毒を食らわば
Ⅰ
「ふー……」
予想通り、俺達はモンスターの群れから逃れることが出来た。今現在においては手頃な倉庫を見付け、その中に避難している。倉庫の中身は閑散としていて、寂れている。使われなくなって久しいみたいだ。廃棄されて長い間、放置されていた倉庫と言った所か。
「一応、しばらくは安全だな。今のうちに回復しておけよ」
壁にもたれ掛かった怪姫月は、しかし何もする気配がない。
「どうした?」
「……別に」
体力の残りは少ないはずなんだがな。
「なんだ、なんだ。ケチってんのか?」
「うるさいわね。私の勝手でしょう」
そうは言うものの、やはり不自然に見える。
消費をケチって自然回復で済まそうとしている? だが、それには後何時間かかかる微々たるものだ。一時的に脱しているとは言え、この危機的状況でその選択をするような奴は、プレイヤーの中にはいないと思うんだが、はてさて。
「……もしかして尽きてるのか? 回復手段」
「……」
返事は、ない。
「まったくもう」
インベントリの中からアイテムを一つ思い浮かべ、手の平にそれを出現させる。
そうして具現化し、怪姫月に投げ渡したのは高品質エリクサーだ。高純度なもので体力を全回復させてくれる。ちなみに単純にエリクサーとだけ表記してあるものは、中身が水で薄められているという設定である。
「出血大サービスだ。四年に一度あるかないかだぞ、こんなの」
「……施しは受けないわ」
「良いから使えって。意地張ってんじゃあねーぞ、面倒臭い奴だな。まともに動ける体力まで回復して貰わなくちゃあこっちが困るんだ。それは施しじゃあなくて、仕様がないから身を削った結果なんだよ。分かったらさっさと回復しろ」
そう捲し立ててやると、怪姫月はしぶしぶだがエリクサーを使った。
これでまたモンスターの大群が現れても、直ぐに対処に動くことが出来る。
「……あなたって、生きづらそうね」
「どう言う意味だ? そりゃ」
「まるで正義の味方だって言っているのよ。理由はどうであれ、あなたは困っている人を見捨てられない。見ず知らずの私を助けるほどにね。だから、さぞかし大変な日常を送っているのだと思ったのよ」
「ふーん。まぁ、五十点って所だな」
そう言ってやると、彼女は首を傾げた。
「なに不思議そうな顔をしてんだよ。俺が恵まれない子供のために、わざわざ自分の金を募金するような善良な人間に見えるのか? 見えて居るなら一度、目玉を取り出して綺麗に洗ったほうがいいぜ」
立っているのも面倒になって、地べたに座り込む。
「助ける助けないの基準は、俺の心に尾を引くモノが有るか否かだ。それ以上でも以下でもない。正義の味方なんて下らなくて面倒臭いもん、誰がやるかってんだ。俺は大きすぎる声に耳を塞ぐし、小さすぎる声は聞かなかったことにする男だ。俺が耳を傾けるのは、手を伸ばせば届く距離にある中くらいの声だけだよ」
仕様がないと割り切れるモノは心に尾を引かない。また、放って置いても時期に解決するモノも尾を引かない。だから、助けない。心に尾を引くのは、自分になら助けられそうだと思ったモノを前に、救済を実行に移さなかった時だ。だから、助ける。
こんな正義の味方がいて堪る物か。だから、五十点なんだ。いや、そもそも点数すら貰えないかもな。
「さ、お次はお前の番だ」
「え?」
「何のために俺が長ったらしい自分語りを聞かせたと思ってるんだ。お前に話をさせるためだよ。ほら、諦めてとっと話せ。いま陥っているこの状況はいったいどんなモノで、どんな始まりだったのかをな」
「……勝手に話をして、それ?」
「成り行きとはいえ、こっちはお前が発生させたイベントに巻き込まれたんだ。事の詳細を明確に知る権利くらいあると思うんだがな」
そう言ってやると、怪姫月は深い溜息を吐いた。そして一秒、二秒と沈黙し、その重い口をゆっくりと開く。
「今の状況が発生したのは、約二年ほど前になるわ」
「待て、二年前だって? お前、二年間もああやって吸血鬼に襲われてたのか?」
「そうよ。二年間ずっと私は吸血鬼たちと戦って来た。戦わなかった日はなかったわ。日曜日も、祝日も、ゴールデンウィークも、御盆も、クリスマスも、大晦日も、お正月も、ずっとね」
