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交戦


「此処だな」


 仮面で顔を隠しつつ音源に近付き、戦闘音は今までにないほど近くで鳴り響いている。

 俺は屋根の上からこっそりと下をのぞき見た。そうして視界に写り込んだのは、幾度となく剣を振るい攻め立てる男の姿と、それを何とか防ぎつつ防御に徹している劣勢な女性の姿だった。


「あぁ……くっそ、面倒だ」


 実力の差は明らかだ。男のほうが遥かに強い。女性のほうに反撃の一つも許さず、ずっと攻勢を続けている。対人戦の経験は然程ないが、それでも見ただけで女性に勝ち目がないのは明らかだ。


「おい!」


 大きめの声を出して、二人に俺の存在を知らしめる。

 その甲斐あって、男の手が止まった。畳みかけるような攻撃が途切れ、これを好機と見た女性は、その隙をついてこの場から逃げだそうと男に背を向ける。俺を警戒してのことか、男はそれを追おうとはしなかった。

 ただ、屋根の上にいる俺だけをじっと見ている。


「……あの女の仲間か」

「いいや、仲間って訳じゃあない。ただ悲鳴が聞こえたんでな。何事かと思って来てみたんだ」


 月を隠していた雲が夜風に流れ、月明かりが男を照らし出す。

 純白の髪、紅い瞳。その特徴は、明らかに日本人のそれではない。どこか異国の異邦人。夜に紛れるような黒い衣服を身に纏う男は、その紅い双眸で俺の姿を写していた。

 外国人。外国人のプレイヤーは初めて見る。日本語を流暢に喋っているから、意思の疎通は問題ない。だが、どうしてこの外国人が、あの女性を襲っていた? 例のPK集団に、外国人がいるなんて情報は聞いたことがない。

 いや、だが情報源は攻略サイトだ。ネットである。ネットに書かれた情報が総て正確である保証はない。PK集団の中に外国人が紛れていても、可笑しいことは何もないんだ。


「悲鳴につられて来た。……ただの野次馬か」


 そう誰に言うでもなく呟いた外国人は俺から視線を逸らす。そうして次に目を向けたのは、今まさに女性が逃げていった方向だ。飽くまでも狙いは女性と言う訳だ。こっちに敵意が向かないのは良いことだが、黙って見ている訳にも行かない。


「まぁ、待てよ。お茶でも飲んで話をしようじゃあないか」


 屋根から飛び降りて、男の進路上に降り立つ。月明かりが照らす場所から、影が落ちる場所へと移動した。


「……茶を飲む気があるのなら、仮面を外したらどうだ」

「悪いが、そいつは出来ない相談だ」

「そうか。なら、押し通させてもらおう」


 直後、俺の視線は上へと向かった。いや、向かわされた。

 奴は投げたのだ。その手に握っていた剣を。それに視線を釘付けにされ、俺は奴の思惑通りに上を向いてしまった。無意識的に、強制的に、俺は奴から視線を逸らしてしまった。


「〝最も身近な恐怖(ナイトメア)〟」


 正面から何かが飛んで来る。スキルによって精製された何かが来る。上を向いて、本来なら死角になり得ない正面が見えない以上、俺に分かるのはその程度のことだけだった。

 今から視線を下げたのでは遅すぎる。今更、それを視界に納めた所で間に合わない。瞬時にそう判断を下して、倒れ込むように左側へと転がるように回避行動を取った。

 飛来した何かは、俺の頬を掠めていく。


「危なかっ――」


 咄嗟に出た言葉を最後まで言い切る余裕もない。何かを避けたかと思えば、今度は奴自身が肉薄していた。間合いに捉えられ、振るわれた剣は月光を浴びて鈍色に輝いている。

 回避した矢先のことだ。膝も地面に付いている。出来ることは限られていた。剣が自身にまで到達する刹那、手は剣の柄に伸びる。掴んだと同時に抜刀し、鈍色の剣を受け止めた。


「……手強いな」

「そいつはどうもッ」


 力任せに剣を振り上げ、攻撃を弾く。同時に立ち上がり、剣を返して続けざまに攻撃を仕掛ける。だが、これは空振りに終わった。鈍色の剣を弾いたと共に、奴は俺から距離を取ったからだ。


「これでは、どうだ」


 奴は身体の正面を向けて後退しつつ、またスキルを発動する。

 その時、俺は初めてその全貌を正確に目視した。恐ろしく、禍々しい、常闇のような黒。一瞬、影が水面のように揺らいだかと思えば、それは形を自在に変えて槍となり地面から突き出てくる。


