98.夜明け 3
97話投稿時のユニークが初めて100を超えました。最新話のユニークも70を超えていたから、50人近くの人が実際に読んでくれているのかも、と喜んでいます。
この冗長で読みにくい物語を読んで下さってありがとうございます。
評価コメント等いただけると更に舞い上がれます。
いいやつだよね。
恋歌は思う。
高村晋輔はいい奴だ。
この社会に君臨する武士階級でありながら、遊女や郭の若衆に驕り高ぶることもない。自分の損得には関係ないはずの遊女のために、命を懸けて奔走してくれる。
いい奴だと思う。
本当は、それで済ませては申し訳ないくらい。
痛みに呻く高村晋輔の足の傷を洗い、汚れぬように布を巻く。傷口の上でやや強く縛る。足を完全に縛ってしまうわけにはいかないから、どうしても中途半端な処置にはなるが、医者でもない恋歌にはこのくらいしかできなかった。
それでも、高村晋輔はその処置を見て文句は言わなかった。
「ありがとう」
と彼は頭を下げる。深く。
一介の遊女に対して。
いい奴だと思う。
考えてみれば、最初からこの若侍は異質だった。
仇を追って江戸からはるばる長崎まで来た。
敵討ちの名乗りを上げ、無防備な仇にわざわざ刀まで渡す生真面目さ。
そこまで覚悟を決めて乗り込んでおきながら、偶然そこに居合わせた遊女が人質にされるとまったく手を出せなくなった。おかげで当の仇を鬼に殺され、あげくに仇は不死身の肉体を手にしてしまう。
真面目さも不器用さもここに極まれり、だ。
そうは言っても、さっきので善次郎が本当に滅んだとしたら、高村晋輔は敵討ちを成功させたことになる。
おめでとう、の一言くらい言ってあげていいかもしれない、と思った。
もちろん、単純には喜べない。
善次郎の死体は残らなかった。この若侍が江戸に帰って帰参できるかどうかは、控えめに言ってもかなり難しい。
それでも武士の本懐を遂げた事に対する賛辞に、きっと晋輔は笑顔を返してくれるだろう、と恋歌は思った。
「おめでとう」
「ん?」
高村晋輔は不思議そうに顔を上げる。傷口を睨んで顰めていた顔を。
めでたい、と言われて、彼は何のことかわからない。
それはつまり、やはり彼も善次郎の死に納得できていない、ということなのだろう。
だが、外は明るくなってきている。
もう、そろそろ朝と呼んでも差し支えない明るさだ。
もう少しして雨戸をあけたら、最初の朝日が差し込むかもしれない。
少なくともまた一晩、恋歌たちは生き延びたのだ。
その上で、あの男を滅ぼした。
恐らく、ではあるが。
もっと喜んでもいいのかもしれない。
だからといって、あの蘭学者に言われていたことも忘れていないが。
「何としても今夜そいつを倒せ」
彼の言うとおりにできたのだろうか。
わからない。
だが、自信がない、なんて言ったら、今度蕎麦屋であった時に、それこそ小言をうんざりするほど言われそうだ、と恋歌は思い、苦笑いを浮かべる。
それに、朝が来ることは、同時に美雪の制限時間が終わりつつあることを意味している。本当は喜んでいるわけにはいかない。
美雪は吸血鬼になっていない。
恋歌はそう思っている。
今あるのは、その根拠のない信頼だ。それでも、その信頼だけを胸に探しに行かねばならない。
時間はない。
だから、少しだけ。
ほんの少しだけ。
そう思って、笑顔を切り替える。苦笑いから、自分にとって最上の笑顔に。
高村晋輔に向けて。
「おめでとう。あんたは、お父上の……妹さんの仇を討った」
「ああ、そう……なのだろうな」
高村晋輔の戸惑いは、やはり感情的に納得できていないからだろう。それでも夜が明けようとしている今、少なくとも負けなかったことだけは間違いない。
それを誇ることは許されるはずだ。
「ありがとう」
と、彼は言い、少し躊躇いを感じさせるその笑みに、恋歌は一瞬見とれた。
気が緩んだのは間違いなかった。美雪のことは頭から離れないが、それでも当面の敵を滅ぼして、恋歌の気は緩んでいたのだろう。
だから。
恋歌は口を開いた。緩んでいた緊張感がそれを後押しした。
晋輔の足に布を巻く。膝の上から腿へ。袴を大きくたくし上げる。遊女が男性の少しくらい際どい場所に目をやったくらいで頬を赤らめるわけにはいかない。
とはいえ、全くの平静でいるのも難しい。恋歌は緊張が緩んだために思考が乱れ、逆に妙な緊張から逃れるために妙な質問を口にしていた。
「ねえ」
「うん?」
「この前から聞きたいことがあったんだけど」
馬鹿。なんで、こんなことを。今は関係のないくだらないことを。
自分でそう思いながら、自分で悟っていた。
恋歌は知りたかったのだ。そんなくだらないことを。
それを今まで聞かなかったのは、このことを聞くのが少し怖かったからだ。あるいは少しではなく。