どれほど、いったいどれほど壮絶な二年間を、怪姫月は過ごして来たのだろう。学校内にまで侵入して怪姫月を追い回すような襲撃イベントだ。普通じゃあない。きっと、所構わず、怪姫月に襲いかかっただろう。
四六時中、気を張っている気分はどんなものだ? 一年中、休み無く戦う気分はどんなものだ? 常に死の恐怖と隣り合わせである気分は、いったいどんなものだ。
想像を絶する、二年間だっただろう。俺は今更になって、事の重大さを思い知った。
「同情なんてしないでね。反吐が出るわ」
「……あぁ」
「話の筋を戻すわね」
淡々と、冷静に、冷徹に、怪姫月は話を続ける。
「二年前、私には一人の友達がいた。ストレージ・オブ・ロストワールドのプレイヤー同士、いつも私達はこの現実世界で一緒に戦っていたわ。そんなある日のことよ。いつも通り、協力してモンスターを倒していると、まだ日の高い時間帯なのに一体の吸血鬼が現れた。その吸血鬼の名前は、ヴァンパイア・オリジン」
「オリジン……起源、根源――始祖ってことか」
「そう。太陽の下を歩き、流水を渡り、建物に侵入し、炎を浴び、十字架を踏みつける、あらゆる弱点が付属される前の根源的な吸血鬼。唯一、強いて弱点を見出すなら、それは銀よ。所詮は微々たる弱点だけれどね」
だから、怪姫月は装備を銀で固めているのか。銀の剣、銀の防具。吸血鬼に特化した、吸血鬼だけを敵として想定した選択。その他のモンスターを度外視した、吸血殺しの銀装備。それでも尚、そこまでして尚、二年間も怪姫月は、諸悪の根源を排除できずにいる。
「私達は初めて見る吸血鬼の始祖を警戒しつつも、応戦したわ。そして、ものの見事に……返り討ちにあった。それからよ、ずっと始祖やその手下達に追い回されるようになったのは。何かの拍子にイベント発生条件を満たしてしまったのでしょうね」
吸血鬼の始祖、その手下達。その手下達も弱くはあるが、始祖なのだろう。故に、吸血鬼に数多ある弱点が通用せず、招かれなくとも建物に侵入できる。鍵の開いた入り口さえあれば、襲撃はたやすい。
「……事の経緯は理解したよ。正直、聞くんじゃあなかったって思ってる」
想定していた重量を遥かに超える話の重さだった。
「自分から聞き出しておいて、随分失礼な人ね」
「根が正直なもんでな。でも、聞いちまったものは仕様がない。ついでに、もう一つ質問してもいいか?」
「どうぞ、気の済むまで質問すれば良いじゃない」
怪姫月はもう投げやりになっていた。
「なら、質問だ。お前の言っていた友達ってのは、今どこで何をしているんだ?」
このイベントは、怪姫月とその友達が発生させたものだ。なら、二人は平等に吸血鬼達の標的になっているはず。しかし、俺が遭遇した二度の襲撃に、その友達とやらの姿はなかった。そこが少し、気になった。
「……その質問、答えを聞いたら後悔するわよ」
「そう返されると聞きたくなくなるんだが、生憎もう後悔はしているんだ。中途半端なままで終わると、ふと気になって夜も眠れなくなるしな。毒を食らわば皿までって奴だ」
「人の話を毒扱いするつもり?」
「揚げ足とってんじゃあねーよ」
とっとと喋れと催促すると、怪姫月は仕方なく口を開いた。とても、重い口を。
「死んだわ。彼女は、二度死んだ」
二度、死んだ。その言葉だけで、俺は話の全貌を理解した。
「あなた、死んだ事ってある?」
「あぁ。三年もこんなこと続けてりゃ、そりゃあ死ぬことくらいあるさ」
「なら、分かるでしょう? 私の友達がどうなったのか」
「あぁ、嫌ってほどな」
二度、死んだ。一度目は恐らく吸血鬼に、そして二度目は自分に、殺された。
自分を殺す。自殺。怪姫月の友達は、そうして命を絶った。
「聞かなきゃ良かった」
ばたりと、セメントで固められた冷たい地面に背中から落ちる。
「だから言ったでしょう。後悔するって」
「あぁ、さっきからずっと後悔しっぱなしだ」
生きとし生けるものすべてが平等に、いつか与えられる終わり。死は、誰にでも訪れる。けれど、ゲームにおける死は随分と軽い扱いだ。
例え操作キャラクターの体力が尽きても、すぐにセーブした地点からやり直しが出来る。プレイヤーに少しの煩わしさを与える以外には、なんの影響もなしに。
