付からない。当然と言えば当然の話だ。怪姫月が二年戦っても分からないことが、この数時間で分かる筈もない。
「あなたから分けて貰ったアイテムも、もう底を尽きそう」
「奇遇だな、俺も持ち合わせの分がなくなりつつある。これはいよいよ、逃走を考える時期かもな」
回復アイテムの消費を考えると、試行回数はあと一度か二度が限度。それ以上になると、逃走のためのアイテムが足りなくなる。これだけは決して手を付けてはならないものだ。手を付けたが最後、待っているのは明確な死だけ。
次に目覚めたとき精神が正常でいられる保証も、自信もない。