「ぐぅッ」


 咄嗟に身を反らしたお陰で、大事にはならずには済んだ。だが、代わり身体の至る所を槍が掠め、更に悪いことに足の甲を貫かれる。足から上ってくる痛みと共に、自分の中で命の残量が減少したのが感覚的に理解できた。激痛に脳を焼かれそうになる。

 だが、痛みに耐えて歯を食いしばっている時間はない。すでに、第二波が来ている。足を固定されて身動きが取れない所へ、影が形を変えて襲ってくる。


「くそったれッ」


 成すべき事は分かっていた。三年もの間、モンスターと戦っていたから、こう言った状況での対処法は身にしみて理解していた。答えは、単純にして明快。肉を斬らせてでも骨を守る、だ。

 頭にアイテムを思い浮かべ、手の平に具現化する。

 手にしたのは名称の後ろに粗悪品とついた手榴弾。安全装置の概念すらなく、ただ叩き付けるだけで起爆するそれを足下へと投げ付けた。地面とそれが接触した瞬間、その名に違わず即座に爆発した手榴弾は爆風を撒き散らし、俺の身体ごと周囲に生えた影の槍を粉砕する。


「くそッ、割に合わねぇ。割に合わねぇぞ、おい!」


 起爆した手榴弾によって自分にもダメージが入る。だが、あのまま拘束され続け、雨霰のように降り注ぐ影を浴びるよりも遥かに損傷は軽微だ。お陰で道も開かれ、俺は追撃を食らうことなく逃げ果せ、影から月明かりの下へと脱出する。

 けれど、まだ気は抜けない。奴はまだそこにいる。舞い上がる砂煙を払い除け、視界に納めた奴に肉薄するため地面を蹴る。それを見た奴は、また後退しようとしたが、毎度毎度同じような手は食わない。


「〝縦横無尽フックショット〟」


 スキル発動と共に、先端にフックのついたチェーンが射出される。このスキルは本来、移動手段として使われる物だが、敵に照準を向けて射出してやれば攻撃判定となる。これを飛ばし、今まさに後退しようとしていた奴の右腕を貫いた。

 鎖は張り詰めている。これ以上の後退は、もう不可能だ。


「悪いが、そこから後ろにも行かせられない。特に、そこの影なんかにはな」

「……すでに見抜かれている、ということか」


 奴のスキルは十中八九、この月明かりの下では使い物にならない能力だ。

 でなければ、現状こうして奴と睨み合いを続けることなど出来ない。俺のすぐ後ろには影がある。そこからスキルを発動すれば、俺は回避行動に移らざるを得ない。その隙をつくことも、奴にとっては容易いことだ。

 だが、そうしない。そう出来ない理由がある。恐らく、光を浴びると効果が消えるか、薄れてしまう。こんな月の光でさえも、だ。けれど、それは逆を言えば新月や月食の夜ならば、奴は無敵と言うこと。今日がそうでなくて良かったと、心から思う。


「スキルはもう使えない。利き腕も貫いた。もうお前に出来ることは何もない。そうして大人しくしていろ。そうすればこれ以上、何もしない」

「それは、出来ない相談だな。お前と同じだ」


 どうしてもあの女性を襲うのを止めたくないらしい。

 此処まで追い込んだのに、まだ殺人欲求が萎えないとはな。逃げる時間を稼ぐくらいなら、そう思っての行動だったが失敗だった。後悔先に立たず、嫌になるな、まったく。本当に、割に合わない。


「後ろに引けぬなら、前を向いて進むだけだ」


 携えた剣を左手に持ち替え、奴は肉薄する。俺もそれを迎え撃つため、同じように月明かりの下を駆けた。左手から伸びた鎖は、急速にその長さを縮めていく。互いに一歩、近付く度に、俺達は離れられなくなっていった。

 そして、互いに互いの間合いへと踏み込んだ。

 交わる剣と剣。鈍色に輝く刃が火花を散らしてぶつかり合い、甲高い金属音を鳴らす。奴の技量は相当なものだ。片腕が使えずとも、利き手でなくとも、その剣の冴えは健在だ。一合、二合と剣を打ち合うたびに、それが伝わってくる。

 至近距離での剣戟の応酬は続く。だが、それも長くはなく、決着の時はくる。

 一際、鈍い音を立てて、鈍色の剣が宙を舞う。奴の左手にも、右手にも、もう得物はない。剣は弾かれ、その手元から去った。武器もなく、盾もなく、ただ空手となった奴に振り下ろすは、この戦いにおける最後の一太刀。


「このッ、探求者めッ」


 奴は叫びを上げ、腰に隠し持っていたナイフを握る。

 この戦いは、今此処に終結した。

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