訪問者
Ⅰ
「しかし、粘るな。あいつら、もう昼休みも半分終わったぞ」
キャラクター化を解いた状態で、俺は声を潜めてそう言った。
弁当を平らげ、再度弁当箱を包み終わる頃になっても、まだ部室の前には多くの生徒が屯している。普通、此処まで誰も来なければ、もう昼休み中には来ないと判断すると思うのだけれど。執念深いと言うか、なんと言うかだ。
「こりゃ、放課後が怖いな」
「流石に、居留守は使えないでしょうね」
「一応、幾つかあいつらを欺く方法はあるんだが、ああも粘られるとな。いつまでも部室の中でひそひそ話は面倒臭い。常に扉の外を警戒しなくちゃあならないのは、ホラーゲームやってる時だけで十分だ」
腰掛けていたベッドに身を預けて、天井を視界に写す。蛍光灯はまだ寿命が尽きて濁ったままだ。新しい物に取り替えるのは、放課後になってあの迷惑な集団を、どうにかして蹴散らしてからにしよう。
果たして、そんな気力が残っているかどうか怪しい所だけれど。
「まぁ、上手くやるさ」
その後、校内に予鈴が響き渡るまで、俺達は部室で束の間の安息を得ていた。結局のところ、予鈴がなるまで部室の前から人の気配が消えず、あの集団は最後の最後まで諦めなかったみたいだ。ここまで来ると、執念や粘着質な何かを感じてくる。
いつの世も、恐ろしいのは人間だと言うことだ。
そうして、来る放課後。部室に赴くとさっそく扉の前で屯していた集団に、記入済みの入部届を叩き付けられた。そのことに俺は溜息を吐きつつ、一人一人に対して面接染みたことをし、その総てを不採用とした。
「不採用の理由を言えって? そりゃあ此処が寝具研究部だからだよ。お前ら揃いも揃って、寝具のことに関しての知識がまるで無いじゃあないか。そんな奴をこの同好会に入部させて、俺達になんの得があるって言うんだ?」
そう言った旨の話をし、お引き取り願った。
本当のことを言えば、単純に騒がしい奴を招き入れたくなかったからなのだけれど。そう正直に言うと、また有らぬ誤解を生みそうなので無難な建前を述べた次第だ。
「あー……どっと疲れた」
「お疲れ様、大変だったわね」
「あぁ、人数が多すぎるんだよな、まったく。入部届もこんなに置いて行きやがって」
テーブルの上には、生徒達が持って帰らなかった入部届の束が鎮座している。その厚みを見ていると今日一日の疲れが再来しそうで、直ぐに視線を逸らした。
「その入部届の束、捨てるのは勿体ないわね」
「なら、メモ用紙にでも使えばいいさ。でなきゃ、ペットに山羊を飼ってる奴にくれてやればいい」
「山羊は紙を食べると言うけれど、こう言う市販の紙を食べるとお腹を壊すのよ」
「へぇー。そいつは知らなかった」
特に披露する場面の無さそうな無駄知識を一つ覚えた所で、学校の下校時間がやってくる。安らぎの場所として存在する部活にいて、ちっとも安らげずに辿る帰り道は、いつもより長いように思えてならなかった。
とは言え、初日の不採用ラッシュが思いの外、生徒達に影響を及ぼしたようで、二日目からはかなり落ち着いた。入部届の束も日を追う事に厚みを無くし、一週間が過ぎる頃にはゼロになっていた。
「やっと静かになったな」
「えぇ、そうね。頑張った甲斐があったわね」
「あぁ、ようやく安らげる場所って感じになってきた」
ベッドに寝転がり、久々の平穏を噛み締める。
そう、これが本来あるべき姿なのだ。誰にも邪魔されず、静かな部室で、思う存分に羽根を伸ばす。元々の目的を、たったいま果たすことが出来た。感無量だ。怪姫月がいるから行動には移さないけれど、鼻歌でも一つ歌ってみたい良い気分だ。
しかして、その良い気分は、勢いよく開け放たれた扉の音によって何処かに吹き飛んでしまうのだった。
「生徒会の者だ。失礼するよ」
扉を開け放ったのは、生徒会を名乗る何人かの生徒だった。
奴等はそれがさも当然であるかのように、土足で、踏み荒らすように、この部室に足を踏み入れる。我が物顔で、この部室に侵入した。
「僕達はこの同好会について幾つか質問が――」
「すまないが、扉を開けるところからやり直してくれないか」
ベッドから起き上がり、突然の訪問者の言葉を遮るように、俺は強い口調でそう言った。
「なに?」
「聞こえなかったのか? ノックぐらいしろっつってんだよ」
とても不快な気分だ。不愉快でならない。
この世には我慢ならないことが多すぎる。そのうちの一つが、至福の時を台無しにされることだ。今まさに平穏を噛み締めていた所なのに、ノックの一つもせず、不粋に扉を開け放すなど論外だ。有り得ない。
「いいか? 知らないようだから教えてやる。ノック二回なら、早く出ろ。ノック三回なら、よう来たぜ。ノック四回なら、失礼します。ノック五回なら、ぶっ殺すだ。分かったらさっさとやり直すか、生徒会室に引き返してくれないか」
