仮想と現実
Ⅰ
オフラインオープンワールドRPG『ストレージ・オブ・ロストワールド』
文明という文明が滅びた後の世界を舞台に、失われた記憶装置、ストレージを追い求め、世界の真相を解き明かすというストーリーの家庭、PC用ゲームソフトであるこの作品は、俺達が実際に生きて生活する現実世界を浸食した。ひっそりと、である。
事の始まりは、ストレージ・オブ・ロストワールドのオンライン化だった。
あの作り込まれた広大なオープンワールドフィールドで、他のプレイヤーと共に遊べる。それだけで既存のユーザーは期待に胸を膨らませた。そしてオンライン化されたストレージ・オブ・ロストワールドが発売された当日の、まさにゲームを起動した時だ。
現実世界が、ゲームに浸食されていることに気が付いたのは。
Ⅱ
夕刻。一人の女子生徒に出会った。
すでに総ての日程が終了し、放課後を迎えているというのに、その女子生徒は屋上へと続く階段を駆け上っていった。何かに追われるように、逃げるように、上っていった。そして、それに続くように異形の一群を見る。
異形。まさしくそれは人ならざる者達だった。
見るからに、襲われていた。彼女はあの異形の一群から逃げていた。
数は十を超えていたように見える。あれを一人で相手をするのは、骨が折れるだろう。最悪の場合、殺されかねない。危険。今、彼女は命の危険に晒されている。
見なければ良かった。知らなければ良かった。彼女を眼界に収めてさえ居なければ、悠々自適に、家までの帰路につけていた。何時もと変わらない日常を、送れていたはずなのに。
「あぁー……面倒だ」
この事柄に無知で居られたなら、どれだけ良かったことだろう。けれど、見てしまったものは仕様がない。助けない訳には、いかない。
爪先の向きを変え、屋上へと続く階段に向ける。急ぎ足で廊下を抜け、階段を一段飛ばしに駆け上がった。そうして最後の階段を上り切り、開けっ放しの屋上扉を見る。閉める暇もなかったみたいだ。
「ログイン」
床を蹴って屋上扉をくぐり抜けると同時に、俺の身体は作り替えられる。ストレージ・オブ・ロストワールドで制作したゲーム内での代行代弁者、自分自身の分身であるキャラクターの姿へと。
現実世界は、ゲームに浸食されている。それを一番、身近で顕著に感じるのが、この自身のキャラクター化だ。
「数は……十二」
屋上に出て直ぐに、異形の数を把握する。計十二体。十二体の異形の者が、女子生徒を角に追い詰めていた。彼女もキャラクター化しているようだが、善戦はしていないようにみえる。
それにあのデザイン。漆黒のローブを纏う人型モンスター。似たようなデザインの敵は居るが、あいつらはそのどれとも違う。たぶん、新種。戦闘能力やレベルは未知数だ。
戦況を理解すると共に、右手に携えた剣を握り直して、異形の一群に特攻を仕掛ける。
敵を間合いの中に捕えると、携えた剣を薙ぎ払う。剣先は地面と水平に軌跡を描き、複数の敵をほぼ同時に斬り裂いた。瞬間、剣を通して肉を裂いた感触が手に伝わり、これがゲームではなく、現実世界なのだと言うことを思い知らされる。
これに慣れるのには、少々時間がかかった。
「不意打ちでも一撃じゃあ倒せないか」
斬り裂いた敵は消滅することなく、牙を剥いた。
体力が高いのか。防御が高いのか。そもそも物理攻撃に耐性があるのか。考えられる可能性を脳内に並べつつ、こちらに注意を向けた敵を女子生徒から引き離すため、一度後退して距離を取る。
釣られたのはちょうど半分ほど、計六体。そして、こいつらの正体も少し読めて来た。種族は恐らく吸血鬼。この敵の攻撃モーションは殴るでも蹴るでもなく、噛み付くだ。大口を開けて、背後の俺に噛み付こうとした。その際に、鋭い牙も確認している。
夕日とは言え、太陽の下で平気にしている所が不自然だが、そのつもりで行動するとしよう。