もし、恋歌の推測が間違っていたら。
いや、普通に考えれば恋歌は間違っているのだろう。そして、それは高村晋輔の不義ではないし、不誠実でもない。それが普通なのだから。でも、その普通の答えは恋歌を失望させてしまうのだ。
むしろ恋歌の推測は、「突拍子もない」とか「推測というより単なる願望」とか言われるべきものだった。
普通の答えが欲しいわけではない。
「ねえ」
「だから、なんだ?」
「あの善次郎が鬼になって私のとこに来た時」
それでも言葉は勝手に出てくる。 一度話し始めると、歯止めがきかなくなった。
「うむ……」
「あんたと初めて会った日の次の夜、ね」
「……うん」
頷いた高村晋輔の表情が微妙に歪む。
痛いところを突かれた、という表情だ。
そのことが恋歌を勇気づける。
だから、その続きを恋歌は口に出来た。
「晋輔が飛び込んできてくれて、私は助かったけどさ。あいつが私のところ来るって、どうして思ったの?」
「……言っただろう。あいつは子供だ。もし、あいつがお前を望んだのなら、決して諦めることはない」
その答えは恋歌の予想通りだった。
事実、彼は先日もそう答えたのだ。
だから、その答えを軽く、ごく当然のこととして答えられたら、恋歌は頷くしかなかった。
高村真輔がふて腐れたように顔を背け、怒ったような口調で言わなかったら。
「前に聞いた時もそう答えたよね」
「……そのはずだ」
「はず?はずって何?」
素早く突っ込みを入れると、晋輔ははっきりとしまった、という顔で頭を抱えた。
「私は本当に助かったよ。晋輔が飛び込んできてくれなかったら、私はあの夜に鬼の仲間入りをしてた。だから、あんたに感謝してる。
でも。
だからって、普通、昨日会ったばかりの遊女の床入りを邪魔しに来る?」
「……」
「善次郎は前の日に死んでたんだよ。あんたも、それは見たでしょ?実際、本当にあいつは死んでた。鬼になった、なんてあのときにはわからなかったはずだよね。
だけど、あんたは飛び込んできた。
ありがとう。あたしは助かりました。とても感謝しています。
でも。
でもね。
教えて、晋輔。
なんで?
なんで、前日会っただけの遊女の部屋に飛び込んできたの?」
「だから、それは……」
「この前も答えた。そのはずだ?はずって、なんなの?その言い方だと、本当の答えが別にあるみたいだよ?」
必ずしもその推測が成り立つわけではないが、今は恋歌は断言して押し切ることにする。
本当は別の答えがあるのに、恥ずかしくて口にできないみたいだよ、と。
「そんなことはない」
高村晋輔は「平然と」答える。
しかし、恋歌には、彼が「平然さを装って」答えているのがわかる。
だから、高村晋輔が話題を打ち切るのが「逃げ」だと思える。
「さあ、行こう」
高村晋輔は痛みを無視して立ち上がった。
当たり前だ。彼にはやるべきことがあるのだ。美雪を助けなければならない。
そして、もちろん、それは恋歌にとっても、大切なことだった。
「うん」
だから、恋歌は頷き、自分も腰を上げる。
すでに踵を返して廊下を歩きだした晋輔の後に、恋歌も少し遅れて続く。
歩きながら、恋歌は問い直す。
少し、意地の悪い口調で。
「で?本当のところは?」
「……どういう意味だ」
「で?本当のところは?」
「……」
晋輔は足を止めた。今度の沈黙は少し長い。
そのことが更に恋歌を勇気づける。
「ほら、止まっちゃっ駄目。時間がないんだから、つまらないことで時間をかけないで。男でしょ?女に嘘をついちゃダメだよ」
恋歌に言い争いで勝とうなんて、高村晋輔には無理だ。恋歌はそれを知っている。晋輔もそれを理解したようだった。少しの時間の後、彼は答えた。ようやく。
「……もう一度……会いたかったのだ」
「……どういう意味?」
晋輔は立ち止まったまま振り返らない。
だから、恋歌の意地の悪い口調しか聞こえない。
彼女がどんな風に微笑み、どんな風にその後姿を見つめているか、彼には見えない。
高村晋輔は沈黙している。その後ろ姿はひどく居心地が悪そうだ。
恋歌も沈黙している。晋輔の後ろ姿見つめる彼女には沈黙は苦にならない。
だから、もちろん、負けるのは晋輔の方だった。
高村晋輔はひどく言いにくそうに言葉を紡ぐ。
「凄いと思った」
「……凄い?」
「美雪殿を人質に取られ、地下へと降りた時だ」
初めて晋輔と会った時のことだ。
善次郎との突き出しの場に晋輔が乗り込んできて、大騒ぎになった。善次郎を父親の仇だと宣言し、勝負を求めた。だが、善次郎は恋歌を突き倒して部屋を飛び出し、そこにいた美雪を人質にして逃げたのだ。
善次郎はそのまま美雪を連れて地下へ逃げ、晋輔と恋歌はその後を追った。