そう親切に教えてやると、生徒会の奴等はくすくすと笑い。それを孕ませながら、馬鹿にしたように、嘲笑するように、言葉を返してきた。
「高がその程度のことで、どうして僕達がそんな手間を掛けなければならないんだ?」
「高がその程度のことすら、満足に出来てないから言っているんだよ。お前らは生徒会で、仮にも生徒のお手本だ。部室に入る前に扉を四回叩くくらい造作もない。その筈なんだ。それとも何か? お前ら全員、手首でも骨折してるのか?」
そう言ってやると、生徒会を名乗る生徒達は渋々ながら部室の外に出た。俺を睨み付けたり、面白くなさそうな顔をしたり、怪姫月をチラ見したり、おおよそ礼儀正しいとは言えない態度だったけれど、それはまぁ良しとしよう。
そうして扉を叩く音が四回ほど響く。
「生徒会の者だが、部室に入ってもよろしいかな」
その声は若干の怒気を孕んでいた。
「えぇ、もちろんです。どうぞお入り下さい」
対して、俺は努めて穏やかな口調でそう言った。
部室の内側で怪姫月が小さく笑い、部室の外側で生徒会の誰かが舌打ちをしたのが聞こえたが、聞かなかったことにしよう。いちいち反応していたら切りがない。延々と時間が無為に消費されるのはよろしくない。
「ご用件は?」
荒い足音をさせながら、ぞろぞろと入ってきた生徒会の連中に問いかける。
「幾つかこの部活について質問したいことがあって来た」
複数いる生徒会の人間の中から、代表者が一歩前に出てそう言ったかと思うと、今度は部室全体をぐるりと見渡し、イスに行儀良く座って本を読んでいる怪姫月に目がとまる。
「……この同好会には、部員が二名しかいないようだね」
「それが何か?」
「惚けないで欲しいな。知っている筈だよ、暗黙のルールって奴を」
やっぱり、そこを突いてくるか。
「困るんだよね。里中先生をどう懐柔したのかは知らないけれど、勝手にこう言うことされると色んな所から不満が出るんだ。どうしてあっちは良くて、自分達はダメなのかってね」
暗黙のルールは暗黙のルールだ。正当なモノではないし、守る義務もない。無視をした所で、なにか罰則がある訳でも当然ない。だが、破ればそれだけ人目に付き、色んな所に不満を抱かせる。いい顔はされない。
「それは大変ですね、頑張って下さい、応援しますよ」
「……なるほど、飽くまでもそう言う態度でいる訳か」
「えぇ、知ったことじゃあ有りませんから」
俺達は学校が定めている規則に従っている。暗黙のルールは破っているが、正当な規則を破った覚えはない。周りがどんなに思おうが、規則を守っている以上、文句を言われる筋合いはない。
「君たちが私的にこの部室を使用し、不純異性交遊をしているという噂が立っているが――」
「事実無根です。根も葉もない噂って奴ですよ。面白可笑しく言っているだけで、誰も心から信じてはいません。信じるのは騙されやすいとても純粋な人か、そうであると思い込みたい人だけだ。そうは思いませんか、えーっと?」
「……岡崎だ」
「岡崎さん」
代表者の名前を聞き出した。苗字しか分からないが、それだけで十分だ。
「たしかに、そうかも知れない。……ところで、同好会には部費が出ない筈だが、このベッドやテーブルはどうしたんだい?」
「全部、知人からの頂き物です」
「新品を?」
「えぇ」
ここで正直に買ったと言うのは望ましくない。
この学校は基本的に学生のバイトを認めていないから、資金源がかなり限られる。この寝具一式が、親からもらうお小遣いで買える金額じゃあないのは誰から見ても明白だ。貯金があるだとか別の理由を答えることは出来るが、とにかく買ったというワードは、この状況で言ってはならない禁句になる。
必ず資金源について突っ込まれ、厄介な疑惑を生むことになるからだ。
だから、多少は不自然になるが知人に貰ったことにした。金絡みの疑惑を抱かせるくらいなら、こう思わせておいたほうが面倒が少なくて済む。
「ちなみに、誰からの頂き物なんだい?」
「それを聞いてなんになるんです? ただの好奇心なら、プライベートなことなので深く立ち入らないで下さい」
「……そうか、分かったよ」
個人的なことに首を突っ込むな、というのはある意味、最強の防壁だ。こうして言って置けば非常識という言葉を盾に、すべての質問を跳ね返すことが出来る。俺は呪文のように唱えているだけでいい。それだけで相手は何も聞けなくなる。
「だが、生徒会にも立場ってものがある。君たちは良くて、他の人達がダメな明確な理由って奴が必要なんだ。そうでないと他の生徒達が納得しない」
「それはあなた方、生徒会が処理するべき問題なのでは?」