「銀の弾丸も木の杭もないが、殺して死なない相手じゃあないだろ」
ゲームはそう言う風に出来ている。
「キシャァァァァァアアッ!」
努めて冷静に、奇声を上げて襲い来る吸血鬼達に対して適切な対応を取る。
剣を構え、一番早く間合いに入ってきた奴を袈裟斬りにし、剣を返して斬り上げると共に二番手の吸血鬼を攻撃する。一番手、二番手ともに、その攻撃で体力が尽きて消滅した。だが、続く三番手は攻撃を加えても消滅せず、その牙をもって攻撃を続行する。
「そんなに血を吸いたきゃ蚊にでも生まれ変われッ」
手の平に爆発物のアイテムを具現化させ、それを大口を開けた吸血鬼に突っ込んだ。口いっぱいに爆薬を頬張ったそいつの腹部を蹴り飛ばし、その直後には時間経過によってアイテムが破裂する。
「んんん」
顔面が吹き飛んで消滅する三番手を横目に、残りの吸血鬼達を警戒した。
不意打ちで大ダメージを与えた吸血鬼は、もう一撃食えてやれば体力が尽きる。これまでの経験から大まかなダメージを計算して予想を立ててみると、無傷の吸血鬼は通常攻撃を三回ほど加えないと倒せない。
不意打ちで大ダメージを与えた吸血鬼はあと一体、無傷の吸血鬼があと二体。どうにかなりそうだ。
「とりあえず、ちゃっちゃと終わらせるか」
剣を握り直し、今度はこちらから攻撃を仕掛ける。
一番近くにいた吸血鬼に肉薄して一太刀を加え、続けざまに二の太刀、三の太刀を叩き込む。合計三撃の攻撃が通り、吸血鬼の体力はゼロとなる。消滅していくそれを横目に確認しつつ、次の標的に目を付けた。
その時には既に、二体目は攻撃モーションを取っていた。牙を剥き出しにし、獣のような顔をして、こちらに襲いかかって来ている。
ならばと、そいつのお留守な足下に足払いを掛けた。草刈り鎌のように地を這った足は、二体目の吸血鬼をたやすく刈り取り、転ばせる。仰向けになって地面に背中を打ち付けた所へ追い打ちを掛けるように、鳩尾へと剣を突き立てた。
だが、それではまだ体力が尽きない。
なので、そのまま顔面まで切り払った。鳩尾から頭の天辺まで、剣を振り抜いた。そうして顔面が真っ二つになった吸血鬼は、体力が尽きて消滅する。
これで二体倒した。残るは、あと一体。
直ぐさま後方に剣を投げる。
投擲となって空を渡ったそれは、その剣先で最後の吸血鬼の頭を貫いた。ぐらりと揺れて身を崩した吸血鬼は、音もなく塵となって消滅する。支えを失った剣が、からんと音を立てて倒れた。
「ふー」
剣を拾い上げて女子生徒のほうを見ると、あちらもあちらで掃討を終えていた。
これで殲滅は完了したのだから、彼女の安全も一応は保証されたと見ていいだろう。関わりは此処で断ち切れた。もうお節介をする必要もない。これで気兼ねなく帰路につける。このまま帰るとしよう。
「ログアウト」
キャラクター化を解き、実際の身体に戻ると、そのまま屋上を後にしようと歩き始める。
「ねぇ」
だが、それは叶わず、呼び止められる。
「誰の許可を得て、私を助けたりしたのかしら?」
後ろを振り返った時、俺は剣を突き付けられていた。
細かな装飾が施された銀の剣。その剣先が、目と鼻の先で止まっている。あと数ミリでも動かせば、この身に触れてしまいそうなほどに近い。なぜ、剣を突き付けられなければならないのか、さっぱり分からなかった。
彼女の言葉から察するに、助けられたことが気に食わないみたいだが。
「止せよ、面倒臭い。キャラクター化している間は、生身の人間を傷付けられない。そう言うルールだろうが」
キャラクター化している間は、ゲームのルールに従わなくてはならない。当然のように犯罪や猥褻行為は出来ないし、しようとしても見えない障壁に阻まれる形で実行に移せなくなる。これは絶対に犯すことの出来ない世界のルールだ。
それに傷付けられないと分かっていても、剣を突き付けられるのは良い気分がしない。
「質問に答えなさいよ」