「危険な地下へ危険な男が待ち構えている場所へ、恋歌は躊躇いなく降りた」
「怖いもの知らずな馬鹿ってこと?」
「違う」
晋輔は慌てたように振り返り、首を振る。恋歌に誤解されることを恐れるみたいに、彼は一生懸命説明しようとする。
「恋歌は馬鹿ではない。それくらいはわしにもわかる。頭の良い女だと思う。良すぎるくらいだ。だが、美雪殿が危機に瀕したとき、お前は自分の安全より友達の体を優先した」
「……まあ、当然じゃない?」
「当然?」
驚いたように晋輔は聞き返す。
「わたしの身代わりにするわけにはいかないしね」
それに相手にもよる。相手が誰でも一生懸命になるわけじゃない。捕らわれていたのが美雪だったから、こちらも必死になっただけだ。
だが、晋輔にはそれは大きな出来事だったらしい。
「美雪殿を人質にした善次郎を前に、恋歌は自分が美雪殿と代わる、と言った。美雪殿を見て、笑って見せた」
「そう……だったかな?」
「助けてあげる、と美雪殿に言った。そのとき善次郎は恋歌の笑顔を褒めた。いい顔だ、と。わしも……そのときはわしも善次郎と同じ意見だった」
「ふうん。それで?」
恋歌は頷く。自分は今、笑っている。でも、ちょっと意地悪な顔をしているかもしれない、と思いながら。
だけど、しようがない。昨晩はあんなにやきもきさせられたのだから、少しくらいなら仕返しする権利があるだろう。
そうしたら全力で長崎を走り回る。必ず美雪を見つける。
晋輔は次の言葉を口にするのに、ずいぶん時間をかけた。
だが、口を開くと、それはかなり早口になった。
「お前にはすぐに新しい客がついたという噂を聞いた」
「だから?」
「……じっとしていられなかった」
「つまり?」
こっち見るな。
頬が緩んでる。あたし、今、あんたには見せたくない顔してる。
幸いにも若侍は顔を上げない。少し伏せたまま、彼は一気に言った。
「お前が誰かに抱かれると思うと、いてもたってもいられなくなった」
「……へえ」
それは、この表情の乏しい若侍にしては、随分と前のめりな答えだった。
あの時、高村晋輔はまだ恋歌とは一度しか会っていなかった。
もちろん、ただ顔を見ただけではない。
一言二言話しただけの「通りすがり」ではない。
それでも、せいぜい半時ほど、別に男女の甘い雰囲気とは程遠い時間を過ごしただけだ。
恋歌が高村晋輔に思慕を向ける可能性は少なかった。実際、あのときの恋歌は、そんな気分は全然なかったし。考えようによっては、遊女に横恋慕して商売の邪魔をした性質の悪い客、と激怒される可能性もあった。
それでも、高村晋輔のその言葉は恋歌の心を暖めた。
あるいは、「暖めた」よりもう少し強かったかもしれない。
高村晋輔のその言葉は、恋歌の心を「熱く」したかもしれない。
とはいえ、今の恋歌は、軽く笑った。
「まあ、あたし美人だからね。仕方がないよ」
「……」
高村晋輔は答えない。
ただ、ひどくがっかりしたように顔を背け、前を向いて歩きだした。足取りが不自然に速い。もしかしたら、少しへそを曲げたかもしれない。
恋歌も何も言わなかった。
だから、晋輔は振り返らない。
だから、高村晋輔には何も聞こえなかった。
恋歌はただ、その背に向かって、「ありがとう」と唇を形作っただけだったから。
この終わりつつある夜に、高村晋輔が何故恋歌を抱こうとしなかったのか、それは恋歌にはわからない。
このそっけない若侍が、どの程度恋歌のことを真面目に考えていたのか、考えているのか、恋歌には知るすべもない。
でも。
まあ、いいか。
恋歌はそんな風に思い、一人微笑んで、頷いた。
そう思い、遠ざかる晋輔の背を追おうとする。
前しか見ていなかった。晋輔の事しか見ていなかった。
すぐ後ろで霧が湧き、渦を巻き、立ち昇って人の形を成したことに、恋歌はもちろん気づかなかった。その霧の塊から、にやけた顔が現われ、青ざめた腕を伸ばしてきたことも。
だから、それは不意打ちになった。恋歌はいきなり背後から腕を引かれた形になった。
「え?」
体勢を崩し、後ろへ倒れる恋歌を冷たい体が受け止める。
同時に冷たい腕が恋歌の首に回され、しっかりとその体を捕えた。
「ようやく捕まえた」
低く嘲りを含んだ笑みを垂れ流し、焼失したはずの男が、善次郎が背後で笑っていた。
「恋歌っ」
高村晋輔が振り返り、悲鳴のような声をあげた。
美雪がピンチなのにベタベタしてんじゃねーよ、な回……でしょうか。
でも、他には入れようがないので、ここに投下。
99話は……ただ今整理中です。
少しかかるかもしれません。
書きたい場面です。
ある程度まとめて読んでほしいように思うのですが、いつもに比べるとかなり増量回なので、分けるとやっばりいつもと同じペースになる……のかな。