「おいおい、不満の原因を作っておいて問題はすべて生徒会に丸投げなんて、あんまりじゃあないか? せめて打開案の一つや二つ、だして欲しいものだね」
「……分かりました。打開案を出せば良いんですね?」
視線を岡崎さんから怪姫月に向ける。
「怪姫月。すまないが、俺の鞄を取ってくれ」
「これね、はい」
手渡された鞄を受け取って中から、とある三冊のノートを取り出し、それを岡崎さんに渡した。
「これは?」
「この同好会が始まってから書き始めた研究ノートですよ。枕や布団が違えば、睡眠にも影響が出る。もちろん、環境や精神状態の違いでも。そのノートにはここ一週間分のデータと、俺個人が調べた寝具の種類や寝心地についての情報が書いてあります。ざっと、ノート三冊分ほどね」
これは今後も増えていく予定だ。
「……たしかに、びっしりと書いてある。これをたった一週間で埋めたのか?」
「えぇ、もちろん。この同好会の目的は、寝具の研究にありますからね」
同好会として存続し続けるには、それなりの成果を報告しなければならない。そう屋上で怪姫月から知らされた時から、こんな風な状況になることは予想が付いていた。だから、予め用意しておいたのだ、転ばぬ先の杖を。
「これを他の不満だと言っている人達に見せれば、自然と大人しくなるでしょう。それでもまだ不満を言うのなら、同じ事をして見ろと言えば良い。そうすれば本気の情熱がない人達は諦めるに違いありません」
「……考えにくいが、もし一週間でノート三冊分のデータと情報を書く生徒達が現れた場合は?」
「同好会として認めてやれば良いんじゃあないですかね? そこまでしたのなら、心動かされる先生も出て来るでしょうし。どの道、この打開策は俺の一案です。採用するも、その辺の問題をどうするかも、決めるのは俺じゃあなくて生徒会だ。そうでしょう?」
それからしばらく、沈黙が続いた。岡崎さんはノートのページを捲りながら、口元に手を置いて考え込んでいる。その後ろの生徒会の人達は、何やら小声で口々に何かを言っているようだ。
そうして五分の時が経つ。
「よし、決めた。君の案を採用しよう。このノートは一時、僕が預かっても構わないね?」
「きちんと返してくれるなら、どうぞ、ご自由に。その間のデータと情報は、あまった紙の裏にでも書き留めて起きますから」
ちょうど、大量に入部届が余っていた所だ。
これを使えば、ただ捨てるよりも役に立つはずだ。
「そうか、邪魔をしたね。この辺で僕達は帰るとするよ」
「良いんですか? 副会長」
「良いんだ。帰るぞ」
そう言って生徒会の人達は、部室から出て行った。
俺はそれを快く見送ると部室の扉を閉め、すぐにベッドへ飛び込んだ。とにかく、疲れた。肉体的な疲労はないが、精神的な疲労で身体がついて行かない。もうしばらくは、自分の足で歩くこともしたくない。
「ねぇ、迅」
「んー?」
「あなたって本当に面倒臭がり屋なの?」
なにを急に。
「私も私で、こう言うことに色々と対策を練っていたけれど。口を挟む間もなく、あなたが撃退してしまったわ。正直、あなたからあんなノートが三冊も出て来るなんて、思いもしなかった」
「あぁ、それでか」
「そう。本当に面倒臭がり屋なら、あんな真似は出来ないでしょう?」
確かに、その疑問はもっともだ。
「そいつは考え方の違いだな」
「考え方の違い?」
「俺は、面倒を回避するためなら面倒を厭わない。大きな面倒を小さな面倒で回避できるなら、それに超したことはないって話だ。結局のところ、こう言う生き方が一番、面倒がなくていい」
たったの三冊、ノートを埋めるだけで同好会存続の危機を脱せられる。労力に似合う成果は、きちんと目に見える形で出た。お陰で、俺は同好会の危機に頭を悩ませることなく、こうしてベッドに横たわれている。
「小さな面倒、ね。一週間でノート三冊分のデータと情報を書き込むことが」
怪姫月は納得がいかないようで、難しい顔をしていた。
「……すこし、あなたのことを理解できたわ」
そう言った怪姫月の表情は、元の端正なものに変わっていた。
「あなたって、有能な怠け者なのね」
有能な怠け者。
「それは褒めているのか? それとも貶しているのか?」
「さぁね」
惚けたように言った怪姫月は、手元の本に視線を落とした。
本を読むという行動は、だから話しかけるなということを暗に周囲に伝える術だ。どうやら、もう取り合ってはくれないらしい。流石は二年間も周りを拒絶してきただけあって、会話からの逃走が上手い。
ならば、事の追究はしないでおこう。無駄な労力は使いたくない。
そう思い、天井が写る視界を黒で塗り潰すため、俺は瞼をゆっくりと閉じた。
「すいませーん、誰かいますかー、入ってもよろしいでしょうかー」
しかし、その瞼は直後に持ち上げることになる。