だが、今は違う。現実世界にゲームが浸食した今、キャラクター化したプレイヤーの死はリアルな感覚となって襲いかかってくる。決して、二度と、絶対に、味わいたくないと思うほどに、それは強烈なものだ。
下手をすれば、精神を壊されかねないほどに。
「真っ暗が怖かったんだ。暗いのが怖くて、瞼を閉じることが出来なかった。部屋の明かりは常に付けていたし、当然、眠ることも恐怖だった。必死に睡魔と戦って、やがて限界がくると気絶するように意識を失った。無意識的な眠りから目覚めたとき、まだ生きていることを神に感謝したくらいだ。あの頃の心の支えは、つけっぱなしのテレビから流れてくる、芸人の下らないリアクション芸だったよ」
本当に、二度は経験したくない。
回避できるのなら、どんな面倒なことでも喜んでやる。そうこの俺が思うくらいには、キャラクター化においての死は重いものだった。現実世界の死は、重いものだった。
「私の時も似たようなものだったわ。そして、彼女はそれに耐えられなかった」
「なんて後味の悪い話だ、まったくよ」
なんとなく、理解したことがある。怪姫月が、やけに突っ慳貪としていた理由だ。
吸血鬼達によって友人を殺され、今度は友人自身が自分を殺してしまった。その経験は怪姫月の心に深い傷を残したはずだ。トラウマ。友人が自殺したというトラウマが出来上がり、怪姫月はそれが繰り返されるのを恐れている。
故に、あの突き放すような態度を怪姫月はとっていた。誰も自分に近寄らせなければ、少なくとも吸血鬼の始祖は自分だけを狙い続ける。そう考え、助けも同情も、すべてを拒んだ。
本当は誰よりも救いを求めているはずなのに、差し伸べられた手を払うことしか出来なかったって訳だ。あの時、屋上で感じた怪姫月の得体の知れない何かも、それに起因するものだったんだろう。
「さっきから黙っているけれど、何を考えているのかしら」
「どうやったらこの件から、体よく無関係になれるか考えてる」
「……私が言うのもなんだけれど、それってかなり最低なことよね」
「あぁ、言っただろ。俺は善人じゃあないんだ」
天井を見上げたまま、思考の渦に陥る。
「いつもそうなんだ。逃げ出したい衝動が生まれてから、逃げ出すまでの口実にいつも頭を悩ませる。でも、現実はそう甘くない。そうやって出した答えに納得した例しがないんだ。必ず後悔って名前のナイフが俺の背中を刺しやがる」
ああしておけば良かった、こうしておけば良かったの応酬だ。そうなったらもうお手上げ、至福の時は台無しになって一日中不調になる。顔を洗いに洗面所に行くと、この世の終わりみたいな顔をした自分が鏡に映っているのが恒例だ。
「面倒臭い人」
「耳が痛いな」
面倒だ、面倒だと、口癖のように言ってきた俺が、一番自分の面倒臭さを知っている。
「でさ、怪姫月」
「なによ」
「逃げ出すいい口実が思い付かないから、俺はお前に協力することにするよ。一緒に吸血鬼達を倒して、このイベントを終わらせよう」
その提案を聞いた怪姫月は、目を丸くした。
「……面倒臭いのは嫌いなのでしょう?」
「あぁ、嫌いだ。親の敵みたいに嫌ってる。だが、至福の時と同じ天秤に掛けた時、そいつは驚くほど軽くなる。なんてことはない、欲しい物のためなら頑張れるって話だ」
最初は興味本位で話を聞いて、不意に毒を食らわされ、ならば皿までと呑み込んだ。だから、最後まで関わることにする。喉を通った毒と皿を綺麗に消化するには、それしかない。消化不良を起こして苦しむのは御免だ。
「幸い、相手はモンスター。どんなに難易度の高い相手でも、プレイヤーに倒せないモンスターは居ないんだ。少なくともストレージ・オブ・ロストワールドにはな」
「正気を疑うわね。ゲームの常識なんて通用しないのよ。ここは現実世界なんだから。あいつは……本当に不死身かも知れない。また返り討ちにある可能性のほうがずっと高いわ。それに、死――」
「死なねーよ。俺だってもう死ぬのは御免だ。だから、危なくなったら何が何でも逃げさせて貰う。お前を連れてな」
「……あなたって本当に……馬鹿な人ね」
そして、俺達は逃げるのを止めた。逃げるのを止めて、迎え撃った。吸血鬼の始祖とその手下達を、この廃倉庫で。