「なんだ? 助けられたのが気に食わないのか? なら安心しろ、別に恩に着せるつもりは――」
そこまで言葉を発したところで、それは強制的に遮られる。鉄板を鉄の棒で叩いたような酷く五月蠅い音が、耳元で鳴り響いたからだ。音源は見えない障壁と、銀色の剣。この女子生徒は俺を黙らせるためだけに、俺に斬りかかっていた。
「普通、生身の人間に向かって斬りかかるか? 出来ないと分かっていても」
「質問に答えないのが悪いのよ。子供の頃お母さんに言われなかったかしら? 人の話はきちんと聞きましょうって」
顔色一つ変えることなく、彼女はそう言ってのける。
恐ろしい女もいたもんだ。まったく、正気を疑うね。
「分かった。助けた理由だっけ? まぁ、簡単に言えば、後味の良くないモノを自分の中に残したくないからだよ」
そう言うと、彼女は怪訝そうな顔をした。
「どう言う意味かしら?」
「そのままの意味だ。モンスターに負われている女が目の前を横切ったんだ。その上、自分にはそいつらに対抗する力がある。その状況で何もせず帰宅してみろ、後々になってそれは後悔とか罪悪感っていう厄介なものに化けやがる」
振り下ろされたままの銀色の剣を鬱陶しく思いながら、言葉を続ける。
「俺は根っからの面倒臭がりでな。極力、面倒事を避けて通りたいと常々思っている」
「なら、どうして助けたの」
「まぁ、聞けよ。そんな性格をしているもんだから、家で寝たり、何もせずにぼーっとしたりが好きなんだ。そいつは至福の時と言っても良い。だが、それを満喫している最中に、だ。後悔だの罪悪感だのに苛まれて、気分が台無しになるのが嫌なんだ。だからお前に加勢した。これはただの自己満足だ」
正直、早くもこの状況が面倒臭くなって来ている。気分はすでに帰宅モード。直ぐにでも帰路に付きたいところだ。ゆえに、嘘偽り無く自分がどう言う人間であるかを話した。これで納得できないなら、もう何を話した所で無駄だ。キャラクター化して無理矢理にでも逃げた方がいい。
「……そう。とりあえず、あなたがどう言った人間なのかは理解したわ。つまり今回のようなことは、今後起こりえないということね」
「ああ、お前が俺の前に現れなきゃな」
「もう良いわ。帰ってもらって結構よ。私に関わらないのなら、それでいい」
そう言って剣を収めた彼女は、跳躍してフェンスの上に着地する。ここは屋上。少しでもバランスを崩せば、グラウンドまで真っ逆様だというのに剛胆な奴だ。例えキャラクター化である程度の安全性を確保出来ていたとしても、進んでしたくなる行為じゃあない。
「あぁ、そうだ。一応、念のため名前を教えておいてくれるかしら?」
なにが念のためなのか。
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗る。そうお母さんに教わらなかったのか?」
ちょっとした意趣返し。
「……怪姫月、夕」
「そうか。俺は大上迅だ」
俺の名前を聞くと、もう用はないと怪姫月夕は屋上から飛び降りた。
キャラクター化している間は、普通の人間には認識されないからいいものの。本当ならとんでもない場面に遭遇したことになる。もう少し見ているこっちを気遣うような、心臓にいい飛び降りかたをしてもらいたいもんだ。
「怪姫月夕、ね」
どことなく、冷たい奴だと思った。背筋が凍るような女だと感じた。例えるなら、氷。
沈んでいく夕焼けを背に、長い黒髪を棚引かせていたからか。彼女に得体の知れない何かを見た。それを明確に説明することは出来ない。言えるのは、深淵を覗き込んだような感覚に、一瞬だけ陥ったということだけだ。
「だぁー……疲れた」
どっと疲れが出た。自分のためとは言え、面倒なことはするもんじゃあない。今日はもうずっとベッドに寝転がっていると決めた。何もしないことが一番、俺にとって安らぎになる。愛しのベッドに会うために、帰宅を頑張るとしよう。